第11話 知らない

 空は蒼を濃く深く塗りつぶしてゆく。時間とともに幹人の気持ちも鎮まりやがて疲れが見に染みて歩く感覚すら朧気となる。リリの家へと足をどうにか運んでゆく。幹人を出迎えたリリは申し訳なさそうな顔をして揺らめく幹人の身体を支えつつ、木を切って形を整えただけの簡単に仕上げられた椅子に座らせる。

 顔は近くて癖のある髪が幹人に触れる。それだけでまた、幹人の中に抑えきれない思いが湧いてくる。

「ごめんねリリ姉、なんだか俺ちょっとおかしいみたいで」

「気にしなくていいわ。ふふ、可愛らしいお顔」

 晩ごはん出すから待っててな、その言葉だけを残してリリはその場を去る。

 幹人の中には疑問が渦巻いていた。リリの誕生日はいつなのだろう、リリはどのような物が好きでどのような顔をして生きてどのような人生を歩んできたのだろう。どのような食べ物が好きでどのような色に心を動かされてどのような動物が好きなのだろうか。



 分からない、知りたい。


 何も分からない。


 全てを分かりたい。



 リリが持ってきた簡単な料理、それを口にする。疲れのせいか味がよく分からなくて。

 この料理に対してリリはどのような味を感じているのだろう、幹人に魔法を教えるとき何を思っていたのだろう、今まで一緒に見ていた景色はどのように映っていたのだろう。

 気になって仕方がない、同じ想いを得てみたい。


 幹人にとってこんな想いは初めてのことだった。


 やがて妙に味気ない食事を終えて、片付けはリリがすると言って寝るように催促したため幹人は先に床に就くことにした。

 リリは幹人の様子を心配そうに見つめていた。元気がなさそうでなにかを気にしているような表情にそんな感情を抱かずにはいられなかった。



  ☆



 辺りは闇、虫や動物、葉を揺らす木々だけが騒がしく鳴いている中で、全く異なる音、地面を規則正しいテンポで叩くような音、地を激しく揺さぶり跳躍する音、時に草を踏むような音。それが耳に届いて、幹人は目を開いた。

 何も見えない正真正銘の闇は、元の世界にいた時に見た闇の何よりも深く濃く、恐怖は這いずるように不気味に忍び寄る。幹人の指は細かく震え、心は大きく震え、身体は動かない。初めての暗闇に目は全く慣れようともせず、固まる身体は幹人の感情に対して正直すぎた。耳だけが冴え渡って足音の数が格段に増えていることを知った。それもまた、新たな恐怖へと変貌を遂げていた。

――怖い、でも動かないともしかしたら敵かも

 怯える頭は幹人の恐怖と戦い、幹人の心を叩いて叫び続ける。

――動け動け動け動いて動いてよ

 決意を胸に立ち上がり、ようやく足を進めて家のドアを開いた。

 外では地に灯る炎が微かな明かりとなって頼りなく辺りを照らしていた。そんな所で動き回っていたのは誰だろう。その姿、幹人のいた世界とは違ってあまり良い食事を摂っていないがためにやせ細っている身体を紺色のローブで包んでいるいつものあの魔女だった。

「……リリ姉?」

 様々な獣たちを追い回して楽しそうに遊んでいたリリは幹人がそこにいることに遅れて気が付いて手招きをする。近付くだけ、それだけで嬉しそうな顔をするリリのことが愛おしくて仕方がなかった。

「こんな夜分におはよう幹人」

「ええと……おはようリリ姉」

 頭に乗っているやけに耳の長いリスはリリの髪の中に隠れて見えなくなってしまったように思えた。しかし、幹人は見てしまった。リリの髪からリスの尻尾が生えている姿を。

「隠れきれてないよ」

 リリは闇の中妖しく微笑みながら飾り物となった柔らかでふさふさの尻尾を撫でる。

「そうだね、おーいリズ、目の前の男の子はキミの敵じゃあないぞ」

 リズ、その名前に思わず吹き出してしまう。

「リスのリズ、なんだね」

「そうそう、日本の最も北、近くのある国の手前くらいでそう呼んでたからちょうどいいなあって思わずつけてしまったよ」

 頭隠して尻隠さず、そんな言葉がお似合いなリズは柔らかな髪から頭を出して幹人を覗き込むように見つめていた。

「リズ、こっちだよ」

 幹人の優しい顔と声を視て、リズは幹人の元へと飛び移る。

「おっ、懐いたね」

 リズは幹人の頭に留まって静かな寝息を立て始めた。その様子をいやらしい笑みを浮かべながら見つめていたリリ。やがてひとつの提案を出した。

「そうだね、この子は魔獣なんだ、幹人が良けりゃあ一緒にいてあげて」

「はい、喜んで」

 幹人の笑顔は闇では隠し切れないほどに輝いていた。

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