第10話 お下がり
山の誤解はリリの言葉によって瞬く間に街中に広められ、真実が返り咲く。幹人はただその様子を眺めていた。肉の臭みの真実も血抜きの方法もなにもかもがリリから伝えられて街の人々はリリを褒め称えていた。ひとりを除いて。
幹人は街の中を歩いてゆく。リリは周囲の人々に捕まえられて身動きも取れずに幹人の方に困惑の目を向けていたが笑顔で手を振って去ってゆく。たかだか子どもひとりでは民衆の騒ぎなど収めようもなかった。
ひび割れた家を目の端に歩いて雑草の多い地面を踏みしめ歩いて、着いたそこには山でミカンを育てている老婆が立っていた。
「坊ちゃん、あなたのおかげでしょう」
「おかげだなんてそんな……」
老婆は薄汚れた布を差し出す。
「お礼にもならないかも知れないけど」
広げてみるとそれは現地の男物の服が二着。
「いいんですか」
訊ねる幹人に老婆は笑顔で答える。
「いいよ、いいんだよ。私の可愛い孫のものでね、あなたくらいの年だったかねえ、食べるものもなくて弱り果てて病で死んでしまって。息子やその妻も二十年も前に死んじゃってねえ」
老婆は言葉を紡ぎ続ける。
「私みたいに長生きする人は稀だとか凄いとか言うけど長く生きることがそんなに良いのか、訊かれたら返事に困ってしまうね」
老婆は幹人の頭を撫でて老婆は柔らかな微笑みで包み込む。
「孫も息子もその妻も友だちの魔女様も、みんな私を置いて行ってしまって寂しくて早く向こうに行きたくて苦しかったけど、あなたに会えたおかげでもう少し人生を歩んで生きて来た時のことをみんなに伝えようって思えて来たの。ありがとう」
優しい老婆のしわだらけの顔は笑顔で更にしわを増してゆく。幹人はそのしわが不幸と苦労によって築かれたものだと思っていたがどうやら幸せもまた、しわを刻み込んでいたようで、どこか嬉しく思えていた。
老婆の元を離れてすぐに森へと入り、手始めに幹人は着替えた。久々に男物の服を着ることができた、それだけで実家に帰ったような安心感が心を包む。
幹人は歩いて街の人だかりの中へと混ざり込み、押し寄せ波のように動きざわめく人々をかき分けてあの魔女の元へと向かう。リリは未だに街の人々に問い詰められてあることないこと答え続けていた。快晴の昼間に吹く質問の嵐、リリは頑張って作っていた笑顔では疲れを隠せなくなっていた。どうにか答え、異なる口から同じことを訊ねられ、ため息をついてふと目を向けた先にいた幹人に困った表情を向けていた。
幹人はリリの手を引いて細くて高い声でも周囲に伝わるように張り上げる。
「はいはい、リリ姉は朝からの山の調査で疲れてるのでまた後日」
人々を無理やり押しのけ進みゆく。迷いなく向かった先は森の中、リリの家へと向かって歩みを進める。
「あれ? 幹人ったらいつの間にやら新しい服を買ったんだね」
幹人は笑顔で答えた。
「山に行った時のおばあさんがお礼にってね」
「よかったね」
リリの声は冷たくて力がなかった。
「少し寝る、幹人も一緒にどう?」
幹人の脳裏に浮かぶリリの寝顔、そして隣りに自分がいるという状況。あくまでも想像、頭の中で勝手に繰り広げられているだけの茶番。
それらを振り切り幹人は頬を真っ赤に燃やしながら首を懸命に横に振る。
「そう……喜んでくれるかなって思ったんだけどなあ」
「魔法の練習に行ってきます」
それだけ残して心を冷ますべくリリの元を離れゆく。いつもよりも早い足の動きにリリは少しばかりの痛みを感じながら家の中へと入っていった。
進む幹人の頭は煮えたぎって、頭の中ではほんの少しの嬉しさと大きな恥ずかしさが踊り狂って花のように想いが綺麗に開いていた。
「なんなんだよ、もう! 添い寝なんてできないよ恥ずかしい」
その叫びを乗せて放つ魔法の数々はどれもこれもが荒々しくて不安定で危な気で。葉っぱを木から切り離し、魔女の薬に汚染されて角の生えたウサギを吹き飛ばして、幹人本人の皮膚を軽く裂いた。
「痛っ!」
感情はうまく操れず、魔法もまた、激しく暴れていた。それを知ってもなお幹人はその気持ちを紛らわすための気分転換として魔法を撃ちつける。
落ち着きのない魔法がここまで危ない物だと驚きつつもやめることはなく、ただただ放ち続けて砂のような食感のりんごもそれらをぶら下げる木々も揺らして傷つける。
幹人は初めて女性からの言葉で心を乱してどうすればいいのか分からなかった。ただどうにも落ち着かず、何かがしたい、できればこの衝動よりも大きなことを起こしてしまいたい、そんな想いは止まらず止められず、必要以上に暴れるだけ。
リリのことを想いたくない。
忘れてしまいたい。
でも思い続けていたい。
キミのこともこの気持ちも忘れたくない。
苦しい。
嬉しい。
見ていたい。
見ていられない。
キミが好きでここまで動揺する自分が嫌い。
大切な自分をここまで動揺させるキミが嫌い。
理性と感情の矛盾、矛盾は全てが好きな想いへの反発、嫌いだとどれだけ唱えたところで全て好きな気持ちの裏返し。魔女の魔力無き魔法にあてられていた。
幹人は、恋の魔法に夢中になっていた。
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