天使の遺物

猫護

第1話 クビになった女

 石のタイルが敷き詰められ、レンガ造りの建物が所狭しと建ち並ぶ、商業都市ゼペス。


 そんな商人達が軒を連ねる街で、一際大きな存在感を放っているキルグス家の屋敷で、悲鳴にも近い驚嘆の声が応接間に響いた。


「えぇぇぇぇぇぇ! クビってどういうことですか!!!」


 メイド姿の少女が、後ろで縛った青髪を揺らしながら目を丸くして、椅子から半分腰を浮かせて前のめりになっている。


 それを険しい顔でテーブル越しに受け止めるのは、この屋敷の主人の妻であった。


「どうもこうもありません。言葉の通り貴女には今日限りでメイドを辞めてもらうわ」


「いや、だってそんな急に~」


「急ではありません。これでもこの1ヶ月は我慢していたんですから」


 女のとりつく島もない態度に、メイド早々に白旗を上げ、代わりに女の隣に座る主人をターゲットにする。


「て、言ってますけど、ご主人様はそんなこと無いですよねぇ」


 このメイドは自分の顔が良いのを知っていて、猫なで声に上目遣いをマシマシに男の方へ詰め寄る。


「いや、まぁ、そのなんだ」


 いつもはこの手で窮地を乗り越えてきたのだが、今日の男の様子は明らかに違っていた。


「アナタもアナタです! こんなちょーっと若くてちょーーっと顔が良いからっていつもいつも鼻の下伸ばして、甘やかしてるから付け上がるんですよ! ここの主なら今日こそはきっちりキッパリ決めてくださいな!」


 男は煮え切らない態度を般若の形相で妻に詰め寄られ、覚悟を決めたように生唾を飲んだ。


「す、すまないが、ワタシも同意見なんだ。君には恩もあるしそれについては感謝しているが、どうしてもね」


「えー! そんなしっかり仕事はしてたじゃないっスか」


メイドはまるで友人にでも話しかけるように、適当に言葉を言い放つ。


「どの口が言うか! 用心棒兼お世話係にと息子につけたのに、掃除を頼めば余計に散らかし、挙げ句に物を壊す始末。飯炊きさえろくにできず酷いときには部屋で寝ていたじゃないの!」


 夫に向けた般若のままメイドを睨み付け、あまりの迫力にメイドは肩をすくめる。


「じゃあ、百歩譲ってメイドの仕事はしてなかったとして、用心棒はどうするんスか?」


「百歩って貴女......、まあいいわ。その心配なら無いわ。入ってらっしゃい!」


 女は大袈裟に手を二回叩くと、メイドの背面の扉が開きスラリと背筋を伸ばした初老のタキシード姿の男が姿を現す。


「紹介するわ。今日から用心棒兼お世話係として働いて頂く執事のベルトリートよ」


 用心棒と聞いてどんな筋骨隆々のむさい男が出てくるのかと身構えていたが、目に入ってきたのがどうみても戦闘向きではない細身の歳のいった男性であったため、メイドは思わず間抜けな顔で口を開く。


「いやぁ奥様、この爺さんじゃ無理でしょ」


 呆れた顔をしながら男に向かって指を差す。


 身長160cmにも満たなそうな小柄な少女が言えたことではないのだか、それでも女は眉一つ動かさず淡々と説明を始める。


「いいえ! 彼は幾つもの屋敷に仕え行く先々で死線を潜り抜けてきた正真正銘のバトラーよ」


「ご紹介に預かりましたバトラーです。以後お見知りおきを」


「残念だけれど彼女は今日で屋敷を去ってしまうから、お別れの挨拶をしてあげて頂戴」


「おおそれはなんと、失礼致しました。顔を合わせたばかりではありますが、新天地での貴女のご活躍をお祈り申し上げます」


 男は礼儀正しくお辞儀をして握手を求めると、メイドも釣られて手を握り返す。


「はあどうもご丁寧に。じゃなくて!」


つい柔和な空気に絆されてしまったが、調子を取り戻して女に食い下がる。


「なんと言おうと貴女は今日でお払い箱よ! それと貴女が勝手に家に出入りしてる外商から買い取っていたお酒も、持っていって頂戴ね」


「あ、それバレてたんスか」


「当たり前よ!」


「でも奥様ぁ、今追い出されたら困るんですよ~。お金無いし」


「そりゃ払ったお給料ぜーんぶお酒に費やしてるんですもの。それにもう貴女の奥様じゃないから知ったことじゃないわ」


「えー! そんな、慈悲くださいよ! あ、そうだあのあれ、退職金! あるでしょ? まさかないの?!」


 反省するどころか最後の最後まで金をせびるメイドの清々しいほどの屑っぷりに、女はいよいよ堪忍袋が切れ、いや爆発させて全身を震わせ紅潮し、テーブルを平手で打ち付けながら立ち上がると、部屋の扉を指差した。


「今すぐ出てけぇぇぇ!!!!」


 その叫びは屋敷中に響き、従業員達を震え上がらせた。


 そのまま追い立てられるようにして元メイドの少女は屋敷の外へと摘まみ出され、玄関の前で立ち尽くす。


「たく、あのババアヒステリーが過ぎんだよ。あーあ退職金も無いしどうすっかなぁ。あ、そうだ」


 少女は思い出したように屋敷の玄関を叩き始める。


「あのー! まだ部屋に私物が残ってるんですけど! すんませーん!」


 しつこいくらいに扉を叩き続け、それでも応答しないのに少し腹が立って、蹴りを入れてやろうと右足を上げる。


 そのとき、玄関の鍵の開く音が聞こえ、僅かに開かれた隙間から屋敷の主人がそっと顔を出す。


「すまないねぇ、こんなことになっちゃって。私としてはまだ働いていて欲しかったんだけど、どうしても妻がねぇ」


 申し訳無さそうに喋る主人であったが、少女の上げた右足が気になり目が止まる。


 少女はゆっくりと足を下ろすと、一つ咳払いをしたあと何事もなかったかのように話し始めた。


「ご主人~、なんとかならないんですか」


「そう言われても、妻にもきつく言われちゃったし、今回はどうにも。ああこれ荷物ね」


 そう言って隙間から手渡されたのは少女の鞄であった。


「あと、内緒だけど、日割りのお給料だけ入れておいたから、少ないけど頑張って」


「ご、ご主人~。ありがとうございます~」


「アナタ! そこで何してるの!」


 扉の奥からドスの効いた妻の声が聞こえ、男は小さく手を振りながら顔を引っ込めた。


 少女はやつれた顔で敷地の外まで出ると、辺りを見渡し鞄の中身を改め始める。


「封筒発見! どれどれ......」


 給料袋と思わしき封筒を手にすると、糊付けをビリビリに破り捨てる。


「ヒイフウミ、たったこんだけ?! おっさんもうちょっと頑張れよなぁ。まぁ帰りの運賃にはなるか......」


 実入りの少なさに落胆しつつ封筒を鞄にしまい、少女は次なる商業都市ボーダユークスを目指して大通りを歩き始めた。

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