587.王女と妹の微笑み〜ミハイル視点

「ベルジャンヌ様!」

「ベル!」


 ブローチが視せた悪魔とヒュシス教の起源を思い出していれば、不意に聞いた事のある声が近くで聞こえた。


 気づけば、夜明けか?

顔を覗かせつつある太陽。

その反対には沈みつつある月。

月は満月から、ほんのり欠けているように見えなくもない。


 声が気になって、聞こえた方へと歩いて行く。


「ベルジャンヌ、無理をしすぎね」


 この声、ロウ爺を介して視た、聖獣ドラゴレナか?

茂みのすぐ向こうだな。


 濃い魔力の残渣も視えるから、誰かがかなりの魔力を使って魔法を発現したに違いない。


 音を立てないように茂みの向こうを覗けば、ベルジャンヌ王女が座りこんでいた。


 王女の横にいた、心配そうな顔をしているのは2つの影。

ラグォンドルとシャローナだ。


 ん?

王女の頭にいるのは……手の平より少し大きいサイズのアルラウネ、いや、ドラゴレナか。


 ドラゴレナは冷めた表情で王女の頭上に座り、足を交差して組んでいる。


 王女の真っ青な顔色から、とうに限界を迎えていると察せられた。

それでも倒れこまないとは。


 無理をする事に慣れすぎだ。


「ありがとう、ドラゴレナ。

この甘い匂い。

体力を回復させる効果があるやつだね」


 香りなどしているか?


 全く感じられない……それはそうか。

今の俺は、幻影を視ているに過ぎない。


 恐らく状況的には、ロウ爺を転移させた後?

俺が船で視たロウ爺の記憶に出ていた月。

同じ大きさの月の沈みが、僅かに進んでいる。


 ドラゴレナも含め、このメンバーが一同に介する機会を考えれば、自ずとそう判断せざるを得ない。


「あの……ベルジャンヌ様、祖父の事、ありがとうございました。

ドラゴレナ様も。

祖父は私といなければ殺され……いえ、死んでいたはず」

「でも結局、死んだ事になってしまった。

祖父を奪う形になって、ごめんね」


 シャローナが言い直したのは、祖父を殺そうとしたのが、身分制度の頂点に君臨する国王だからだろう。


 そんなシャローナに、無表情な王女は謝る。

王女を知らない人間からすれば、全く悪びれていないように見えてしまうだろう。


 もちろん王女と直接接したからこそ、俺は王女の言葉が本心からだとわかっている。


「ふん、ベルが謝る必要などない。

俺からすればベルの母親だって、血を分けた子供にする態度じゃない」


 対してラグォンドルは怒っているな。


 孤独の箱庭以降、王女とラグォンドルが接するのを見たのは初めてだ。

孤独の箱庭で王女との契約を拒絶し、暴れていた竜の姿が、見る影もない。

随分、王女へと情を移している。


 王女寄りの者からすれば確かに、アシュリーの態度は母親としてあるまじき態度。


 しかしアシュリーの立場を知ると……。


「良いんだ。

私もアシュリーを母親として、認識していない。

ただ、アシュリーの菫色の瞳。

初めて見た時から、綺麗だと思ってた。

正面から見てはいないけど、また見れたから、それで良い」

「ベルジャンヌ様……」


 何か言いたげなシャローナは、王女の気持ちを本能的に感じとっているのかもしれない。


 王女からは再び郷愁めいた感情の色が視えるのに、王女はそんな感情自体、自覚できていないのではないだろうか。


 恐ろしく情緒がない王女。

けれどそうでなければ気を病み、死を選んでしまいかねない。


 過去へ来て初めて、王女の生きる環境を知った。

どれだけ過酷で、大人達の身勝手な悪意に振り回された人生。


 そりゃ、疲れるよな。


 俺のいた元の時代。

教会の地下で、教皇となったリリを介して知った、王女の最期の姿。


 疲れきっていた。


「本当に綺麗だったよ。

だから躊躇なく手放せたんだ」


 そう言った王女を、朝日が照らし始めた。


 その顔を見た俺は、息を呑む。


 初めて目にした王女の表情。

優しく微笑んでいるこの顔が、妹であるラビアンジェが時折見せる微笑みと同じに見えたから。


 そう思った時、クラリと目が回り始めた。


「またか」


 さすがに3度目ともなれば、冷静さを失わない。


 もっとも、激しくなっていく目眩に、意識を保つのが難しくなる事への不快感は慣れないが。


 体がグラリと傾く。

倒れる直前、王女と、いや、妹と目が合ったように感じた。

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