384.憂い〜レジルスside

「悪あがきも終わりになさっては?

腹立たしい事ですが、その男にも多少の使い道はあったようですね」


 余裕の微笑みを浮かべた教皇が告げる通りの状況に、内心苛立つ。


 先代教皇の上半身をくっつけたタコの脚は、俺とミハイルを包む結界に貼りつき、今にも解除してしまいそうだ。


「ああ、喋る余裕もありませんか」


 小憎たらしい教皇の言葉は、ひとまず無視だ。

集中力がおざなりとなり、結界に綻びができてしまった。

修復する隙を与えず、吸盤のついた脚先が侵入し、そこから結界をこじ開け、更なる侵入をしようとくねりながら内側からも解除の力を浸透させていく。


 途端、いくらか防げていたらしい教皇の魔力が、魅了の力を撒き散らしながら俺を襲う。


 この魅了、精神魔法の効き目が全く感じられず、精神に向かって直接的かつ、無理矢理に干渉してくる。

それくらいに教皇への異様な善意が、強制力を持って気持ち悪いくらい湧いてくる。


 ただの魅了とは違う。

そう直感し、今にも屈してしまいそうな感覚に抗おうと、上着の袖口に手を入れる。


「おや、また無駄な足掻きを」


 愉悦に歪む教皇は、一旦無視だ。


 忍ばせておいた、手の平よりもずっと小さな暗器短刀を、自らの右太ももに突き立てる。


 鋭いはずの痛みは他人事のように鈍く、意識の遠くで感じた。


 しかしそのままグリ、と動かせば、痺れる痛みへと変わる。

幾らか無理矢理な善意が、胸中から消える。


 そのまま側で無言無動だったミハイルの肩を再び掴み、俺の方へ振り向かせる。


「ミハイル!

……っぐ」


 胸倉を両手で握んで呼びかけたが、その直後、今度はが右足を襲って思わず呻く。


「ミハ……」

「母上を……助け、ねば……」


 俺の太ももから短刀を引き抜いたミハイルは、痛みから弛んだ俺の手を振り払い、ゆっくりと歩を進める。


 その先には、蜥蜴の体となった元ロブール夫人。


 元夫人は小首を傾げ、緑色をした巨体はミハイル息子を迎えるかのように両手を広げ、近づいてくる。


 阻む結界が消えて、ミハイルはその懐まで進む。


「ごはん……わたしの……もの」


 先程からずっと空腹を訴える元夫人の、緑の手には鋭いカギ爪。

それはミハイルを突き立てるかのようにして掻き抱かんと、ゆっくりと動き……。


「ギャアアアア!」


 しかし元夫人は抱く事も、爪を突き立てる事もなく、魔獣のように甲高い悲鳴を上げて後ろへとたたらを踏む。


 俺はそれを横目にしつつ、伸びてきたタコの脚を避け、落ちてきた先代教皇の顔を目がけて飛びこみ、身体強化して殴りつける。

タコのついた巨体ごと、風の魔法も使って後ろへと吹き飛ばし、逆流した滝の方へ吹っ飛ばす。


 太ももにできたばかりの傷は、もう癒えている。

ミハイルが短刀を引き抜くのと同時に、魔法で治癒してくれた。


 ミハイルの方を振り返ろうとすれば、額に短刀が突き刺さった元夫人が、赤黒い魔法陣の辺りまで吹き飛ばされる。


 俺と同じように身体強化と風の魔法を使ったミハイルの仕業だ。

こちらは腹に蹴りを入れたようだったが。


 タコ脚がうねるのを捕らえ、俺はその足下に聖属性の魔力で練り上げた火柱を発生させる。

タコの下半身ごと炎に包む。


 断末魔すらも炎に飲みこまれた元教皇は、のたうちながら倒れたが、完全に炭化させておく。


「ギャアアアア!」


 その間にも、魔獣のような悲鳴を人の口から叫んだのは、元夫人。

聖属性の光の矢が、何本も現れては体を貫き始めた。


 もちろんこの光矢は、ミハイルが出したもの。


 ただ、威力が弱いな。

命を奪うまでには至らない。

魔力属性の割合故だろうが、それでもミハイルがこの魔法を使ったのは……。


「何とも、涙ぐましい親子愛ですね。

いつの間に魅了を拒んでいたんでしょうか?」


 口調こそ優しげだが、親子へと向ける教皇の黒い瞳には、明らかな侮蔑の色が浮かんでいた。


「今は闇属性の魔法の方が扱いやすく、耐性が強くなっているだけだ。

教皇、貴方は何に対してそこまで憤っている?」


 静かに教皇へと振り返った母親譲りの紫の瞳は、怒りのような激しい感情はなく、ただどこか憂いを帯びていた。

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