309.義務からの解放〜ミランダリンダside

『おはよう、ミラ。

もうじき俺も入学する。

そしたら教室の中までついてってやるよ』


 あと1年、あと半年、そして……もうじき。

時間の移ろいと共に、ヘイン様は言葉を変えながら、まだ自分が学園に入学する前なのに、1年先に入学した私を学園に送り出してくれ続けた。


 この頃には、将来第2王子の護衛騎士になるという目標ができていて、その為に勉学や剣術訓練を頑張っていた。


 私のせいで多忙にさせた自覚はある。

時には虚脱感に苛まれて、せっかく来てくれても登校できない事もあったのに。


 勘違いだとわかっていても、私を女性として好意的に見てくれているんじゃないかと期待していたの……。


 そして彼は入学した。


 私は何とかBクラスに進級。

そして1つ下の学年だった彼は、Aクラス。

私が傷つけた、彼と同い年だったあの令嬢も……Aクラスだと後に知った。


 優秀な人材ばかりのAクラスと、Bクラス以下のクラスとでは、学園内の立場はかなり違う。

第1王子がいる事で、目に見えた差別はないけれど、やはりこの国は身分制度。

そして学園が王立である以上、高位貴族ばかりで成績の良いAクラスは、何かと優遇されている。


 だからかな。


 学年が違い、私はいつも顔をふせて長い前髪で顔を隠して廊下の隅を歩くようにしていたから、私はその令嬢と出くわす事はなかった。


 ……そう思っていたの。


 婚約者だからと、Aクラスの彼は入学してからも、こんな自分に入学前の約束を守って迎えに来てくれる。


 有り難かったし、とても嬉しくて……こうやって過ごしていれば、いつかは想い合える関係になれるかもしれないと、まだ傲慢癖が抜けていなかった私は、淡い期待を持っていた。


 けれど……。


『ヘイン、私はあの無才無能な婚約者と、優秀な義妹であるシエナとの差し替えを陛下に願うつもりだ。

だがお前のシエナへの気持ちを確認したい』


 登校する馬車の中で具合が悪くなった私は、一緒に登校したヘイン様によって、すぐに保健室へ連れて行かれた。


 昨日は特に聞こえる叫び声が酷くて寝不足だったせいだと思う。

時々聞こえる【デス】って何かしら?

正直それは今でもわからない。


 暫く眠れたお陰で体も楽になり、途中からでも授業に参加しようと自分のクラスへと向かう。


 そうしてふと空き教室に気配がして、足を止めた時、中から婚約者の愛称が聞こえた。


『そ、れは……ははっ、何言ってんだ、シュア!

シエナは妹みたいなもんだよ!

あの無才無能な性悪女なんかより、よっぽどシュアに相応しいじゃねえか!

シエナだってシュアに好意的だ!

応援してるぜ!』


 聖獣の祝福が与える影響は、人それぞれらしい。

私は人の気配や聴覚が普段から敏感になった。

そして仮に誰かの視界に映っていても、息を殺してじっとしていれば、私の存在は認識されにくい。


 明らかに動揺しているのは、間違いなくヘイン様の声。

この頃には既に自らの主と決めていた、ジョシュア第2王子との会話だった。


 シエナ?

最近、ヘイン様が時折り口にする名前。

確か王子の婚約者であるロブール第1公女とは、血筋上は従姉妹の関係よね。

ロブール家の血は同じだけ引いている。


 第1公女と違って、教養への取り組みに意欲的で、とても優秀。

それに自分を虐める義姉をいつも庇っていると……。


 嫌な汗が背中を伝う。


『大体、俺には婚約者がいるんだ。

聖獣の祝福持ちだから、大事にしてやらなきゃならない。

それがアッシェ公子としての義務でもある』


 して……やらなきゃ……義務。


『だが、かの聖獣の祝福なのだろう?

彼女のせいで私達と同じクラスの令嬢は、顔に怪我を負わされたのだぞ?

王家からわざわざ魔法師を派遣し、傷痕を残さぬよう治癒できたからこそ、相手の家も令嬢も口を閉ざして、今も関わらないようにしてくれているが、未だにまともな謝罪もしていない。

お前も知っているではないか。

将来私の護衛騎士を目指してくれるお前の傷になるのは……』


 心が軋み、その後何を話していたのかは覚えていない。


 気づけば第2王子は私に気づく事なく、どこかへ去っていた。


 彼は……まだその場にいた。

私は何か話しかけるべきかと悩みつつ、結局何も言えない。


『シエナ……お前の王子様と結婚して支え合いたいって夢は……俺が守ってやる。

だから……密かに想う事だけは許してくれ』


 その声は恋慕に苦しむ者のそれで……私はただその場にしゃがみこんで、声を殺して涙するしかなかった。


 そうしてヘイン様を婚約者の義務から解放して……学園からも逃げた。

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