終話 魅惑の温泉
『ルーシア、隣町の町長がいらっしゃっている。お前も来なさい』
俺たち三人は魔女のゲイちゃんから目的の品を受け取り、ようやくアルヘム村に帰ってきていた。
到着するなり、ルーシアの両親であるデルクおじさんとステラおばさんに呼び止められる。
「パパ……分かったわ。すぐに着替えてくるわね」
『ミストくん、ごめんなさいね。ルーシアを連れて帰らせてもらうわ』
「あぁ、ステラおばさん。俺の方こそ勝手に連れていってごめん」
正直、俺はルーシアの両親が苦手だ。向こうも俺の事をあまりよく思っていないのだろうけど。
『さあ、帰るぞ』
「二人とも、ごめんね。夜にはまたミストの家に行くから。ローレライの事お願いね」
ぎこちなく俺たちに微笑み、ルーシアは踵を返した。両親の後ろを歩き、家に帰っていく。
「フフフ。ルーシア、私のお姉ちゃんみたい」
「……あぁ、そうだな」
微笑みながら手を振って見送るローレライ。こいつはまだ、ルーシアの家庭環境を知らないのかもしれない。
そして、ローレライと二人だけになった。よく考えたら二人きりになるのは初めてだ。まぁ、気にする事もないか。
「ねえ、久しぶりだね。二人きりなの」
思わずビクッと背筋を震わせ、一瞬驚いてしまった。久しぶりとはどういう事なのだろうか。
「覚えてない? 初めて会ったあの時以来だよ」
「あぁ、確かに。そう言われてみればそうだな」
そう返しながら、ローレライに振り向いた。なぜなのか頬を赤らめて下を向いている。
「でもまぁ、あの後すぐにルーシアが殴りに来たからな」
「フフフ、そうだったね。じゃあ、やっぱり今日が初めてだね」
「あぁ、だな」
「私ね、同じ年頃の男の子と、二人きりになったのも初めてなんだ」
ローレライが何を言いたいのか、何を考えているのか全く読めない。っつーか、なんか様子が変だな。
「ずっと家に閉じ込められてたんなら、まぁ、そうなるだろうな」
なんだろうか、この空気は。間がもたなすぎて気まずい。ルーシアが戻ってくるまでどうしたものか……。
「ねえ、ミスト。温泉……入りに行かない?」
「温泉? まだこんなに明るいのにか?」
空を見上げてそんな疑問を投げかける。陽は落ち始めているが、夕暮れという訳でもない。
「まぁ、たまには良いか。じゃあ付き合ってやるよ」
「うん、行こう」
一旦別れた俺は、家まで戻り着替えを取りに帰った。ローレライとは温泉宿の前で待ち合わせをする事になっている。
「父さん、母さん、泉入ってくるからな」
「おう! のぼせるなよ!」
「いってらっしゃーい! ミストちゃん!」
誰と入りに行くのか、特に訊かれなかったから二人には秘密にしておいた。また変な妄想されるし。
準備を終えて、すぐ温泉宿に到着すると、すでにローレライが宿の前で待っていた。
「悪い、遅くなった」
「ううん、平気だよ」
柔らかに微笑むローレライ。心なしか、ローレライの顔が、先ほどよりも火照ったように赤くなっている気がする。それに……なんだかぼーっとしてるような。もしや先に温泉に入っていたのかもしれない。
「いや、そんな訳はないか……」
「どうかした?」
「あぁ、もしかしてなんだけど熱でもある?」
そう尋ねながらローレライの額に手を当てる。おかしい。熱は無いな。
「どうしたの? 急に」
「悪い、俺の勘違いだった。ほら、行こうぜ」
そして二人で温泉宿の引き扉を開いた。
「館長さーん、お邪魔するぜー」
久々に訪れたアルヘム村の宿。
床は年期の入った床板で広葉樹のオークという木の木材を使用しているらしい。歩くとギシギシと音がするが、なかなか修繕する暇がないみたいだ。アルヘム村では唯一の宿泊施設だから、毎日のように利用客が来るからな。
今日も繁盛しているみたいで客の外靴がずらりと並んでいる。
俺たちも玄関で外靴を脱ぎ、用意されていた室内履きに履きかえる。ロビーに置いてある呼鈴を鳴らすと、整髪剤で綺麗な七三分けにした館長が奥から現れた。
『おや? ミストじゃないか? 君が温泉なんて珍しいね』
「あぁ、たまにはね。大人二人だといくらだっけ?」
『二名さまだね。地元民割引で銅貨四枚だよ。ゆっくりしていきなさい』
そして二人分の入湯料金を渡して早速大浴場へ向かった。ここの温泉宿は四ヵ所の浴場がある。内装に大した違いは無いらしいが。
ちなみに日によって男女の浴場が入れ変わるらしい。連泊する客の為のちょっとした気分転換にやっているのだろう。
「じゃあ、男湯はこっちだから。……また後でな」
「うん。また、後でね」
小さく手を振るローレライ。
「温泉かぁー。久しぶりだよなぁ。面倒だからいつも家の風呂だったけど……たまには悪くない」
脱衣場から外に出ると、花の香りが一面に立ち込めていた。やっぱり露天風呂は開放感を味わえて気持ちいい。
湯船に浸かる前にまずは身体を洗う事にした。それはもちろん、言わずとも知れた当然のマナーだから。
「っつーか、誰も温泉に入りに来てないな。この時間は貸切並みに空いてるって事か。……良い事知ったぜ」
「ううん、貸切にしたんだよ」
「おぉっ、そうなのか。気が利くな」
「でしょ?」
「 ……。」
一瞬、俺の思考が停止した。恐るおそる、後ろに振り返る。
「 ……。」
「お待たせ」
「……なんで?」
そこにはローレライが立っていた。
タオル一枚で身を包み、長い髪を結わえて持ち上げている。それはもう、青少年にはすさまじいほど衝撃の光景でしかない。
「……貸切に……した?」
「うん。今ね、館長さんに頼んできたんだよ」
「いやいやいや! それでも駄目だろ! っていうか俺、前、隠す、持って、無い……」
自然と片言になる俺。
「フフフ。何それ、面白いね」
微笑むローレライは両手でタオルの端を抑えながら近付いてきた。ゆっくりとしゃがみ、背中に手を置いてくる。
「ミストの背中って、硬くて、大きいんだね。逞しい」
「その表現やめて? 誤解されるから」
「誤解? でも、ルーシアの背中は柔らかかったんだよ」
「そ、そうか。俺はまぁ、男だからな」
気のせいなのか、ローレライの熱い吐息が微かに聞こえてくる。
「そうそう、ルーシアと言えばね。この間教えてくれたんだよ。友だちと温泉に入ったら、背中を流すものだって。だから、ミストの背中も洗ってあげるね」
「……マジ?」
「フフフ。……うん、まじ」
ルーシア、お前……。なかなかやるじゃねえか。
いやいや、駄目だ。もし
頭を抱え、そう心の中で葛藤をしてしまう。
その結果、俺が選んだ答えは。
「そうか。ならお言葉に甘えるか」
平静を装い、背中を流してもらうのを承諾した。
「うん。それじゃあ、準備するね」
そう言うとローレライは目の前で屈み、シャワーでタオルを濡らす。石鹸を滑らせるようにタオルに馴染ませ、泡立たせていく。
「 ……。」
その一部始終を瞳に焼き付けるように凝視する俺。それはもう、他の記憶を消去しても構わないくらいに。
「フフフ。何だか楽しいね」
目が合うと、純真な笑顔で微笑むローレライ。捲れかけたタオルからは、一六歳とは思えない立派な谷間を色作り、水を弾くほどの綺麗な太ももを動く度に際どく見え隠れさせている。
人はこれを、
……くっ、俺とした事が、ローレライを疑ってしまった。きっとこいつは長きに渡る軟禁生活のせいで、羞恥心の感覚がずれているに違いない。
本当のローレライは純真無垢な奴なんだ。あざとくなんか……ない! 俺が冷静にならなければ。
悟りの境地に達した俺は瞳を閉じ、合掌する。
「よし、これくらいで良いかな。できたよ」
「おぉ、良い泡立ち具合だ。上手いもんだな」
合掌したまま俺は言う。
「うん、そうでしょ」
再び背中へ移動するローレライ。
俺の背中に触れ、上から下へゆっくりと優しくタオルで撫でてくる。ローレライの小さな手が直に触れると、彼女の温もりが伝わってきた。なんだか安らぐように落ち着く。
「ミストとルーシアにはね、何度もお世話になってるから、何かお礼がしたかったんだ」
「あぁ、それで背中を流してくれてるのか。なんだ、気にする事ないぞ」
「うん、ありがとう」
……ここで改めて言っておきたい。今の俺は一糸纏わぬ産まれたままの姿だ。もしここで立ち上がれば、色々危ない事になる。
すなわち俺は、この場から一歩も動けない。
「……ミスト、終わったよ」
「あぁ、悪いな。じゃあ、そろそろ女湯に戻った方が良いぞ」
「 ……。」
一瞬、静寂が訪れる。
「……私も背中……流して欲しい」
……なに? いや、今のは俺の聞き間違いだ。
そうでないなら、それはそれでまずい。青少年として駄目だ。
「……マジっすか?」
「フフフ。まじっす」
「 ……。」
そうだ。友だちとしてだ。あくまで友だちとしてなら、俺に罪は無い。
「分かった。
「……うん!」
「よし! 任せろぉ!」
そしてローレライからタオルを借りて腰に巻いた。音速で脱衣場へ向かい、光速で新しいタオルを持って帰ってくる。
「待たせたな。これで洗ってやる……よ……」
ローレライはすでに椅子に座り、背中を向けていた。バスタオル一枚で待つローレライの後ろ姿に、思わず釘付けにされてしまう。
「ミスト、タオルあった?」
「……あっ、あぁ、あったぞ」
深く呼吸を整え、ローレライの後ろに座る。その時の俺は、ある事に気が付いてしまった。
背中を洗うには……。ローレライのバスタオルを外さないと……。
いや、俺たちは友だちだ。邪な気持ちなんて……。
無いっ!!
「じゃあ……行くからな」
「うん、お願いします」
ゴクリと息を飲み、俺の全身全霊を込めた
ガラガラガラ。
「ごめーん! 遅くなっちゃった! 館長さんにここだって聴いたわよー!」
全てをさらけ出し堂々と仁王立ちするルーシアが、そこにはいた。しかも満面の笑顔で。
「 ……。」
「 ……。」
ルーシアと見つめ合う俺。俺と見つめ合うルーシア。その二人の間だけ、時が止まる。
「ルーシア、お疲れさま」
穏やかに微笑み、奴を労うローレライ。
「なんで……なんであんたも入ってんのよーっ!!」
「いや、これには深い事情があってだな……って、おい! 話を聴けぇぇ!」
「氷の精霊フェンリル! 変態をぶち殺せぇ!
パキパキパキ!
ドゴォォーン!!
投げつけられた極大の氷槍が、瞬く間に俺の身体を凍り漬けにした。
「おい、ミスト。覚悟は……できてるんでしょうねぇーっ!!」
怒りと恥辱のあまり今の自分の姿を忘れたルーシア。なりふり構わず全力で疾走してきた。
「ルーシア! 隠せ隠せ! 見えてるって! ……おっ、胸、ちょっと大きくなったんじゃないか?」
「見てんじゃ……ないわよぉーっ!!」
バゴォォォォーンッ!!!
魔法で疾風を纏ったルーシアの右足に勢いよく蹴り飛ばされた。身動きのとれない俺は、なすがまま空の彼方へ飛び立つ。
『ママー! ミストにいちゃんが、こおってるよー? あー、はだかだー!』
『しっ! 見ちゃいけません。きっとまたルーシアちゃんにお仕置きされたのよ』
……くっ、なんて日だ。っつーか、誰か……助けて。
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