第6話 愛を知るものよ、愛を知らぬものよ

 馬車に揺られること数時間、日も暮れる頃には小規模な街へ辿り着いていた。


 暗くなると人里離れた森の中では魔物が出ると言って、誰も彼も馬車を出すことはない。


 マレイは手持ちの金が少なかったため、野宿をするつもりであったが、自分のために雇われた人に無下なことは出来ないと、ルピは二人のために部屋を取った。


「いやー悪いね宿の世話までしてもらって、俺は別にどっかの誰かさんと違って金に困ってるわけじゃあないのにな」


 エルリッジはマレイに当て付けるようにヘラヘラと意地の悪いことを口にする。


「いえ、むしろこんなことくらいしか出来なくてごめんなさい。私のために危険な目に遭うって言うのに......」


「謝るのはよしてくれ。俺は別に施しが欲しくて協力するわけじゃねぇ。ただ、あんな惨いことをしでかして平気な顔をしてる奴に、一発こいつをぶちこんでやらなきゃ気が済まないだけさ」


 エルリッジは顔の前で強く握り拳を作ると、感情一杯に歯を食いしばる。


「エルリッジさん......!」


「おっと、一人で熱くなってすまない。そいじゃお二人さんまた明日な」


 ルピの羨望の眼差しに気を良くしながら、エルリッジは部屋に入っていった。


「エルリッジさんて本当に良いい人ですね」


 ルピは部屋に入るなりエルリッジの話を始め、マレイは心の中でため息をついた。


「そうだな。正義感に溢れて幼い少女のために危険を厭わず、さらに報酬もいらないときた。きっと正体は神様かそれに注ぐ何かだろうね」


 ぶっきらぼうに言い放つマレイの態度に、ルピは不満を露にする。


「どうして彼をそう嫌うんですか。あんな親切な人他にいませんよ」


「別に~。私はただ仕事をするだけ。その仕事の片割れがどんなに胡散臭かろうと知ったこっちゃねえしなぁ」


「あなたを頼っておいてこんなこと言いたくありませんけど、そうやって頭ごなしに人柄を決めつけるのは良くないですよ」


「そうだね良くないね」


 忠告を聞く気のないマレイに、ルピは呆れ始める。


「もしかして、エルリッジさんの方が強いから報酬を取られるんじゃないかって思ってるんですか? 大丈夫ですよ、エルリッジさんは無償で協力してくれてるんですから」


「だといいけどな」


 マレイは黒い靴を脱ぎ捨て、メイド服を脱ぐと袖まですっぽり覆われた下着姿になる。


 これ以上自分の注意を聞き入れない相手に対して、説教じみたことを話すのも気が滅入るので、ルピは話題を変えることにした。


「そう言えばなんでマレイさんはメイドさんの服なんて着てるんですか? 元メイドとか?」


「そ、一つ前の仕事でメイドしてたの。クビになったけど」


 マレイはベッドに倒れ込み、ぐっと腕を真上に伸ばす。


「お前さ、復讐を済ませてその後どうするつもりだ?」


「ど、どうって」


 予想外の質問にルピは口ごもる。


「70,000ギース払っちまったら、その後一人で生きていけんのかって」


「......そんなこと考えたこともないです。でも、どのみちあいつが生きている内は前に進めませんし、こうするしかないんです。私、お母さんをあんな目に合わせておいて、あいつが生きているのが許せない」


「ふーん。まあ精々頑張れや」


「ちょ、ちょっと。自分で質問してきてその態度は無くないですか。そんなんだからメイドもクビにされるんですよ」


 ルピに図星を突かれて、マレイは誤魔化すように咳払いをする。


「私のことはいいだろ。ま、メイドはあれだったけどこの依頼はきっちりこなしてやるから安心しな」


「マレイさん......」


 マレイの言葉にルピは少しだけ勇気付けられる。


「報酬があればの話だけどな」


「だから、家にちゃんとありますって! まあ、マレイさんがダメでもエルリッジさんがきっと仇を取ってくれますから、心配なんてしてませんよ」


「さいですか」


 マレイは興味なさげにあくびをすると、ルピに背を向ける形で寝返りを打つ。


 ルピも楽な格好になり、ベッドに潜り込むと、眠り慣れない宿の布団にもじもじと身をよじりながら、ふと故郷のことを思った。


「マレイさん聞いてくれますか?」


「んー?」


「さっきは頼りないとかあんなこと言いましたけど、私正直最初はスッゴク怖かったんです。村を出るのは初めてでしたし、知らない街で酒場に行くことも、狩人さんに会うのだって初めてでした。......村の人からは狩人は荒くれの集まりだって聞いて、本当に怖かったんですけど、母を思ってくれない村の人達なんかより、よっぽど頼りになるって思って依頼を出したんです。だから、あの酒場でマレイさん達に会ったときは本当に救われた気持ちになったんです。話してみたら案外怖い人達じゃないんだって」


「そりゃどうも」


 マレイは背中越に答える。


「......マレイさんて、お父さんとかお母さんと暮らしてるんですか」


 単純な疑問から沸いて出た言葉であったが、20にも満たないであろう女の子が、狩人などと言う危険な仕事を、訳もなくやっているはずもなく、その事に気がつき咄嗟に口を手で塞ぐ。


「ご、ごめんなさい。別にそう言うつもりじゃ」


「なんだよ質問したり謝罪したり忙しい奴だな。別に気にしちゃいねえよ」


「でも」


「父さんと母さんとは暮らしてないし、会ったこともない。気がついた時には教会に世話される孤児の一人だった。こんなのごくありふれた話だろ。気にすんな」


 ルピの謝罪を遮るようにマレイは捲し立てた。実際マレイは気にしていなかったし、こんな質問で腹を立てるほど『親』と言う存在に思い入れなど無かった。


 だが、マレイに捲し立てられたのが、かえって突き放されたように感じられ、ルピはますます申し訳なくなっていた。


「あの、その、ごめんなさい」


「だー! もういいっつってんだろ。もう寝ろ!」


 ルピはおずおずとベッドから身を起こすと、卓上の蝋燭の火を吹き消した。


 暗闇の中、外から聞こえてくるかすかな談笑と、布の擦れる音だけが部屋を包み込む。


 マレイが寝息を立てる横で、ルピは一人、連日溜め込みすぎた疲れと、これからの不安のせいで寝付けないでいた。


 暗闇に目が慣れてしまうほど長い間じっと木の天井を見つめ、村での出来事が宙を舞う。


 愛する母と父をほぼ同時期に亡くし、母に至っては凄惨な死の光景が焼き付いてしまっている。


 母を思い出す度にあの光景が脳裏に浮かび、ギュッと胸が締め付けられ、込み上げる何かを抑えようと視線をマレイの背に移す。


「マレイさん起きてますか......?」


 返事はなく、ただ寝息に上下する背中が見えるだけである。


 ルピはまた視線を天井に向けると、行き場を失った感情が静寂の中ではっきりとした輪郭を持ち始め、涙が頬を伝った。


「お母さん......会いたいよ」


 溢れる涙を抑えようとか細い腕で目を覆う。


 気を遣って出来るだけ声を潜めるが、それでも漏れ出たすすり泣く声が二人の間に響く。


 親の愛を知らないマレイには、彼女を慰めることも一緒に悲しんであげることも出来ずに、寝入ったフリをして背中でじっと受け止めることが精一杯であった。


ただ気まずさを紛らわせようと、頭の隅ではあのエルリッジのことを考えていた。


 あれが本当に正義感に駆られて協力を申し出たのか、マレイにはどうしても信じられなかった。


 疑う根拠は何もない。人の心など知る術はなく知ろうとも思わないからだ。


 だが、あれがもし裏切るとなると、その時は自分が対処することになる。


 その時のことを考えると、この依頼内容と言い、改めて厄介な仕事を引き受けたものだと、一人頭を悩ませ、夢の中へと落ちていった。


 朝、目を覚ますと、ルピは目を赤く腫らしており、口では何も言わなくとも顔が全てを物語っていた。


「おはようございます」


 起きたのに気がつきルピに声をかけられる。


「......虫刺されか」


 マレイの奇妙な朝の挨拶にルピは頭を捻るが、その視線が自分の目の周りに向けられているのに気がつき、ハッとなる。


「そ、そう多分虫のせいです」


「だろうな、まあ昨夜は誰かさんの泣き声のせいで眠れなかったんだけどなぁ」


 マレイに全てを聞かれていたことに気がつきルピは顔を赤くする。


「やっ、やっぱり起きてたんじゃないですかぁ!」

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