一章 Rebirth

四月

<起承> 1

「・・あっくん」


その声に俺は振り向いた。

窓から中を覗くと教室には誰もいなかった。


「あっくん」


その声は遠くから聞こえてきた。

俺は周囲を見回した。


俺の周りには今や濃い霧が立ち込めていた。

視界が悪く一メートル先の景色ですら

はっきりとしなかった。

いつの間にか

校庭から聞こえていた子供達の声が消えていた。


「・・あっくん」

また声がした。

その時、初めてその声が女の声だと気付いた。

そしてその声は俺の記憶を刺激した。

懐かしい声だった。


「・・あっくん、朝よ。

 早くしないと遅刻するわよ」

その時、

俺はこの声が母に似ていることに気付いた。

そして「あっくん」という愛称。


俺をそう呼ぶ人間は少ない。

両親を除けば

小学六年生の頃のクラスメイトだけだ。


俺は小学六年生の新学期の開始と同時に、

父親の仕事の関係で転校した。

新しい学校とクラスメイト。

そこで俺はいつの間にかクラスメイトから

「あっくん」と呼ばれていた。



夢か。

ぼんやりとした頭で俺はそう思った。


遅刻。


その言葉は今の俺には無縁だった。


「・・あっくん、起きなさい」

女はどこからかしつこく俺を呼んでいた。

しかし、

あいにく独り身の俺を起こしてくれる異性に

心当たりはない。

俺は女と一線を越えることができない。

おかげで俺は三十五歳にして

いまだ女を知らなかった。



「・・あっくん!」

母に似た女の声がもう一度俺を呼んだ。


俺は周囲を見回した。

霧が先ほどよりも濃くなって、

俺の体は完全に飲み込まれていた。  

足掻こうともがいたが体が動かなかった。

霧が口や鼻から俺の中に侵入してきた。

しかし不思議と苦しさはなかった。


「・・あっくん、早く起きなさい!」

女は苛立っているようだった。

そしてその声はまさに記憶の中の母の声だった。

「遅刻してもお母さんは知りませんよ」 

ついに声の主が母を騙った。

「あっくん、

 今朝はお母さんも忙しいんだから、

 後は自分で用意するのよ」

記憶の中の母の声が

目覚ましのアラームのように

何度も俺の頭を刺激する。


俺を取り囲んでいた霧が晴れ、

視界が明るくなった。

そして俺は目を開けた。

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