289.失望への不安と、身に覚えのあるやり取り〜ナックスside

「申し訳ありません、猊下。

結局あの後、公女は何故か兄で次期当主であるミハイル=ロブール次期当主が迎えに……」


 これまでの経緯を、長年仕える教皇猊下に伝える。

本来ならロブール公女に猊下と偶然を装い、会って直接話していただこうと考えていたのに。


 以前の報告同様、机に座って書類を確認していた猊下の手は止まり、うつむき加減で私の報告をお聞きになっている。


 今度こそ私は失望されてしまっているのではないかと、不安に苛まれながら続ける。


 しかし現実に起こったものの、嘘のような話を自分でもどう報告して良いのやらと、途方に暮れなくもない。


 羊の背に跨ったロブール公女は、まるで幼子でもいるかのように時折大人びた……いや、あれは孫を慈しむような?

そう、祖父母が孫に向けるような、独特の表情だった。

とにかくそんな顔を何故か羊の背中に向けていたにも関わらず、しかし行動がその表情と一致しない。


 耳栓をした公女は、振り落とさんとばかりに暴れる大きな羊に跨って、ハイヨ、ハイヨと声をかけ、ピョンピョン跳ねさせては楽しんでいた。

途中からは公女自身がまるで幼子のような笑顔になっていた。

状況が状況だけに、むしろ狂気を感じたのは、隣にいたファルタン嬢も同じだったと確信している。


 そして傍観するしかなかった私達を、散々にハラハラと心配させた挙げ句、最後は暴れ羊から投げ出されてしまった。


 途中から羊の活きがなくなってきたとは感じていた。

けれど突然に萎びて、公女の体を固定していたロープが弛むなどと、誰が予想するんだ。


 宇高く舞う華奢な体を慌てて追いかければ、しかし公女はこれまた予想外の人物によって、颯爽と抱きとめられた。


『ラビアンジェ!

相変わらず何をしていたか、全く前後の状況がわからないぞ!

何でロープを巻いて飛んできた?!』


 実の兄、ミハイル=ロブール次期当主だった。


 頭ごなしに怒声を浴びせてはいるが、言っている内容はその通り。

もっともだと同意する。


 腰を固定していたロープは下半身に巻きついて絡まっているし、人は普通、飛んでいかない。


『ふふふ、楽しんでおりましたの。

きっちり互いの腰を固定してましたのに、萎れたら外れただけでしてよ。

ほら』


 ん?

まるで私を指差しているかのような?

ああ、萎れた羊がちょうど私の後ろに倒れていたのか。


『互いの、腰を……固定?』


 すると彼は、気になる言葉のチョイスをしながら、私を見る。

途端、険しい表情になったが、何故かは未だにわからない。


『公女、平気か?』


 その後ろから、先日、確か公女と共に孤児院で見たガタイの良い少年が出てきて声をかけた。


 こちらの少年は無表情に近いが、青灰色の瞳があの時より鋭くなっている?


 私は何故、突然登場したこの2人にそんな鋭い眼光を向けられねばならないのか……やはり未だに理解ができない。


 それとなくもう1人の傍観者を見やり……あれ、いつの間にか遠く離れた木陰に隠れている?

目が合うと、何故か黙っていろと言うかのように、腕でバッテンを作って、ブンブンと首を振っている。


『ラルフ君、お兄様!

ちょうど良いところに!』


 しかしそんな意味不明な張り詰めた緊張感を、喜々とした公女が破る。


 兄の腕から降りると、目を輝かせて元は1つだった羊と、丸茄子と、うねっていた蔦を改めて、指差した。


『今日のお昼ご飯は茄子と海老のチリソース炒めでしてよ!

ほらほら、ナックス神官も手伝って下さいな!

男子3人で運べばすぐでしてよ!

そこのあなたもご一緒しましょう!

ほらほらほらほら!』

『そ、そんな?!

わ、私はもう帰りますぅ!

放し……え、力つよ?!

え、身体強化?!』

『まあまあ、年下のいたいけな少女に力が強いなど失礼でしてよ!

身体強化など魔力がもったいなくてしておりません!

貴女が軟弱者なだけでしてよ!』

『そんな?!』


 どこか身に覚えのあるやり取りだった。


 そうして悲痛な声を上げる令嬢を引きずり、引きずられていく後ろ姿を私達3人は見送る。

その後、まずは公女の同級生が風刃で羊の腹の際を切って分離した巨大な丸茄子、次期当主は萎びた羊、私は棘蔦の棘を水刃でカットしてかき集めてから山を下った。

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