第2話 ああ愛しき酒場よ
「あーあ、まったく、あのヒステリーババァのせいで着替えられなかったじゃねぇか」
眼下で揺らめく黒いスカートを恨めしそうに握りしめ、ため息をつく。
「スカート嫌いなんだよなぁ落ち着かねぇし。我慢してたんだけどなぁ」
少女の目指す場所は、ゼペスから馬車で二日の距離にある商業都市ボーダユークスの外れにある。その辺りはゴロツキどもの溜まり場になっており、商業都市のスラム街と呼ばれていた。
そんな治安の終わっている場所で、少女は職と食を求めてふらついていた。
この辺りは昼でさえ街の人間は寄り付かない場所なのに加え、夜になればより一層物騒になる、常人はまず寄り付かない場所である。
そんなゴミ溜めのような路地裏を歩けば、日銭を握りしめ女を買う男、言葉にもなら無い怒鳴り声の応酬と殴り合う人などが、嫌でも目に入ってくる。
そんな法の領域の外側を、メイド姿の少女が一人で歩いていればどうなるかは想像に固くなかった。
けれども、荒くれ共は自分の欲求に集中しすぎているせいか、フリフリメイド姿の少女に目もくれない。
ようやく一人の酔っ払いが酒瓶片手に声をかけたと思えば
「おい! おめえマレイか?! なんだぁその格好は? 気でも違えたか! エハハハハ!!」
「うるっせぇ! 酒瓶で頭かち割るぞ!!」
と、口は悪いものの少女が居て当たり前だと言わんばかりのやり取りを繰り広げる。
そうこうしている内に陰険な路地を通り過ぎると、スラムでは珍しく、清掃の行き届いた軒先の店が現れる。
店の名前は文字がかすれて読めたものではなく、ぶら下がっている三本の引っ掻き傷を付けたような看板が唯一の目印となっている。
この場所こそ少女の目的地であった。
魔物を葬り、力で日銭を稼ぐ、その日暮らしの『狩人』が集う場所、通称酒場。少女はその扉に手を掛けた。
「いらっしゃーい!」
扉の開く音に合わせて、はつらつとした若い女性の声が店内に響き渡る。
店内は木の円卓が所狭しと置かれ、談笑する者や、酔い潰れた者が皿を枕にして突っ伏していたりと、テーブルマナーとは無縁の様相が広がる。
前掛けをしたウェイターは扉の方を見るでもなく、淡々と空いた皿やグラスを片付けて、運良く今日を生き延びた狩人達は、酔いに任せたガナリ声でウェイターを呼びつける。
部屋のすみにある掲示板に目をやると乱雑に紙に記された『依頼』が貼り付けられているのが見える。
『依頼』は街の住人から寄せられる仕事であり、赤ら顔の男達は乱暴にそれをひっぺがして仕事に向かうのだ。
ここに居る皆が皆、がさつで横暴で暴力を生き甲斐とする荒くれ者。その結末のほとんどは、大金目当てに身の丈に合わない依頼を受け、携えた武器と共に魔物の手によって無惨な眠りにつく。
そんなら命知らずの狩人達を前に、少女は円卓の間を顔色一つ変えず、すり抜けるように進みウェイターの後ろに立った。
「こんばんは、お嬢さん」
声をかけられウェイターは肩まで伸びた茶髪を勢い良く揺らしながら振り向く。
「......マレイ? マレイ! あんた生きてたの?!」
それまで荒くれ相手に淡々と仕事をこなしていたウェイターが、少女の顔を見て顔色を一変させる。
「まあね~。ケリーが寂しがってると思って帰ってきました」
「今マレイて言ったか?」
横で話を聞いていた狩人の一人が反応する。
「あの女なら死んだ筈だろ? 誰だ寝ぼけてるのは」
「おい、見てみろ。間違いねぇあの憎たらしいような顔つき、マレイだ!」
周りの狩人達もマレイと呼ばれる少女の登場に気がつき、徐々に談笑がざわめきに変わっていく。
「あんた今までどこに......。まあいい、カウンター空いてるわよ」
「お、サンキュー」
マレイは混雑した店内で唯一空いていた、向かって一番右端の壁際の席に座ろうとするが、丸椅子にうっすらホコリが膜を張っているのに気が付き、軽く手で払った。
「数ヶ月も姿を見せないし、もうとっくに死んだもんだと思ってたけど、肉付きと言い格好と言い随分と元気そうじゃない」
ケリーはカウンターに肘を立て不機嫌そうに顔を支える。
「似合うだろ? 唯一の戦利品さ」
マレイは両手でスカートの端をつまみ上げ、仰々しくお辞儀をする。
「全然。で、そのふざけた格好は何なのよ」
「怒るなよ。見て分かるだろメイド服。お嬢様、おケーキでもお食べになりますか? てな感じよ。オッホッホッホ!」
マレイは手の甲を頬に当てながらおどけて見せた。
「おい、メイドさんよぉ! そんならこっち来てお酌してくれや! おうらぁ」
後ろでやり取りを見ていた男からすかさず茶々が入り、ケリーが睨み付ける。
「あんたちょっと黙ってなさいよ! 追い出すわよ!」
「そいつぁ勘弁願いたいね」
店内が下品な笑い声に包まれる。
「それで、そのメイド服は?」
「実は、ちょっとした縁で一昨日まで屋敷でメイドやってたんよ。上手く転がり込んだまでは良かったんだけど、ババァがぶちギレて追い出された」
「あー......」
マレイの舐め腐った根性を知っているため、ケリーにはなんとなく察しがついた。
「ま、あんたみたいなのがメイドやってたこと自体おかしいんだから。どんな汚い手を使って気に入られたか知らないけど」
「人聞きが悪いなぁ。ちゃんと正規に雇われてたよ。あいつら馬車に護衛も乗せずに林道を走ってやがったみたいで、魔物に襲われてるとこをたまたま通りかかって助けてやったのよ」
「はぁん。それで腕を買われたって訳ね。で、馬鹿だからろくに仕事も出来ずに追い出されたと」
「馬鹿は余計だけど大体そんなとこ」
「屋敷で雇われてたんなら結構賃金も出たんじゃないの?」
「そりゃ勿論。でもぜーんぶ酒に使ってやった」
ケリーは呆れてため息をつく。
「やっぱり馬鹿じゃない」
罵倒こそするものの、ケリーは死んだと思っていた友人が帰ってきたことに、表には出さなくても気分は高揚していた。
「そうだ。私が最後に受注した依頼は? どうなった?」
「どうもこうも、あんたが指定した帰還日を過ぎてたから他に回したわよ」
「まじ? じゃあ報酬なし?」
「当たり前でしょ。死人に報酬は出ませんから」
金が手に入らないと分かりマレイは頭を抱えた。
「あーあ、たくっ! ただ働きかよ。他に依頼は?」
「ちょうど一段落ついたからろくなの残ってないわよ。そんなにお金ないの?」
「全然無い! まじでヤバイ」
「なら、他の酒場に行ってみれば?」
「それはそれでメンドイじゃん」
「わがまま言える状況じゃないでしょ」
その時、またもや扉の開く音が聞こえ、ケリーは視線を入り口にやると、怪訝な表情を見せた。
ケリーの異常に気が付きマレイも入り口に視線を移す。
そこに立っていたのは、こんな荒くれ共の巣窟には似つかわしくない赤髪の少女であった。
少女はここの雰囲気に怖じ気づき入り口から一歩を踏み出せないでいると、酔っ払いの男達に混じって、カウンターから視線を向ける女性の存在に気が付いた。
「おい嬢ちゃん! ここはお前みたいな子供の来るとこじゃねぇぜ!」
「こんなところで一人でいると、こわいおじさんに連れてかれちまうぜ? アッハッハッハッハ!」
男達は好き勝手に少女を脅し始め、それを肴に酒を飲む。
ますます恐怖を感じた少女は、進むでもなく帰ることすら出来なくなってしまった。
「こら! あんた達いい加減にしなさい! 貴女も突っ立ってないでこっちにいらっしゃいな」
ケリーは優しく笑顔を見せてカウンターに少女を招く。
少女は狩人達の視線に怯えながら、足早にカウンターまで来るとマレイの左後ろに立つ。
「あなたここがどういうところか知ってる口?」
「は、はい。あのここだったらお仕事をお願い出来るって聞いて」
少女が仕事を持ってきたと聞いて、それまでばか騒ぎを続けていた男達は、少しだけ声を抑えて聞き耳を立てる。
「お仕事のご依頼ですね。分かりました。ご依頼内容をお聞きいたしますので、こちらの席へどうぞ」
仕事の依頼だと分かると、狩人達に向けている態度から、一気に外様への対応へと態度を裏返す。
ケリーにマレイの真横の席を指定された少女であったが、そこには既に男が座っており困惑する。
「え、でも」
「ほらあんた早くどきな」
ケリーは男に向かって手で空を払う。
「なんだよ。しょうがねえな」
しぶしぶと席を変える男に少女はペコリと頭を下げる。
「それではまず、お名前とご依頼内容をお願いします」
ケリーは胸ポケットからメモを取り出す。
「えっと、私ルピっていいます。それで、お仕事なんですけど」
そこでなぜか少女は言い淀み、周りの視線を気にするような素振りを見せた。
「あの、その、私、殺して欲しい人がいるんです」
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