591.温かいね〜ソビエッシュside

『どうしようか。

なんの感慨も浮かばない。

実の……母親なのにね』


 深夜。

流民達が出港した船を見送るのは、私の婚約者、ベルジャンヌベル


 これは新たな記憶ができた事で薄らいだ、私の大切な……生涯忘れたくない記憶だ。


『……うん』


 返事をしたのは、ベルの肩に乗る小狐、キャスケット。


 流民達はロベニア国内で受けた温情への感謝として、治水工事を手伝った。


 彼らが帰国する為に乗った船は、そんな隣国の友人達の素晴らしい気持ちに報いる、感謝の証としてロベニア国が手配した。


 というのは、名ばかりの建前。


 真実は、ロベニア国がベル1人に病と治水に関する責任と対応を押しつけ、流民達には強制労働を強いた。


 結局、流民達をあらゆる悪意からも、病からも守ったのはベル。


 治水工事を最短で終わらた上で、流民達の体調管理に気を配ったのも、ベル。


 ベル1人に対処させ、功績だけを国がかすめ取った。


 唯一の救いは、婚約者であるベルを想った私が、父親から引き継いだ商団の商船に空きを作り、急きょ手配させた船だという事くらいだ。


 そう、急きょ。


 オルバンスもスリアーダも、私がベルに便宜を図ろうとすると、邪魔をしてくる。


 国家権力に加え、スリアーダとエビアスの後ろ盾である、四大公爵家のアッシェも邪魔をしてくるのだから、質が悪い。


 ベルに手を貸すなら、邪魔者達の不意を突くしかない。


 それでも今回、四大公爵家の他の二家。

ベリード家とニルティ家が、秘密裏に協力してきたからこそ、流民達の一斉移動が今日この日、深夜に成功した。


 オルバンスもスリアーダも、もしかするとアッシェ公爵も、流民達を更に長く使役しようと考えていたはずだ。


 ただし私に接触してきたのは、学園の最終学年となったベリード公女とニルティ公女だ。

各家が関わった事が、決して表沙汰にならないようにする狙いからだと、容易に想像できる。


 何にしても、助かった。


 国が数ヶ月後に手配予定の船。

下手をすれば、隣国にたどり着く前に沈没しかねないボロ船だった。


 大方、流民達が隣国にたどり着くまで、継続的にベルの魔力を使わせようとしたんだろう。

オルバンスとスリアーダの悪意しか感じられない。


 あわよくば、ベルが魔力枯渇で苦しみながら死ぬ。

もしくはベルの魔力が枯渇したところに、暗殺者を差し向けようとしていたに違いない。


 ただ、普段は傍観を決めこむベリード家とニルティ家の当主達。

今回二家が手を貸し、流民達が出港する1番良いタイミングを伝えてきた理由が気になる。


 それに、私の父親であるロブール家当主。

普段、私が表立ってベルを助けようとすると邪魔をしてくるのに、あえて見逃していたのは気づいている。


 その理由……1つ思い当たるのは、ベルの母親だ。


 ベルの母親、アシュリー=チェリアと、私の亡くなった母親は親友だったと聞いている。


 それに3人の当主達とアシュリーは、オルバンスと同世代。

つまりとベリード家とニルティ家、両当主共にベルの母親と面識があり、好意に近い感情があったのではないだろうか。


 こじつけたような、都合良く考えすぎた理由だ。

感情より理性と家の利益を優先する各当主達が、好意に近い感情を優先するなど、普通は考えられない。


 なのに今回だけは三家の当主達の、何らかの好意しか感じられない。

正直、それ以外に思い当たる事がないのが現実だ。


『でも……初めて見たあの時。

菫色の瞳は綺麗だと思えたよ』


 思案しながらも、ベルの一挙一投足を決して見逃さないと視線は外さない。


 愛しいベル。

感情が乏しくとも、その感情が何なのか自覚できていなくとも、ベルの中には確かな人間性が存在している。


『その後、泣き叫ぶアシュリーに生まれを否定されたよ?』

『そうだね。

だからアシュリー自身への興味はなくなったんだ。

ただ私が自分の生んだ娘だと、そう理解する前に見せたあの瞳は……綺麗だったな』

『ベル……』


 キャスケットは、かける言葉が見つからないようだ。


『それだけで、もう良いかと思ってしまったんだ。

言いたい事はあった気がする。

失望?

それに近い何かを感じたとは思う。

それでも……もう良いと思えた。

きっとピヴィエラのお陰。

彼女は私を助けただけじゃなく、ちゃんと生きる為の知識と知恵を授けてくれた。

ラグォンドルとの間にできた子供達への愛情を私にも見せて、普通の親子がどんなものか教えてくれた。

それに成り行きもあっただろうけど、私を信じて卵を託してくれた。

それから……キャスケット。

君が私の代わりにずっと、本当にずっと、たくさんの感情を見せてくれたお陰』


 月光に照らされるベルは、静かに微笑む。


 藍色の瞳にほのかに郷愁めいた何かを見せるものの、滅多に見せない微笑み。


 きっとベルは嘘偽りなく、母親に対して、もう良いと赦している。


 それは諦めとは少し異なるもので……見返りを求めない、親が子供に与える、無償の愛のようだった。

親子の立場が逆ではあったが。


『ベル』


 いても立ってもいられず、私は声をかけて、歩み寄る。


 思っていた通り、キャスケットが消えるがそんな事はどうでも良い。


 私はそのまま、ベルを抱きしめた。


『……エッシュ?』


 ベルの中で自覚されないだろう虚しさ、寂しさを少しでも和らげたくて。


『…………温かいね』


 ただ無言で抱きしめ続ける私に、ベルがそう独り言ちても、ずっと。

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