第8話 狩り
森の中を進み、肉を求めて駆けてゆく。老婆からの話を思い返す。リリの母は優しくて強くて偉大な魔女だった、それは街に住む誰もが知っていたことだったのだという。そうした話故に、偉大な魔女が死したという噂に誰もが耳を疑い、ウワサが事実だったことを知るや否や、盗賊の中に脅威的な力を持った魔法使いがいるのだと噂されているのだという。
噂は死して新たな噂を生んだのだ。
「あのおばあさんいい人だったなあ」
ぽつりとこぼれた言葉はやる気をみなぎらせる。老婆からもらったみかんをひとつ握っていた。走りながら皮をむいて、一粒口へと放り込む。広がる豊かな酸味と優しい甘み。元の世界のものと比べてみれば酸っぱい果実だが、品種改良を加えなければ果物自体このようなものが多いのだろう。
「美味しい、絶対に誤解を解いてやる」
リリに美味しいものを振る舞う為に山に出かけたはずが風聞のひとつとの闘いへとすり替わっていた。
幹人は引き続き駆けてゆく。事実など分かり切っていた。街へ持って帰ったあとで捌いた。つまり血を抜くのが遅かったのだろう。それでは食べさせないぞと言わぬばかりに臭みが増してしまう。喜んで口にすることなど到底叶わない。
仕入れ先はしっかりと血抜きをして持ってきていたのだろう、無知の罪である。
そこまで分かってしまえば元の世界ほどではなくとも美味しく肉を食べられる、そんな確信を胸に秘めて心を沸かせながら得物を構えて獲物を探す。きっと戦いのために使うのは魔法、川の近くまで運ぶのも魔法、しかし便利なものでも万能などありはしなくて、肝心の作業は手作業でしか成しえない。
行程を頭の中に刻み込みつつ探していたところ、少し奥まで行ってようやくイノシシを見つけた。しかし、牙は禍々しい模様が入っていて毛は茶色と薄茶が縞を描いた姿、幹人の知るイノシシとは全くもって異なる。知っているものと比べてみてもただ恐怖が踊り狂うだけ。
決意、それを形に変えてイノシシに突撃を開始する。風を練り込みひとつに纏めてイノシシが幹人の姿に気が付いて。
イノシシの突撃が始まり幹人はそれでも肉薄してゆく。
イノシシとの距離を詰め、纏められた風を解き放つ。風はイノシシの身体を貫いて、魂を吹き飛ばして地面に叩きつける。
絶命したことを確かめたのち、幹人は急いでイノシシを川へと運び、首にナイフを突き立て血を抜いて。流れる血を眺め、幹人は疲れを知った。魔法の扱いは慣れていないようで、初めての戦いは余裕を持ってカッコよくとは行かないという現実を叩きつけられてそっとため息をつく。
「休むわけにはいかないしなあ、疲れたけど」
リリに食事を振る舞うまで、その時まで、まだまだ遠きゴールまでもう少し。そのもう少しが長すぎてため息はまだまだこぼれ落ちる。
イノシシの身体を川で洗って肉にナイフを入れて開いてゆく。内臓を傷つけてしまえば全てが台無し。言葉にすれば簡単、しかしながら行なうことはあまりにも難しい。慎重に内臓を取り出して捨てる。その工程に心をかけ、疲弊してゆく。続いて風で肉を運ぶ。持ち帰りが終わりではなくて、それを思うだけでなかなかに苦しくて仕方がなかった。森の家まで帰ると待っていたのはりんごをかじるリリの姿。
「リリ姉ただいま」
リリは言葉を聞き取って顔を上げ、目を見開いた。
「なにそのイノシシ、凄いよ幹人」
幹人は得意げに笑った。
「リリ姉から魔法を教えてもらったからね、毛皮で服作れない?」
リリは目を伏せて首を横に振る。
「生地から作るのは私の分野じゃないね、街の人たちも……ここは鍛冶と小麦と魔女による木の簡単な加工くらいしかないからねえ」
服を作るのは隣りの村か王都とのことだった。つまるところ、村と街は役割を背負って、王都は一応全てそろっているのだという。
「それで間の村が支配されて貧困に」
リリは頷く。
「残念ながらこの街ではお金の数字くらいしか理解していない人が殆ど。文字まで分かるのは私くらいかしら」
協力関係によって文化の発展が止まってしまった村と街の弱点が垣間見えた苦しい時期、今がそうだと語った。
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