第7話 晩ごはん

 魔法の練習は日が顔を半分近く地の底に隠すまでの間ずっと続いていた。疲れ果てて腕は上がらず息を切らし、地に伏す。そんな幹人の腕を肩に回してリリは歩き出す。

「頑張ったね、今日もリリ姉が晩ごはんを作るから、召し上がれ」

 幹人の心に渦巻く不満が今にも破裂しそうだった。占領された村のものは使えない、街の外れでも栽培している小麦の粉を練り固めたものと人参を混ぜて炒めただけの代物が出てくるのだ。異世界日本育ちの幹人に言わせれば不満しかなかった。

「味付けがなあ」

 そう言いつつも我慢して口に放り込む。がまんするしかない。生きることに必死な街の人々に味付けの話など通じるものでもなければ調味料の調和という認識もあるのかどうか、それすら分からない。風の噂では村を隔てた大きな港町、王都から仕入れるのだそうだが、それもまた、村を占領した男たちが通行の妨げとなって輸送者はお手上げ状態となっていることに加えて王都のご立派な騎士たちは魔女の敗北の噂を聞いたようであろうことか盗賊たちから遠ざかるべく不干渉を貫いているのだという。

 国の情けなさに呆れつつ、どうにかがまんしてただ生きるために口に食べ物を運ぶ。朝に確認した店では砂糖や塩、胡椒が一週間分の食費と並ぶ高級品となっていた。突如価値を見い出されて売れなくなってしまった彼ら。売れ残っていつまでも店の商品として自宅待機の命令を出されたように外に出られないということはやはり味付けなど二の次、どれだけの手をかけたとしても日本にいたころのような料理など出てくるはずもなかった。

「貧乏でも豊かな方だったんだなあ」

 思い返して改めてそう思えていた。裕福ではなく誕生日以外は玩具のひとつも買ってもらえず、こづかいも中学生で月千円以外には出なかったものの、今と比べれば貴族気分だった。

「どうしたの?」

 リリの疑問に幹人は優しく答える。

「元の世界は豊かな人がたくさんいてさ、食べ物もすごく美味しくて時期も選ばずに食べられるものまであって……贅沢だったんだなあって思って」

「そう……」

 真顔で食事をしていたリリの顔に影が差す。口元は横に開かれていた。

「見せてほしいものね、その味。未来の料理をこの世界を旅してきた私に」

 頷くことなどできなかった。食材調味料調理器具、なにもかもが足りなくて。

「水はある、薪も足りる、他になにか必要なものは?」

 リリの問いに幹人は口を開いた。

「食材と調味料、塩こしょうと砂糖としょうゆは欲しい」

 無理難題である。リリは首を傾けて真っ白な表情をしていた。

「しょうゆ?」

「ごめん、日本の調味料で大豆から作るもの」

「大豆は……ムリねえ」

 実に質素な食事を済ませて次の朝、隣りで眠るリリの意識をここまで呼び戻さないように慎重に起き上がり、ナイフを手にそのまま外へと出て行った。薄暗い空は静かな空気に馴染んでいて、温かな外の中、心地よさを感じながら村の反対方向へ、街の外れまで走ってゆく。改めて感じる濁りのない澄んだ空気は優しくて美しい。

 街と山の間、そこに広がる畑の中、男は幹人の姿を確認して近付いてきた。

「おお、リリ嬢の弟くんじゃないか」

 その男は馴れ馴れしく肩に手を置く。

「どうしたんだ?」

 訊ねる男に幹人はしっかりと答えた。

「肉でも手に入れようかと山まで行きます」

 男は目を見開いて大袈裟に手を振る。

「やめとけやめとけ。あそこで獲れる肉なんて臭いし食えたものじゃねえよ。多分土地が悪いんだろうな」

 では、そこから運ばれて来た水を美味しそうにいただく様子を見せるのはいかがなものでしょうか。そう訊ねたくなったものの、どうにか口に出さないように抑え込んで笑顔を演出して歩いてゆく。広がる畑、その景色に心を打たれつつ綺麗な世界を渡りながら山へと足を踏み入れた。

 山の麓へと向かって静けさと耳を優しくつつくように響く小鳥の鳴き声は静かな心を静かなまま動かさない。山の麓で幹人は探していた。葉を踏み木を伝い、ついでに見つけたトウガラシを元の世界の制服のポロシャツを縛って作った袋に仕舞う。

「調味料として使われてないのか」

 疑問を抱きながらも狙いのものを探る。木になっているりんごを風でもぎ取ってひと口かじる。貧相ですっぱい果実はそれが文明の差だと示していた。

「美味しい、これなら食べられるな」

 貧相に育った赤い果実をいくつか手繰り寄せて、進む。途中で見かけた黄色の果実、みかんの実る木々の並んだ畑をみて立ち止まる。それは明らかに人の手の加えられたもの。

「もしかして、土地が悪いとか言い始めたの、最近?」

「そうだよ」

 後ろから届いてきたしわがれた優しい声に今にも飛び跳ねそうな衝撃を受けながら振り返る。そこにいたのは腰の曲がった年老いた女、ところどころが破れたみすぼらしい服を着て大きなはさみをもっていた。恐らくこのみかんの木々の育つさまを生ある歴史の中で見守っていたのだろう。

 老婆は笑いながら言った。

「どうかな、みかんの木は。立派だろう? 向こうの村が襲われるまでは売っていたのさ」

 話によれば魔女さま、リリの母親と一度だけ旅行をしたのだという。旅先で食べたミカンの味に頬を赤くして、帰ったらすぐさま植えるのだと張り切るほどに惚れ込んでいたようで。

「今ではかわいい孫みたいなものさ」

 そう語って笑う。優しさの中に秘めた強さ、それに憧れる幹人だったが、どうにもいい事ばかりではないのだそう。村が襲われて村人たちが王都の方へと逃げたが為に孤立してしまった街で、肉が恋しくなった人々が動物を狩って街へと持ち帰ったことがあったそうだ。住人たちは喜びの声を上げ、歌いながら肉を捌いたのだという。それからのひと口、次の言葉は肉の臭みへの恨み言、その矛先は獣たちを育て上げた山の土地に向いたのだという。

「今では悪い土地のものは売ることができないからねえ。私が食べられる分だけに減らすしかないみたい」

「孫のように可愛がってるのにですか」

 老婆の目には涙が浮かんでいた。幹人にはそのあまりにも重たすぎる涙を見ていることが耐えられなかった。

「分かりました、絶対に誤解なのでそれを解いて真実を伝えます」

 悪しき風聞、幹人の小さな風で清めることなどできるのだろうか。分からなくとも、立ち止まるつもりなど欠片ほどにもありはしなかった。

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