第2話 郊外の死神

 ある若い死神がいた。彼は、生きていた頃に自らの死について深く苦しんだことも、生きていることの実感を感じたこともなかった。生に対して淡泊だったのだ。彼はある栄えた都市と国の郊外スラム育ちで、兄と二人暮らし、小さい頃から安いゴミ拾いの労働や怪しい仕事しかしらなかった。死後は死の世界で、悪さしか知らないために死神になり、死すべき人間を裁くようにいいわたされ、別の死神と二人一組で一つの区画を担当することになった。生前の記憶は朧気だがたしかに記憶のはしにある。徐々に記憶を取り戻したり忘れたりするのだが、この担当の区画は生前、自分たちが暮らしていたもしくは深くかかわりのあった区画だろうという記憶は確かにあった。都市の端、だれにも見向きもされぬ嫌われ者たちの区画である。


 彼の生前の楽しみは、人を驚かせることだった。ただ驚かせるというのではなく、いい風に驚かせることだ。楽しむことも、苦しむことも、いまいち理解ができなかった彼は、きっと彼には期待できないだろうと思われたことを、思わぬ形でやってのける。たとえば機械の修理だったり、食べられる植物の事だったり、難しい本の読み方だったりをしっていた。周りの人間はそれをほめるが彼自身は、すごいことだと思わなかった。スラムの中で、先人たちにおそわったり廃棄された本などを読み漁っていた彼にとって、彼の能力の出現は当然のことだった。


 彼の兄は、彼とはまるで正反対の存在だった。こころのタガが外れていて、何が正しく何が悪いことかを根本的に区別ができない。兄もまた生や死について深く考えたことがなく、故に他人の苦しみを知らなかった。弟は、むしろ他人の苦しみはこうだろうという仮説にばかり気を取られていたが……。兄はk、だから危ない仕事をたくさんした。マフィアの関係することさえもした。それで生前弟の死の間際、彼は弟の死に直接関係あるような事件をおこしたのだ。


 ペアになった死神とともに、仕事をしながらも、死神はその傍ら、自分の記憶をたどりっている。そんな毎日を過ごしていた。仕事の内容は死すべきものを死すべきときに殺すこと。死すべきものは、悪意を纏う。悪意とは延々とくりかえされる意図的なものであり、改善のない謝意のない反復行為だ。それをまとうものは死霊や生きるものたちに知らずに恨まれ、恨みや呪いや障りを蓄える。死神はそれが多く固まりになったものを、刈り取る責務を持つ。刈り取ると同時に魂に粘着した悪意は、魂を殺し、かられたものは命を落とす。若い死神はそんな仕事を続けつつどこかで焦りをもっていた。若い死神の兄もまた、人から多くそんな恨みをかっていたからだ。死霊とも生きるものたちともかかわらずあらゆるものからの恨みを、ただ一つの救いは、彼が正しさと過ちの区別がつかない純粋すぎる《悪》の持ち主だったことだ。彼はいつも、小さなころから、弟のためだけに悪事を働いてきたからだった。


 ある時そんな二人、若い死神とその兄との間に思いがけぬ接触が生まれた。兄はマフィアの子分からある男を殺せという命令をうけて、その男をこっそり1週間ほどつけて監視を続けていた。胸元に拳銃。暴発すれば恐ろしいことになるが、彼はその恐れさえも知らなかった。ある休日、男はいつも周囲に割腹のいい従者かボディーガードのようなものをつけて、高級車をのりまわしていたのだが、その日はある公園で車をとめ、女とともに、公園を散歩していた。

 《チャンスだ》

 と兄は思った。ここでしとめれば報酬がもらえる。そしていつかの失敗も《チャラ》にできる。そこで彼は拳銃を持った。


 若い死神はその場所をよくしっていた。その公園はかつて、戦争があった場所で多くの死霊がさまよっている。そんな場所で意味なく人を殺めれば多くの死霊の注目をあつめ、悪くすれば、彼はまた恨みをかい、いつか彼を自分の手で殺める日が来るかもしれない。と考えた。そんな弟の心配もしらず兄は標的の背後にしのびよる、木陰から、ゆっくりと拳銃の安全装置を解除し、スライドに手をかけた。


 死神はそんな彼の前にあゆみでる。

 『兄貴、こんなことはもうやめるんだ』

 『兄?』

 兄が驚いたのも無理はなかった、彼の前に現れたのは得たいの知れない黒い影で、生前の弟とは似ても似つかない姿をしていたからだ。

 『なぜ止める、こうしなければ“失敗”は取返しがつかないんだ』

 弟を生前悩ませていたのがこの《失敗》というキーワードだった。マフィアは意地悪く成功した仕事でさえ、細かいことに難癖をつけて、兄に『ツケ』といって脅し、報酬をしぶり、次の仕事をまかせるために失敗の穴埋めをしろと脅す。マフィアの手口だった。それを生前から弟はしっていたのだ。

 『あんたはもう“死神”にも“マフィア”にもマークされている、逃亡の資金をつくっておいたんだ、俺が死んだあと、俺の臓器を……』


 その時、彼をかばうという行動の中で若い死神は思い出したのだ。まるで記憶喪失の人間がかつての記憶を瞬時に思い出すように、かつて自分が人を脅かした時ふつふつとわきあがるアイデアが一瞬にして世界を包むのをかんじとったような感覚を彼は漢字だ。彼は死の直前、兄をどうにかしてマフィアの手から救おうと考えていた。逃走の資金を作ろうと考え、自分の臓器を売ることさえすれば、兄が救えるのだと思いこみ、そして住む家の近くの高いビルの屋上からとびおりた。彼は弟の死を悲しんだが、それより以前からよりもっと、深い悲しみにいた。両親に捨てられた時の記憶をもっていたからだ、自分はその時の記憶がない。まだ物心つく前だったから。兄は弟が悪事について咎めると、こういった。

 《この世界でもっとも悪い人間は俺たちの両親だ》

そんな風に、かつての事を思い出していると、兄は、目の前に現れた影をみて、わらった。


『驚かせやがって、お前は、だが間違いなくアイツだ、やつの死体がすっかりなくなっていたことを知っているのは、身近な人間だけ、お前は俺の弟だよ、すまない、埋葬もしてやれなかった、だが公園の裏手は墓地で、ここでは幽霊を見たという話しは日常茶飯事らしいが、まさか弟を見るなんて、自殺した弟を』

『兄貴、悪いことをやめるんだ、これは悪いことだ、兄貴はいい事と悪いことの区別がつかない』

『そんなことをいったって、ここで生きていくには、二人で生きていくには……金が必要で』

『俺が死んだのは、何も考えてなかったわけじゃない、逃亡の資金をつくったんだ、兄さんがマフィアから逃げられるように、交渉はしたしいくらかかねをつくって兄と縁をきるようにいったが無理だった、だから今度は逃げるんだここではない場所で生きるんだよ』

 

 そういって、弟は資金をもっているという信用のできる人間の名前を伝えた、彼が弟の、臓器を売った分の金をもっている。兄が自分の悪事に気づいたときに、その金を兄に渡すように伝えてあった。 

 『兄さん、愛してる』

 そうだ、弟は兄にその言葉を伝えた。そのとき、若い死神、弟の彼は死の苦しみをようやく理解した。感覚的なものではなく、ただ“何か大切なものが世界から奪われた感覚”だけがのこり、彼は自分は死んだのだと悟ったのだった。兄もまたはじめて《悪事》について理解して、その場で涙を流したのだった。

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