十五話 本当の私
あれ、おかしいな。
私、どうしちゃったんだろう。
「ぐす……ぐす……ごめんね。今、泣き止むから」
どれだけ拭っても止まらない涙。
悲しい訳じゃない。怪我が痛い訳でもない。
でも、涙が流れた分だけ、心が、青空のように澄み渡っていく。
「ミスト、ルーシア。本当はね、私はローラじゃないの。本当の名前は、ローレライなんだ。嘘を吐いて、ごめんなさい」
「うん、平気だよ。ゆっくりでいいから話して」
ルーシアの手が、そっと優しく肩に触れる。
「なぁ、これからはローレライって呼んだ方が良いか?」
額に手を当てながら、しきりに悩むミスト。
そんな彼に、私は微笑み返す。
「うん。二人には、本当の名前で呼んで欲しいかな」
小さく頷き、そう答える。
「あぁ、了解。けど今まで本名を隠してたんなら何か事情があるんだろ? 他の人の前ではローラって呼んだ方が良いって事だよな」
「……うん。冒険者ギルドも、『ローラ』で登録してるから」
本当の私を受け入れてくれた二人に、少しだけだけど、私の事を知ってもらいたかった。
今日まで人との関わりを断ってきた私。
でも、ミストとルーシアなら信頼しても良いんだ。
なんだか、そう確信できる。
「……私はね、半年前まで、王都ハルモニアで暮らしていたの」
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王都にいた頃は家が厳しくて。
毎日欠かさず何人もの先生から学業や剣術、政治を学んでいたんだ。
でも、敷地から外に出る事は許されなくて……。
講義が終わると、すぐに私のお部屋に閉じ込められていたの。
お父さまにも会えなくて……。
ずっと、独りで過ごす日々。
『ローレライさま、お誕生日おめでとうございます』
「はい、ありがとうございます」
その日は、私が七歳になった誕生日だった。
身の回りのお世話をしてくれている人たちが、たくさんのプレゼントや料理を運んできてくれた。
豪華なドレスに綺麗なアクセサリー、大きなぬいぐるみなんかもあったんだよ。
でもね、私が欲しかった物は一つも無かった。
ある日の夜、いつものようにお部屋から外の景色を眺めていたんだ。
窓の外には幾つもの灯りがゆらゆらと輝いていて、その数だけ人々の笑顔があった。
私の知らない世界があったんだ。
コツ……コツ。
その時、二つの石がテラスに落ちてきたんだ。
虹色の綺麗な色をしてたのを、今でも覚えているよ。
『ローレライ、今まで独りきりにしてしまって、ごめんなさい』
いつの間にか、テラスには大きな飛竜が舞い降りてきていたの。
窓には鍵がかかっていたから、私はただ見ている事しかできなかった。
でも、どうしてだろう。
不思議と怖くなかったんだよ。
「あなたは……だあれ?」
『私はオフィーリア。大丈夫、怖がらないで』
「うん。わたしはこわくないよ」
それから月に一度、夜になるとオフィーリアが遊びに来てくれた。
窓の鍵を壊して、こっそり私を外の世界に連れ出してくれたの。
「わあっ! きれいなまちあかり!」
「ウフフフ。危ないからしっかり掴まっているんですよ」
「はーい!」
街や湖、いろんな場所を見せてくれた。
本でしか知らなかった私に、本物の世界を教えてくれた。
彼女はね、飛竜だから……。
どこへでも飛んで連れて行ってくれたんだよ。
それがとても楽しくて……嬉しかった。
「ねえ、オフィーリア。私ね、この湖が大好きなんだ。なんだか……とても落ち着くの」
「そうなんですか。私も大好きよ。ここには楽しい思い出がたくさんあるから……」
「……オフィーリア?」
一五歳になった私は、変わらない生活を送っていた。
先生たちから講義を受けて、夕刻には自分のお部屋に戻って。
でもね……。
オフィーリアのお陰で私は乗り越えられたんだ。
少し前までの私は、ずっと悩んでいた。
いつまでこの生活を続けなければいけないのか。
出口の無い迷路に閉じ込められたみたいで、怖くて、哀しくて。
いっつも、オフィーリアに泣きついてたんだ。
『アーッハッハッハ! みーぃつけたぁ!!』
「あなたは……誰!?」
「ローレライ、下がっていなさい」
あの時、王都の近くにある湖で何者かに襲われたんだ。
でも、もちろんオフィーリアの方が強かったんだよ。
『くっ!!! この蜥蜴女がぁぁ!』
「さあ、これ以上怪我をしたくなければここから去りなさい」
『ヒヒヒヒ……なぁんちゃって』
「……! ローレライ、危ない!」
「えっ? きゃあっ!」
……足手まといだった私を庇ったせいで、オフィーリアは呪いの魔法をかけられてしまったんだ。
本当なら、私が受けるはずだったのに。
私が……湖に行きたいなんて言わなければ。
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私は、あの時の情景を鮮明に思い出してしまった。
膝の上に置いていた手をぐっと握り締め、少しの間、黙り込む。
そして、話を続けた。
「オフィーリアは最後に転移魔法を唱えて、私を家まで送り届けてくれたの。それからしばらくして、夜中に家を抜け出したんだ」
「オフィーリアさんに会う為?」
「うん。そして、彼女には呪いの魔法がかかっている事を知ったの。オフィーリアを助ける為に、いろんな街に行って、呪いを解く方法を探したんだ。やっと見つけた方法が、魔女さまが作ったエリクシールなんだよ」
「それがこの
「その依頼主にエリクシールを譲ってもらえないか頼まなかったのか?」
ミストの質問に、私は首を小さく横に振った。
「金貨三〇枚じゃないと、譲れないって言われて……」
「金貨三〇枚なんて払える訳ないじゃない! その人……それが分かってて言ってるのね!」
腕を組みながら怒りを露にするルーシア。
この国では銅貨一枚でパンが一つ買える。
金貨にもなると銅貨の一〇〇倍もの価値になるんだ。
「でも、悪い人じゃないよ。事情を話したら、
「まぁ、本来ならそんなに難しい
「うん。でも、二人のお陰で
改めて二人に頭を下げる。
「じゃあ、さっさと帰ってギルドに報告するか。っつーか、早く帰らないと母さんが発狂しそうだしな……」
そう言いながらミストは少し怠そうに立ち上がる。
飛び跳ねるように勢いよくルーシアも立ち上がった。
「ほら、帰るぞ」
「帰ろ。アルヘム村に」
二人が手を差し伸べてくれる。
その手が、なんだかとても嬉しい。
「うん!」
帰りの下り道は、足元が軽くてすぐに山の麓まで降りられた。
そこには、ハーシェルさんからお借りした二頭の馬が待っていてくれた。
早速、馬に跨がるミストとルーシア。
私はミストの後ろに乗った。
「じゃあ、飛ばすからな。しっかり掴まれ!」
「うん。離さないよ」
「はっしーん!」
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森林を越え、野原を駆け抜けた私たち。
あっという間にドリアスに到着した。
その頃には空はうっすらと赤く染まり、夕暮れになっていた。
ようやくギルドに戻った私は、ゆっくりと扉を開く。
「ローラさん! 無事だったんですね! お二人も、おかえりなさい!」
私たちの姿にすぐ気が付いたミーナさん。
受付中にも関わらず、慌てて駆け寄って来てくれた。
「遅くなってごめんなさい。ミーナさん、二人から話を聴きましたよ。ミーナさんのお陰で、
そして、帰還を喜び合った私たち。
しばらくして本題の達成報告をした。
「ローラさん、ミストさん、ルーシアさん。お疲れさまでした。これが報酬の銀貨三〇枚です」
手渡された布袋には、たくさんの銀貨が入っていた。
「この銀貨は、ミストとルーシアが受け取って」
振り返り、布袋を差し出す。
でも、二人は首を横に振った。
「それはローレライが使って」
「そうだな。お前いつも腹空かせてるから、その金は持っとけよ。っつーか、俺は欲しいものなんてないしなー」
そう言いながら、私の傍に来るミスト。
手を添えて、耳打ちで語りかける。
「ルーシアに渡すとすぐにお菓子代で使い果たすに決まってるんだ。……だからお前が持ってた方が一番有益なんだぜ」
あえてルーシアにも聞こえるようにミストが言う。
「ちょっと! そんなにお菓子ばっかり食べてないわ!」
当然、怒り出すルーシア。
魔力の杖を掲げてギルド中を駆け回り、ミストを追い回す。
フフフ。なんだか微笑ましい光景だね。
「そうだ。私にも買いたいものあったんだ。それに使わせてもらおうかな」
そして、私は受付台に振り返った。
「あの、報酬のエリクシールは、無いんですか?」
二人を見て微笑むミーナさんにもう一度声をかける。
「あぁっ!そうそう!」
思い出したように手を叩くミーナさん。
「エリクシールは直接受け取りに来て欲しいそうです。ついでに依頼の白トリカブトも一緒に持ってきて欲しいみたいですよ」
それを聴いてほっと一息吐き、胸を撫で下ろした。
なんと言っても本命はそっちだったから。
「分かりました。では明日、受け取りに行ってきます」
ガシャァン!
バキバキバキィッ!!!
『こんのガキャー! 俺の大事な酒割れたじゃねーか!!』
ドゴォォーン!!
ドグシャァッ!!
『ああっ! 俺の塩漬け肉がぁぁ! お前等いい加減にしろぉーっ!』
逃げ惑うミストと白熱したルーシアは、数々の悲劇を生んでいた。
「……あの、ミーナさん。私が代わりに、弁償します」
「はい。……お願いします」
私は早速、銀貨を八枚使った。
ごめんね、二人とも。
実はまだ、言えない事があるんだ。
時が来たら、ちゃんとお話するから。
それまで……もう少しだけ、一緒にいさせて。
だって、本当の事を話したら……。
きっと、一緒にはいられなくなるから。
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