292.弾けた怒り〜ミハイルside

「少し休憩してくる」

「はい。

お嬢様に頂いたペンのお返しに、これを」


 父の代から仕えている初老の執事、ジョンがそう言って手渡したのは、小さな小包。

感触と音からして、茶葉と茶菓子だ。


 私がこの棟で書類仕事をしている時は、休憩と口にしては、妹の住む離れへと足を運ぶのが習慣化した。

いつでも渡せるように準備していたようだ。


 そういえば某有名店に最近、東国から輸入したという、珍しい茶葉が入荷されたらしい。

学園の女生徒が噂しているのを耳にした。

多分、それだ。


 この執事は意外にも、そういった女子の流行りに敏感だ。

特に俺と妹が少しずつ交流を深めていくようになってから、それに拍車をかけている気がしてならない。


 俺の妹に持ちこむ手土産のアドバイスはジョンが7割を占めている。


 昔は焦茶だった彼の髪は、今や半分以上が白くなっている。

年と共に柔らかな印象を与えるようになった瞳は、よく見る碧眼。


 これまでは俺の居住する棟を含め、俺に関する事にのみ管理する執事兼秘書だった。


 邸全体の執事長は、数ヶ月前まで別にいたからだ。

女主人である母上が任命した者だったが、他の使用人も含めて本邸で雇用した者の大半共々、既にクビにしてある。


 この春から父に邸の管理を一任され、父の秘書やジョンと共に邸全体の風紀と帳簿を見直した。

結果、管理の杜撰さはもちろん、母上、母上が雇い入れた者達、そして元養女による、嫡子のラビアンジェへの害悪の数々が露呈した。


 俺は全ての証拠を押さえ、父上へ報告。

それにより、ロブール公爵夫人としての管理権限は、母上から私へと移行した。


 しかし父上は、それだけで終わらせないようだ。


 母上は近々、ロブール家の持つ、王都からは1番遠いタウンハウスにへ行かせると、先日、父上の秘書を通してそう告げられた。


 その時ふと、妹が気になった。

妹は間違いなく、自分の中で母親を切り捨てている。

それでも何かしら思うところが出てくるかもしれない。


 そんな気がかりもあって、昨日はラビアンジェを迎えに行った。

公女が孤児院で気軽に宿泊するなど聞いた事もないが……まあ、慣れた。


 しかしまさか下半身にロープを巻きつけ、公女が吹っ飛んで来るのは予想だにしなかったぞ。


 それに何故、教会の上位神官や、聖獣の加護を受けたが故に、引きこもりとなった令嬢と仲良く遊んでいたのか……。

せめてチーム腹ペコのリーダーまでじゃないのか。


 彼は妹が1人で辺境から帰る事がないよう、配慮してくれていた。

【城下街ラビちゃん見守り隊】に強制参加を余儀なくされているらしい、気の毒な少年だ。

参加者の中にA級冒険者もいる。

将来冒険者として活動するはずの彼は、絶対断れないだろう。


 ちょっと意味がわからない事態だ。

しかし妹の現在があるのは、城下の平民達が幼かった妹を可愛がり、面倒を見続けてくれたから。


 妹は母上から虐待され、邸の使用人達からも食事の世話すらまともにされなかった。

度々邸を抜け出してた妹は、城下でバイトをしながら生計を立てていたが、全ては彼らの善意。

正直それを知った時には、己の不甲斐なさに目眩を覚えた。


 俺は兄として、何もしなかった。

それどころか、目を逸らし、妹の危機にも気づかなかった。

  

 そんな兄の今更な挽回に、妹は付き合ってくれている。


 今では食事をご馳走してくれたり、ジョンよりも先にペンを贈ってくれた。

従来品にはなかった文字乱れの修正機能付きのペンに、消去するペンの2本セットだ。


 それにサクサク切れる短刀もくれた。

ちょっと暴発して、命を危険に曝すが。


「ああ、渡しておこう。

行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」


 ジョンに見送られ、いそいそと妹の暮らす離れへと向かう。


 妹の中身はともかく、外見同様に可愛らしい印象を与える門扉が遠くに見えた時だ。


「ラビアンジェ!!」


 母上の雄叫びが響く。

石が柵にぶつかる金属音や、俺が離れ周辺の柵に施した魔法が発動する気配を感じて、走る。


「出来損ないが、私を馬鹿にして!

許せない!

許さない!」


 罵詈雑言を捲し立て、石を柵に投げつける自身の血の繋がった母親を見つけた瞬間、怒りが弾けた。


「貴女は何をなさっているんですか!!」


 睨みつけ、そう叫んでいた。

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