第25話

「旦那様、お客様がお見えです」


「誰だ」


「例の狩人、クライアインです」


「クライアイン、そうか中へ」


 メイドに通されクライアインは仰々しく装飾された扉をくぐる。


 メイドは彼を見届けると主人に一礼して部屋を出た。


 部屋の四方を本棚が囲っており一つの欠けもなく所狭しと本が詰まっている。


 その部屋で一層一段と目を引くのは、この場には不釣り合いな程に光沢を放つ一つの鎧であろう。


 主の威厳を誇示するように安置されているそれとは対照的な、痩せ細った初老の男が彼を迎え入れた。


 彼こそがスタウター家当主その人である。


「良く来てくれた」


「お元気そうで」


 男は視線を窓の外に移すと空を駆ける鳥の姿が目に入ってきた。


「せっかくの天気だ。外に出ようか」


 男は差し出された彼の手を無言で拒むと、杖をついて弱々しく立ち上がった。


 少し時間をかけて屋敷から出ると、待ち構えていたようにメイドが玄関先に立っていた。


「お出になられるならお供を」


「いや、いい。二人だけで話がしたい」


 メイドは男に悟られないよう一瞬クライアインを睨むと、一礼して屋敷へと戻っていった。


 それからしばらくは二人の間に会話はなく、彼は男が口を開くのを待った。


「それで、例の娘が雇ったと言う狩人は仕留めたか」


「いえ、まだその報告はありません。指示の通り周辺の村には手配書をばらまきましたが、そこらの狩人で出来ることと言えば足止めが精々でしょう」


「そうか。そいつはそんなに強いか」


「ええ。正直言ってあれがご子息に辿り着くのは時間の問題かと。どうです、ここらでご子息を連れ戻しては」


 その言葉に男は足を止めて、木々の隙間から覗く空を見上げた。


「私はな、あれが恐ろしいのだよ」


「......」


「物心つく前に妻を、母を亡くし、それからは男手一つで育て上げてきた。......至らない部分が無かったと言えば嘘になるが、それでも与えられるものは全て与えてきたつもりだ」


「そうですか」


「見ての通り私の体は病に犯されこの有り様だ」


 男は枯れ木の枝のようになった自分の手を擦る。


「持って数年、いやもうすぐかもしれない。だからこそ私の目が黒いうちに息子には次期当主としての自覚と威厳を持って欲しかった。なのにどうだ、あやつは、あやつはあろうことかその手で人を、人を殺めて」


 杖を握る男の手が震える。


「人殺しで食ってる俺が言うのは出過ぎた真似かもしれませんが、誰しも生きていれば間違いは犯します。それはご子息だって例外じゃありません。ですからそう気を病まないでご子息のこれからに期待なさったらいいじゃないですか」


「違う、違うのだクライアインよ。いつ朽ちるとも分からぬ身で息子の改心を待つのが酷く恐ろしい。二十年という時間を今更ものの数年で覆せる訳がないのだ。人の本質なんぞそう簡単に変えられる訳がない」


「なら、これからどうするおつもりで」


 男は彼の顔を弱々しく光る瞳で見つめると、ゆっくりと瞼を閉じた。


「私は、息子が私の育て上げた者として生きていくのが許せない。これまで血の滲むような思いで築き上げた今の私と言う地位が、あやつ一人の所業によって崩れ去るのが口惜しいのだ」


「見捨てるおつもりですか」


「滅多なことを言うな。事実こうしてお前を傍に付けて守ってやっているではないか。だが、あやつが自分のしでかした因果によって裁かれると言うのであれば、あるいは......」


 男はゆっくりと目を開けると咳をした。


「いや、今の話は忘れてくれ。病魔は心まで蝕んでしまう」


「俺も今日のことを真に受けるつもりはありません。ですが、やはりご子息を家へ戻して万が一に備えるべきですよ」


「どこに居ようとお前がやられるようなことがあれば結果は同じだ。それに、あいつの眠る土地を血で汚すことはしたくない。わがままとは思うが分かってくれ」


 彼は少し前のめりになって口からでかかったものを無理やり飲み込んだ。


「分かりました。俺はあなたの指示に従うだけですから」


「すまないな。......お前が私の息子で」


 その時、男の言葉を遮るように二人の間に風が吹き木々を揺らした。


「もうじきここも冷えます。部屋に戻りましょう」


「そうだな」


 屋敷まで戻るとメイドが示し合わせたように玄関から姿を現し、男の背に布をかけた。


「それじゃ俺は戻りますから」


「ああ頼んだぞ。お前、クライアインを送ってやりなさい」


「かしこまりました」


 メイドはそのまま男からは見えない角度でクライアインをまた睨み付けた。


 メイドが馬を取りにその場から消えると、男は力なく扉のノブに手を掛けた。


 だが、その弱りきった体では満足に扉を開けることも出来ず、見かねたクライアインがそっと横からノブを握って扉を開けた。


「なにからなにまですまないな」


「......余計なお世話かもしれませんが、血を分けたご子息は彼だけなんですから。代わりは居ませんよ」


 男は俯くと、黙って屋敷へと入っていった。


 クライアインはメイドが不機嫌な顔をしているのに気がつかないふりをして馬の背に跨がった。


「良いですか、旦那様の指示でなければあなたをこの子の背に乗せるなんてことしませんから」


「へーへー分かってますよ、とぉっ?!」


 彼が話し終わらないうちに馬が急に走り始め思わず仰け反る。


「走らせるならそう言えよ危ないだろ」


「あなたの不注意を私のせいにしないで下さい。それと、その手離して貰えませんか。嫌らしいですよ」


 彼は突然のことにメイドの腰に手を回してしまったことに気がつき、咄嗟に手を離す。


「なぁ、聞かないのか」


「あなたの口から聞きたいことなどありませんけど」


「お前だって気になってんだろ。お前だから話すが親父さん息子を見捨てる気だぜ」


 彼の話しを聞いてメイドは馬の速度を落とした。


「冗談にしては趣味が悪すぎますよ」


「冗談でこんな話ししねぇよ。親父さんな、息子が自分のしでかしたことで裁かれるならそれも仕方ないことだって」


「旦那様に限ってそんなこと」


 縄を握るメイドの手に力がこもる。


「昔のあの人ならそんなこと言わなかっただろうさ。だが、病魔に犯されて親父さんも随分参ってるらしい。そのことは傍で仕えてるお前が一番良く分かってるだろ」


「なら、あなたも見捨てるつもりで」


「よしてくれ、雇われの身の俺はただ指示に従うだけだ。受けた指示は変わらず息子の警護だ」


「スタウター家が存続していくにはご子息の血が不可欠です。それが断絶するようなことがあれば」


「分かってるよ」


 メイドは橋の手前まで来ると彼を馬から下ろした。


「次に会うときにはもう少しこの場に相応しい装いにしてくださいね」


「生憎、狩人はこの薄汚れた格好が正装みたいなもんだからな。狩人止めたらそうしてやるよ」


「貴方が狩人を止めたらいよいよ無価値の人になりますよ」


「はっ! ちげえねえや」


 去るメイドの背中が見えなくなると、橋を渡って預けている馬のもとへと急いだ。


「勝っても負けても、どっちに転んでも糞みたいな仕事だよ、ほんと」


 馬の額を撫でながら一人呟いた言葉が虚空へと消えていく。


「ま、何があってもお前のメシ代くらいは稼いでやるからよ安心しろ」


 彼は馬を走らせ別荘へ向かった。

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