第4話 燃える殺意は愛しき者のため

 商業都市圏から遠く離れたところに、農業を生業とする『グース』と呼ばれる小さな村がある。


 森を切り開き作られたその土地は、十数の世帯が軒を連ね、近くには小川が流れ肥沃な大地が作物を実らせる、争いとは無縁なのどかな村であった。


 だが、ある時村の近くに魔物が現れ、家畜も人もその鋭い牙で食い殺してしまった。


 生き残った村人達は必死の思いで外に助けを求めたが、依頼を狩人に届ける前に殆どがその牙に殺られてしまった。


 運良く逃れた男が、他の村の酒場に依頼を出した。しかし、特別裕福でもない農村が出せる報酬はとても魅力的な物とは言えず、魔物の危険性と討伐の難易度に釣り合う金額とは言えなかった。


 それでも諦めまいと、男は一縷の望みを賭け街へと出た。その街にはグースの領主が住んでおり、彼はその屋敷へと助けを求めたのだ。


 領地の惨状を知った領主は、当然私兵を出したが、その中には領主の息子が含まれており、息兵としてではなく、父に私兵の統率を任されたためであった。


 こうして兵士達はグースへ辿り着くと、犠牲者を出しながらも魔物を倒し、村民は恐怖に震える日常から解放されることとなった。


 仕事を終え屋敷に帰還する兵士をよそに、領主の息子はただ一人グースに残った。


 それは父の監視から外れ久々に自由な時間を満喫したい思いと、将来引き継ぐであろう村で交流を深めたいとの考えからだった。


 村民も領主の息子である彼を手厚くもてなし、気を良くした彼は荒らされた畑の手入れや家の修復を手伝うなど誠実に接した。


 だが、ある晩彼は慣れない酒を振る舞われ、飲み方を知らないために酷く酔ってしまった彼は、千鳥足のまま夜風に当たろうと外へ出ると、一人の女が家の前に立っているのが目についた。


「こんばんは。あら、そんなに酔っぱらってダメじゃないの。お酒もほどほどにね」


 女は笑顔でそう言うと、家には行っていく。


 彼はまるでなにかに惹き付けられるかのようにふらふらと家の前まで行くと、静かに扉を開けた。


 眠っていた少女は母の悲鳴に起こされ、それから何かが一階で暴れる音を聴いた。少女は恐怖し耳を塞ぎじっと動けないでいると、いつしか静かになっていることに気がついた。


 それから勇気を振り絞りゆっくりと階段を降りる。部屋は無惨に荒らされ、少女はゆっくりと母の姿を探し始め、奥の部屋から物音がすることに気がつく。


「お母さん?」


 少女は壁から静かに顔をだし中を覗く。


 窓から覗くわずかな光が生気を失い倒れる母を照らし、見知らぬ男が夢中になって母に腰を打ち付け、その度に力なく母の体は揺れていた。


 それから程なくして少女の悲鳴を聞き付けた村人達によって彼は取り押さえられた。


 彼は雨のように暴力をぶつけられ死を覚悟したが、村人の誰一人も領主の息子を殺す勇気は持っていなかった。


 村人達は近くの教会へと助力を求め、神父は自分が間に入り彼の愚行を領主へと告げると約束し、激情に任せて人を手に掛けてはいけないと諌めた。


 そらから数日して、一人残された哀れな娘に言い渡されたのは、70000ギースと引き換えに彼を解放すると言う到底受け入れ難い条件であった。


 少女は激昂し、彼の死を望んだが、父はとうに魔物に食い殺され、領主に歯向かうほど無謀な村民もおらず、手を差し伸べてくれる大人は誰一人として居なかった。


 結局少女は、母の尊厳と命を買い叩かれ、去り行く男の背を強い復讐心胸に涙で溢れる瞳で、その姿が見えなくなってもずっと睨み続けるしかなかった。


 この少女こそ、他でもないルピである。


 ことの顛末を聞かされ、ケリーは涙を浮かべてスペイズは泣きながら鼻をかむ。


「こんな酷いことってあるか? なあ」


「ほんとに、今まで良く頑張ったわね。あとはこのメイドさんが全部解決してくれるからね」


「そんな、泣かないで下さい。でも、ありがとうございます」


 しんみりしたムードの中、すすり泣く声だけが響く。


 その渦中でマレイは一人いつの間にか奪い取ったシチューを延々と口に運んでいた。


「あー美味しかった。じゃ、達者でな」


 そう言って席を立とうとするマレイに待ったがかかる。


「ちょっとあんた今の話聞いてなかったの?!」


「聞いてたよ。かわいそうだなぁって思った」


「なら」


「同情もすると哀れんでもやるよ。だけど、今の話ってつまりはその領主の息子を殺せってことだろ? 冗談きついよ」


 横で聞いていたスペイズが怒りに震えながら拳でカウンターを殴る。このカウンターも今日ほど酷い扱いを受けた日は無いだろう。


「お前には人の心ってものが無いのか?! こんな理不尽極まりない話を聞いて助けてやろうとなぜ言えないのか! この娘の母の命をたったの70000ギースなんて端金で奪いやがって、こんな、こんなことがあるかよ?!」


「怒るか泣くかどっちかにしろよ。たく、しょうがないなぁ」


 マレイは乗り気のしない顔で、頭をかきながら傍らに置いていた鞄に手を掛けた。


 一つ布の包みを取り出しそれをほどくと、中からナイフが一つ顔を出し、それをルピへ渡した。


「それやるから、あとは頑張れな!」


 作り笑顔を浮かべるマレイの脳天に拳が降り注がれる。


「いってぇ! 何すんだよおっさん!」


「馬鹿野郎お前ふざけんのも大概にしろ!」


「ふざけてるわけあるか! 弱いものが強いものに喰われる、当たり前の話だろ。それが嫌なら自分が強くなるしかないだろ。違うか?」


「あ、あの、もう良いですから。やっぱり別の人に頼みます。これもお返しします」


 ルピはうつむきながらナイフを差し出す。


「ほら、こいつもそう言ってるしもういいだろ?」


「いいや良くないね。それじゃあ俺の気がすまない。マレイよく考えてみろ。これに成功すればお前は一気に70,000ギースという大金を手に入れられる。お前ら狩人が何年もかけてやっと得られる額だぞ」


「そりゃそうだけど、そのあと一生追われることになるじゃん。割に合わない合わない」


「そうか。お前がその気ならこっちにだって考えがある。もし、お前がこの依頼を受けずに帰るってんなら、二度とうちの酒場には入れん。出禁だ」


「はぁー?! それはズルいよ! 狩人が酒場に行けないならどこで仕事探せってんだよ! なあ考え直してよ」


 スペイズは胸の前で腕を組み、ふんぞり返ったまま何も言わない。その姿にマレイはたまらずケリーに助けを求める。


「なぁお前からもなんとか言ってくれよ」


「無理ね。こうなると父さんテコでも動かないんだから」


「そんな、別に私じゃなくたってあそこで間抜けな面晒しながら寝てる奴とかさぁ、誰かに殺らせればいいだろ? な?」


「それはダメよ。良い? 私達だって殺しの依頼の仲介をしたって知られたらヤバイんだし、あんたを信頼してるからこの話をしてるの。わかる? あんたみたいに腕の良いのなんてそう簡単にいるもんじゃないのよ」


 マレイは文句を言いそうになるが、予想外に褒められ喉から出かかったものを奥へと流し込む。


「あーもう、分かった分かった私の負け負け。いいよ殺るよ。そのかわりルピとか言ったっけか、お前、嘘だったら森に埋めるからな」


 右手の人差し指をルピの鼻先に突き付けながら、念を押すように言葉に力を込める。


「ありがとうございます!」


 ルピは深くお辞儀をすると、一つの目処が立ち安心したのかそれまで抑えていたものが溢れだしそうになる。


「今泣くとこじゃないだろ。それはまだとっとけ」


「は、はいすみません」


 溢れた涙を手で拭い、ルピは鼻をすすった。


「マレイ、言っとくが失敗したら許さんからな」


 スペイズはマレイを睨み付ける。


「はっ、馬鹿も休み休み言えよ。次に会うときは大金持ちなんだから、今のうちに媚売っとけよ」


「えー! そしたら私何買って貰おうかなぁ」


「帰ってくるまでに考えとけよ。よし、おいルピ、私は準備があるから出発は明日にする。昼にまたここで合流な」


「分かりました! 宜しくお願いします」


 マレイは席を立つと、ルピからナイフを受け取り酒場を後にした。


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