270.名前〜レジルスside
「鼠」
声を落として呼びかける。
赤基調の鼠はピクリと身じろいだがプイッとそっぽを向いてしまう。
「そなたは王……いや、公女の体は本当にもう良いのか?」
チッ。
鼠はつぶらな瞳なのに、何故こうも感情豊かなのだろうか。
不審人物を見るかのような目をするな。
結局再びそっぽを向かれてしまった。
保護者には腹を差し出したくせに。
しかし頭で思う事とあからさまに違う事を言ってしまったのも確かだ。
考えていたのは言わずもがな、王女の事。
王女の瞳はもちろん、面立ちも公女とどことなく似ているのは偶然だろうか。
だがそれを鼠に聞いたところで答えが返るとも思えない。
あの狐と竜になら、あるいは……。
公女が口にした自らの祝福名や、あの2体の聖獣だけが契約した名に別の者の名が使われていた事もわかるかもしれない。
王族にのみ与えられる祝福名は生きている間、魂に紐づいていると伝え聞く。
王となる者が代々契約してきたある聖獣との最古の約束の証だと。
そしてあの日の公女とそこの鼠との契約にその名を口にしたのなら、少なくとも魔獣から聖獣への昇華には必要だという事だろう。
あやふやな言い方なのは定かではないからだ。
聖獣に契約を破棄された時、聖獣との契約に関わる全ての文献が全て消失し、以降人の記憶以外に形として残しても消えるようになったらしい。
恐らく聖獣達が眷族総動員で意図的に消している。
だから王と四公の当主は口伝で受け継ぐ。
ただ個々の祝福名なら王族は本能でその名を知っている。
俺もそうだ。
昔は両親や実の兄弟姉妹だけにはそれを伝える風習があった。
万が一外部に洩れても問題ないとされていたからだ。
だが今では祝福名を決して明かさない。
明かすなと何故か本能が警告する。
そして聞いてはならないと教育も受ける。
その名を自分以外の誰かが知る事があまりに危険だと王女自身が知らしめたからだ。
だがそれすらも本来伝えられない。
俺達は誰がそれを伝えたのかを知らぬままにただ駄目だと、誰にも教えず、誰の物も知ってはならないとだけ教えられる。
そうした些細な痕跡すらも王女に関わる物は城から消えているのだ。
他にももしやと思うような教えはいくつかある。
ただ曽祖父が名実共に蟄居してから移り住んだ古い離宮にだけはある痕跡があった。
古い日記とそこに挟まれていた1通の手紙。
その手紙に使われていた印章は白のリコリス。
そして肖像画。
俺がその存在を知ったのは、魔法呪に侵され、人の死を伝染させるのが判明した後に1度移されたのがその離宮だったからだ。
痛みと恐怖で魔力を暴走させ、壁を破壊したら保存魔法をかけた箱に入ったそれが出てきた。
肖像画に籠められた聖属性の魔力に触れた時だけ痛みと恐怖が和らぎ、その魔力を消費し切るまで胸に掻き抱いていた。
もっともその当時はそれが誰の物かわかっておらず、解呪されて城に戻った時に調べて全てが繋がった。
日記と手紙は今、国王が別の場所に保管しているはずだ。
戻った時には既に無くなっていた。
それがどこかを知る事ができるのは、立太子される者だけかもしれない。
――バサッ。
ハッとして深く物思いにふけっていた事に気づいて顔を上げる。
公女の足元にはノートが開いたまま伏せ落ちていて、何ページか折れてしまっている。
いつの間にか鼠も眠り始めたようだ。
音をさせないように拾い、折れたページを魔法で伸ばしておこうとした時だ。
見るつもりは無かったが、見てしまう。
それは人物画だった。
剣を構えた騎士はヘインズ……か?
騎士が守るのは縁を切られて王都から放逐された元養女のシエナ……か?
今では顔が歪んだ老女となり、この絵の面影はどこにもないが……多分あの元養女を模した?
一応それぞれの人物近くに名前は書かれている。
独特な印象を受ける絵だ。
俺の知る類の絵ではない。
落書きか?
何故公女はこれを見てあんなにもうっとりとした顔をしていたのだろう。
「……」
駄目だ、全くわからない。
この絵と器具や背後や手技や奥行きといういかがわしい言葉の数々が全く結びつかない。
そもそも公女はどんな本能の波に抗えなかったのだ?
そそくさと無言でシワを伸ばしてノートは公女の鞄にさっと仕舞い、邸に着く。
起こそうとしたが馬車の中に押し入って出迎えたミハイルが、眠る公女を起こさないように抱き上げて俺をひと睨みした後、有無を言わさずそのまま城に帰された。
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