385.黒い煙〜レジルスside

「言ったでしょう。

あなた方が私の大切な方の尊厳を踏みにじり、未だに権勢を奮う事が許せないのです」


 ミハイルの言葉に静かに答える教皇。


 良く見れば、教皇から黒い煙のような物が立ち昇っていないか?


「そうか。

本来なら聖属性となる魅了魔法が、何故こんなにも禍々しく変容し、闇属性のような隷属性を持っている?

お陰で解除はできたが」


 もしかしたら、あの屋上での幽霊事件でミハイルは闇属性の適性が鍛えられ、高まっていたのかもしれない。

だから魅了魔法に捕らえられながらも、自力解除できたり、魔力から何かしらを読み取った?


 しかし人の魔力が変容?

ミハイルのように、適性度が変わったわけでもなく?

そんな事が起こるものだろうか?


 確かに教皇の魅了は隷属性を持っているとも言える。

本来の魅了は違和感なく自然と相手の心を開き、好意的にさせるが、教皇のそれは違和感を与えていた。


 強制的な歓喜の感情を膨らませ、同時に己の意志を乗っ取られる感覚すらあった。

だが本来は違う。

あくまで自然に湧き上がる歓喜に、行動が伴ってくるものなのだ。


「ふ……貴方の魔力の中の、闇属性の適性が高いからこそ、気づいたと?」

「……ああ。

貴方の魔力は禍々しく、刺々とげとげしい。

しかし同時に寒々しく、痛々しくもある」


 何だ?

ミハイルの言葉とその瞳には、憂いが宿っている。


「あの少女が……ベルジャンヌ王女、だったのか?」


 ああ、そうか。

もしかしたらミハイルは己の内に干渉してきた教皇の魔力に、逆に干渉したのだろう。


 そういえば、もう魅了の力は感じない。

干渉し、跳ね返したミハイルがその力を封じたようだ。


 そしてその際、教皇の記憶を垣間見たのかもしれない。


 闇属性の適性が高い者は、魔力が不安定になると無意識に相手の魔力から当人の精神へと干渉してしまう事がある。

短期間に闇属性の適性度が高まり、精度の高い魅了に抗う事で不安定さを増したようだ。


 それにしてもミハイルは信じられない何かを見て、しかし受け入れきれないような、そんな表情をしている。

一体、何を見た?


 教皇はそれまで微笑みを浮かべていたが、ミハイルが言い終わった途端、表情が抜け落ちた。


 その体から立ち昇る黒い煙が、更に濃くなる。

一体あの煙は何だ?

魔力が可視化されていると取れなくもないが、しかし闇属性の魔力とも違う。

まるで……。


「ふ……婚約者でありながら、あの方の本当の姿を知ってもなお、傍観していた男の孫が……」


 その言葉には怒りが滲み、黒い煙は教皇に取りこまれては黒さを増す。


 まるで……そう、まるで数か月前の男子寮の近くで、公女が全身黒タイツと、ヘインズの魔力塊に出入りしていた負の感情を含んだ魔力のようだ。


 ちなみにあの時のうっとりした藍色の瞳は決して忘れない。

俺ではない誰かに向けられたと気づいた時の、内に湧き上がったドス黒い嫉妬共々、忘れない。


 それにしても、やはり教皇は悲劇の王女ベルジャンヌを良く知り、好意を抱いて……いや、違う。

恋焦がれていると言うべきか?


「その名を口にしないでいただきたい。

ほら、仮にもあなたの息子でしょう。

いつまでそんな出来の悪い光矢に、足止めされているんです?」


 怒りを膨らませた教皇が、元夫人に凍える眼差しを向けた。


 黒い煙がふっと揺らぐ。

すると緑の体に刺さり地面に縫い留めていた幾本もの光矢が消える。


「……あ……ああ……私、は……」


 元夫人は、まるで自我を取り戻したように、絶望した顔を息子であるミハイルに向ける。

聖属性の光矢が自我を癒やし、幾らかの記憶を取り戻させたらしい。


「嫌よ……こんな……助け…………ああ……おなか、すいた……違う……助け……にげ、なきゃ」


 初めはミハイルと同じ菫色の瞳に自我を取り戻したかのような光が灯っていた。

しかし次第に本能からくる欲求と逃走に従い始め……。


「結局、私の研究を盗み見ただけのジャビが作った物は、役に立たないようです。

無力な子供を長らく虐げるような女など、いつの時代も害悪でしかありませんね」


 教皇は誰かに重ねるような物言いの後……。


「苦しんでから、死ね」


 そう宣言して、光槍を1本放つ。

聖属性の光槍のはずが、属性はそのままのはずなのに、毒々しい赤黒さを孕んでいた。

これが変容というやつか?


「チッ」


 舌打ちしたミハイル共々、障壁を同時に張る。

しかし矢は2重となった障壁を貫通して、踵を返した緑の巨体を突き刺した。

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