第20話 出立

「なに、ただ二人に話したいことがあってな」


「何を今更、どうせお前が寄越した刺客のことだろ」


 マレイの言葉に村長は目を見開き額に汗を滲ませるが、ゆっくりと目を瞑り平静さを取り戻す。


「やはり知っていたか。あの男の言う通りだな」


 村長が手放した杖が地面に落ち乾いた音を上げる。そうしてそのまま静かに彼は跪き地面に頭を擦り付けた。


「この通りだ。耄碌した故の過ちであった許してくれとは言わん。だが、お前は奴を、領主の息子を殺すつもりなんだろう。それだけは、それだけはどうかやめてくれんか。ルピ、お前の気持ちは痛いほど分かる。それでも村の存続のために奴を殺されては困るのだ。それだけはどうか分かってほしい」


 二人は顔を見合わせる。


「マレイさん、でも私......」


 この期に及んでまだルピにはこの村を思う気持ちが残っていた。自分のワガママのせいで村の人達が路頭に迷う可能性だってある。良心と復讐心の間でその幼い体の中で激しい感情の流れが起こる。


「ルピ、大丈夫だから」


 今にも泣き崩れてしまいそうな顔をして自分の袖を強く握りしめている彼女に、マレイは優しく声をかけると村長に向かって一歩を踏み出した。


 彼女の足音が迫るなか彼は祈るようにただ頭を下げ続け、それでも遂には恐怖に駆られ顔を上げると眼前に彼女が立っていた。


「残念だ、残念だよ。私のご主人様はお前を許してやると言ってる」


「なら」


 と、希望に花咲く村長の顔に一発の鋭い拳が叩き込まれ口から血を流して軒先を転がる。


 騒ぎに気がついた村人達が家の回りに集まり始め、歪んだ意識の中彼は村人達に向かって震えながら助けをもとめるように手を伸ばした。


 だが、目の合う皆が皆視線を逸らし俯き誰も村長に手を差しのべる者は居なかった。


 絶望する村長を、マレイは襟を掴み無理やり立ち上がらせる。


「やめ、やめてくれ」


 前歯を失い歯抜けになりながら、残った歯を震わせる。


「この仕事をお前らのために台無しにしてやるつもりはない。命を狙った対価は今の一発で手打ちにしてやるから二度とその面見せるな」


 村長は虚ろな目で頷き、彼女は投げ捨てるように彼から手を離した。


 苦痛と恐怖に脱力した村長は力無く這って二人から離れると、流石に哀れに思ったのか村人の一人が駆け寄って彼に肩を貸した。


 村人達は侮蔑と恐怖の入り混じった視線を二人に向ける。


「おいじいさん!」


 介抱されその場を離れようとする村長をマレイが呼び止める。


「お前さっき男がどうのって言ってたな。誰のことだ」


 村長に指示され肩を貸している男が足を止める。


「......領主に雇われている狩人、名は知らんが奴は今カダムの町にいるはずだ」


「そうか」


 村長は再び歩きだし、その場に居る村人達も一人また一人と立ち去っていき二人だけがその場に残された。


「ごめんなさいマレイさん私のワガママで」


「気にすんなよ。結局我慢できずに蹴っちまったし」


 村民の前で村長に手を出せばそれが何を意味するのかマレイは分かっていた。ただ、それでも沸き立つ怒りを納得させるにはああする他無かったのだった。


「でも、お陰で踏ん切りがつきました。私もう何があっても止まりませんから」


 マレイはただ黙って彼女の肩を軽く叩くと家へと歩き始め、ルピも少し遅れて後を着いて歩いた。


 それから二人は狩人の一人が話していた『ログレン』に向かうことにした。カダムに直接行く手もあったが、死に際の狩人の言葉の方がまだ信じられるとカダムは後回しとなった。


 昨夜からの疲れからルピはすぐに寝息を立て始めたが、マレイはこの家が誰かに監視されているような錯覚を覚え寝付けないでいた。


 ただ誰か攻めてくる訳でも無いので、やることも無くぼうっと縁に肘を立てて窓から外を眺めていると、マーサがこちらに向かってくるのが見えルピを起こさないようそっと外へ出た。


「よう婆さん。昨日はうるさくして悪かったな」


「やっぱりあんたの仕業だったか。見た感じあんたには不釣り合いな相手だったみたいだね」


「まあな。それより、もうここには来ない方がいいぜ」


「なんだい急に、どこに行こうが私の勝手だろ」


「私達がどんな目で見られてるか分かるだろ。こんなとこ見られたら婆さんも居場所を無くすぜ」


「は、あんな連中にどう思われようと知ったこっちゃ無いさ」


「だろうな。だけどそうなったらきっとルピは悲しむし、アイツのことだから自分を責めるはずだ。婆さんだってそんなこと望んじゃいないだろ」


「それは、だけどそしたらあの娘の面倒は誰が見るんだい」


 産まれた瞬間から同じ時を過ごしてきた老婆が少女の行く末を案じるのは当然である。


 だからと言って関係の無い老婆まで、同じ道を辿らせることなどマレイには出来ない話であった。


「マーサ、あんたは村の外で暮らすには歳を取りすぎてる。だが、ルピは違う。あの歳ならどこでだってやっていけるさ」


 無情な現実を突き付けられ、マーサはそれ以上何も言えなかった。それはただ無情なだけでなくマレイの優しさであることが分かっていたからだ。


「これから私達はログレンに向かう。きっと仕事を終えて戻ってくるから、別れの挨拶はそれまで取っといてくれ」


「......あの娘を頼んだよ」


 マーサを見送りマレイはあくびをすると家へ戻って布団に潜り込んだ。


 夕方になって目を覚ますと隣で寝ていたはずのルピが居なくなっていた。まだボーとしている頭を叩き起こして下へ降りるリビングで佇む彼女の姿があった。


「おばあちゃん、なんだって」


 彼女はマーサの訪問に気がついていた。


「お前を頼んだってさ」


「そっか」


 この時始めてルピの顔に寂しさが滲み出しそれが彼女の覚悟の表れでもあった。


「私、マレイさんに会いに行くまで村から離れたことがなかったんです。だから、それまではこの村とこの家だけが私の世界だったんです」


 語りながら彼女は愛おしそうに机に指を這わせる。


「お母さんが作ってくれたパイの味も、お父さんと遊んだ川の冷たさも全部ここにあるんです」


「ああ」


「......少しだけ、時間を貰えませんか」


 マレイは黙って家を出ると壁にもたれ掛かり夜空を眺めた。


 それからしばらくして、目を腫らしたルピが外へ出てくると静かにマレイの横に並んだ。


「もういいのか」


「はい。それに良く考えたら次に戻って来たときが本当のお別れですから」


 二人は最低限の荷物を馬車に積み込み、ログレンに向かい夜の道を進み始めた。


 白い外壁でレンガ造りの建物は、その優しい色使いとは裏腹に小さな砦のように堅牢な造りをしており、四方にはまるで外界を見下ろすためにあるような円柱の塔が立っている。


 正面の両開きの扉には大小二つの円が縦に並んで描かれており、小さい円からは上から大きな円を貫くようにまっすぐ線が延びている。


 クライアインは右の扉をゆっくりと開き中へ入っていった。


 中は向かって正面を向くように横に延びた椅子が幾つも並んでおり、その一番奥には一人の男が立っており、赤を基調としたローブに身を包み、襟から足下まで金のラインが延びている。


「どうも神父さん」


「これはまた狩人が訪ねて来るとは珍しい」


「なんだ、教会は狩人出入り禁止だったか?」


「まさか、この場所は神を重んじる者もそうでない者も平等に受け入れる」


「そうかい。ところで神父さんよあんたに頼みがあるんだが」


「申してみよ。祈りかはたまた救いを求めるか?」


「そうだな、出来れば少しの間だけ祈りのために目を瞑っていて欲しいんだがね」

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