369.ゾワゾワと口元〜ミランダリンダside

「嘘……」


 公女の言葉で奥に目をやり、怖気が走った。

頭の毛が逆立つような感覚までする。


 思わず言葉が口を突いて、ハッと口元を両手で覆って、様子を窺う。


 けれど前の3人よりもいくらか後ろにいたし、発した声もかなり小さかったからよね。

誰も反応しなかった事にほっとして、息を吐く。


 その時だったわ。


 不意に後頭部に柔らかい……そうね、小動物の短い尻尾のような何かに、ペシペシと小さく叩かれたような感覚がした。

頭が冷えたような……うん、場所が地下だからよね。

実際に頭頂部がひんやりしてるから、冷静になれてあの光景への衝撃が緩和された気がする。


 聖獣の祝福と、第1王子殿下の魔法もあるわね。

教皇とローブの誰かには気づかれていない事も、安心に繋がって肩に入った力を抜く。


「公女、さすがに恐怖されたようですね」


 教皇の言葉に公女を見れば、教皇と繋いでいた手を放して、異様な光景の1つと正面から対峙している。


 こちら側からは、公女の後ろ姿しか見えない。

教皇もきっと同じね。

背中を岩壁にくっつけて、教皇の方を観察するように見ているローブの誰かも、そうだと思うわ。


 だから公女がどんな表情をしているのか、誰もわからないはずなの。

私達の先頭に立っていて、あれから一言も発していないもの。


 公女は教皇が言う通り、恐怖しているの?


 それは、そうかもしれない。

だって公女の目の前には、いくつか魔法陣がある。


 鈍く光るその形は円陣もあれば、四角や六芒星もある。

大きさは手の平サイズから、人が大の字で寝転がったくらいの大きさまで、バラバラ。


 そんな魔法陣が、奥の方まで無数に埋まっている。

奥の方に明かりはないのに、真っ暗なはずの向こうの空間を、所せましと並んだ魔法陣が淡く照らしている。


 その魔法陣の中央には、体が欠損した死骸。

魔獣や……数は少ないけれど、人らしき死骸が、見る限りで半分。

血臭や腐臭の類は、五感の鋭い私に感じさせないから、何か臭いに対する細工も施しているようね。


 残りの半分は……。


「どうしてこんな事をしたのか、教えていただけるかしら」


 ふと、公女がそう尋ねる。

その声に恐怖は含まれていない。

常人よりも鋭い私の直感は告げている。


 確かに声音は私が聞いてきた中で、いくらか硬いから、教皇が恐怖していると勘違いしたのも頷ける。


 けれどそれは恐怖や緊張からではでなく……どこか冷たさを含んでいて……どうしてかな?

きっと私が今、あの光景を目の当たりにしているからだとは思うけれど、背筋がゾワゾワしていて、私の方が緊張しているように……。


(おかあさん……)


 ん?

すごくちいさな、囁きのような今の声はどこから?

幻聴?

まるで母親を気遣う、幼い子供のような……。


 誰も反応していないから、幻聴、よね?

え、やだ、怖い。

まるで頭の上から降ってきたような……うん、気の所為よ。

あの光景が恐怖を誘っているんだわ。


 学園に通っていた頃に聞いた、学園七不思議とか、そんな類の……つまり幽霊なんかじゃないわ!

ないったら、ない!

そんなの絶対ない!


「実験ですよ」

「実験?」

「ええ。

私にはどうしても、取り戻したい方がいるんです」

「取り戻したい?

どなたの事か、聞いても?」

「もちろんです。

貴女には知る権利がありますから」


 ずっとゾワゾワと背筋に刺激を与える公女の声音に対して、教皇は相変わらず穏やかな声音で話すのね。


 けれど教皇からは、何に対してかわからないけれど、どこか物寂しさや戸惑いといった感情をキャッチしているの。


 さっきはここへ自ら案内しておきながら、歩みが遅い気がしたし、教皇は後には引けないだけで、公女に絆されているんじゃないかしら?


 でも……教皇は公女に何か危害を与えるって、私の直感はそうも告げているわ。

そんな事は、させない。


「どうして私に権利があると?」

「貴女のその瞳。

その藍色の瞳が欲しいんです。

欲を言えば虹彩の金が……金環があって欲しいのですが、さすがにそれは望み過ぎというものですからね」


 クスリ、と嘲笑わらう気配にローブの誰かを見やれば、やっぱり見えている数少ない部分口元は愉悦に歪んでいた。

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