314.悪魔の囁き〜ミハイルside
「念の為、あの別荘からは移動できる物は引き上げさせた。
近隣には邸が壊されたのを隠す事が難しいから、不審人物の仕業にしている。
どこかの邸の使用人に手を借りる事もできないはずだ。
あの辺りで平民の住む場所まで歩いたとしても、貴族に振る舞うようにロブールの名前で何かしら借りる事はできない。
無一文で、平民には本物か偽物かわからない貴金属で何かしら借りるのも難しい。
根っからの貴族だから、頭を下げる事もしないはずだ」
「そうか。
そなたが追いかけたのに見逃すところは、さすが公女の母親だな」
「……」
妹は長年教養から逃げ続けたが、黙って見逃し続けたわけじゃない。
当然どうにかしようと、何度も追いかけた。
最初こそ捕まえられても、半年もすれば、逃走の達人となり、捕まえられる事の方が稀だった。
あの時あの女の姿を見つけ、かつての妹にしたように追いかけた。
他にいくつか貴族の建てた別荘が並び、狭い路地となった場所を。
体力のない女の足だ。
何よりも逃げるのに向かない、女物の靴。
すぐに追いつける。
予想より走るのは早いが、少しずつ後ろ姿が近づく。
あの路地に入れば、ここから見る限り、奥は邸の塀。
間違いなく行き止まりとなる。
そう思った時、突然あの女がこちらに、振り向きざまに火球を飛ばしてきた。
魔法は初歩中の初歩。
あの女の全盛期を知る俺からすれば、威力も低い。
しかし完全に不意を突かれ、偶然も重なる。
火球そのものは魔法で障壁を張って弾いたが、そこに強風が吹いた。
ぶつかった瞬間、炎幕となって障壁を一瞬、覆う。
視界から消え、索敵魔法を使っても、何故か引っかからなくなっていた。
あの程度の威力しか出せない火球なら、転移したとは考えられない。
大方、魔法具を使ったのだろうが、周りがこうも無機物の壁に囲まれていては、わからない。
森や山なら、不自然に存在が消えている場所に当たりをつける事もできるのに……。
それにしても、いつの間に魔法が使えるようになった?
あの火球は魔法具ではない。
間違いなく、手元から繰り出されていたし、幼い妹を殺そうと繰り出した時の、あの女自身の魔力の気配を感じた。
今までそれをひた隠していたんだろう。
魔法具を持ち出したり、用意周到だ。
あの気の短い性格から、想像もつかない。
いや、誰か協力者がいたのかもしれない。
付近を捜索したものの、元々寂れた場所だ。
下手に名前や特徴を話してしまえば、噂になってしまう。
それはあまりにも、よろしくない。
仕方なく情報をぼかし、不審人物扱いにして、少ない使用人達に付近を捜索させたが、見つからなかった。
もう数日いればと思わない訳でもないが、卒業研究の打ち合わせで、あれ以上滞在する事ができなかった。
学園生活を締めくくる、国王陛下も参加する発表だ。
公子として、抜けられるはずもない。
帰路につき、父上に報告してからロブール家の影を使い、あの女を捜索している。
どうにも後手に回った。
それからこの3日。3年Aクラス専用の研究室で泊まりこみ、合間に積み上がる生徒会長の仕事を処理している。
ちなみに俺は副生徒会長だ。
いい加減、こんな時にと心から嘆きたくなる。
しかし各データをまとめる役割を担ってしまった以上、絶対に抜けられない。
生徒会長の仕事も、誰にでも振れない。
あの女絡みなだけに、妹が気がかりだったが、目の前の男や、突然疑惑の男となったヘインズのせいで、今やどんな意味での気がかりか、わからなくなる気がかりさで目眩がしそうだ。
邸内では何事も起きないよう、執事のジョンにくれぐれも、と頼んでいるが、妹はそこらの貴族とは違い、むしろ外の世界でこそ羽ばたいている。
どうしよう、俺の手に負えない気がしてならない。
そもそもあの女が、何故教会に妹を連れて行こうするのかも謎だ。
とはいえその様子を目撃したらしいヘインズは、わざわざ俺に妹に気をつけるよう進言してきた。
奴の妹への態度も改心しているし、言われてみれば2人が最近話しているのを目にするようになった。
どちらかというと妹の方が振り回してさえいる。
大丈夫……だよな?
「今なら王族として、全学年主任として、生徒会長の仕事を秘密裏に処理するのもやぶさかではない。
1人の生徒への負担が大きいのもあの者の兄として責任を感じるしな。
この週末、例のアトリエにも直々に案内しても良いのだが?」
不安に感じたところで……悪魔が……囁いた。
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