288.公女の奇行〜ナックスside
『ウネウネが止まったわね』
『公女、近づいては危険です!』
制止するも、上位神官である私の言葉に、全く頓着しないロブール公女。
右手にはミランダリンダ=ファルタン伯爵令嬢から拝借した短刀を握っている。
彼女は四大公爵家の1つ、アッシェ家の傍系にあたる家柄で、聖獣ドラゴレナの加護を受けていた。
『ン゛ン゛ブェェェェ〜!!』
公女の背後では、羊が地面に足止めされたまま、野太く不快な鳴き声を上げつつ、平和に草を食べている。
通常の2倍はありそうな羊だが、それだけなら、のどかな光景だ。
羊は地面に足先が埋まっている。
攻撃したはずみで、太い棘状の蹄が地面に刺さる瞬間を狙って、ファルタン嬢が土魔法で固め埋めた。
公女の指示だ。
あの魔獣、危険度的には恐らくCかD。
思いの外、動きが鈍かったから、Dといったところか?
私自身は、それなりに魔力と実力がある上位神官だ。
魔法で出した水刃の威力は、弾かれる事もなく、丸茄子の下から生えたうねる棘蔦をすんなり切り離せた。
切り離した羊も含めた上側は、下側が移動した事で、ズルリと落ちた。
下側は数メートル進んでその場で蔦がうねるに留まった。
実は魔力や実力があるとはいっても、神官という立ち場上、魔獣との実戦経験は乏しい。
珍しい魔獣になると、あまり詳しくはない。
その為、初めて見る大きな魔獣と1人で対峙し、女性2人を庇いながら戦うのは緊張した。
実戦には慣れていて、魔獣への見識が深い公女がいてくれて、正直助かった。
公女の情報を事前に調べていた自分にも、拍手を送りたい。
魔獣の初めの一撃が、直前にした私の発した言葉を注意するかのようなタイミングだった事には、いくらか苛つきを感じさせるけれど。
何かしら考え事をしていたのか、仮にも上位神官である私の言葉に反応しない彼女に、声を荒らげてしまったのだ。
それについて今は、申し訳なかったと思っている。
私も大人気なかった。
しかしこれまでに数ある羊を目にすれど、棘つきの茎を腹から生やし、丸茄子と繋がる羊など、見た事がない。
茎をよく見れば、何本もの棘蔦が束になっているではないか。
『ン゛ン゛ブェェェェ〜!!』
『ヒッ』
思わずビクッと身を竦ませて、小さな悲鳴を漏らすファルタン嬢程ではない。
しかし、何度も鳴かれると不快感が上がってくる。
あの不快感しか感じない鳴き声どうにかできないものか。
公女は何故か、全く気にして……あれ、風でフワリと舞った髪から覗いた、形の良い耳に……耳栓?!
しれっと耳栓している?!
くっ、やはりこの公女、侮れない!
予備があれば貸して欲しい!
などと思っているうちに、公女は動きを止めた蔦を刃先でツンツンとしてから、短刀で器用に皮ごと棘を剥がす。
手際が良いな。
かと思えばそれを手に、今度は地面に縫い留めた羊に近づく。
『公女、あ、あの、危ない、です!』
私より一足早く、ファルタン嬢が声をかける。
彼女は状況が落ち着いてからはずっと、うつむきがちだった。
長めの前髪で顔を隠し、公女の行動に口を噤んでいるものの、おどおどとしながら見守っていた。
意を決した様子で顔を上げると、目元にかかる前髪がずれる。
その目元には薄っすら隈が見て取れた。
彼女は幼い頃に聖獣の加護を受けた。
しかしそのせいで内向的になり、実は王立学園の3年生になった頃に休学している。
このままあと何年かすれば、退学となってしまう。
加護ではなく、呪いじゃないかと思わなくもない。
ベルジャンヌという稀代の悪女が没してから、聖獣が誰かと契約を結んだ話は聞かない。
けれど加護を与えた話は時折耳にする。
そんな聖獣の中でも、聖獣ドラゴレナの加護は過激だと噂されているが、この令嬢を見る限り、納得だ。
もちろん加護のせいだとも言い切れないけれど。
『『公女?!』』
そこまで考えたところで、公女の奇行に私と令嬢の声が重なった。
『ン゛ン゛ブェェェェ〜!!』
羊が抗議するかのように、一際不気味な鳴き声を上げるが、同意しかしない!
公女は器用に羊の胴体にロープを巻きつけたかと思うと、そのままロープと羊毛を掴んで跨った。
自らの腰もそれで固定すると、羊の腹を両足で挟み蹴ったのだ。
興奮した羊は固め止められた土から力任せに引き抜き、腹の茎のバネも手伝って暴れ始めた。
『『何してるんです?!』』
『ン゛ン゛ブェェェェ〜!!』
『ハイヨー!
シルバー!』
シルバーって何だ?!
いつの間に羊に名前つけたんだ?!
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