268.失神と王女の印章〜レジルスside

「ねえ、この子がラビに直接謝ったのってこれが初めてよね?

普通に悪いと思ってたんなら、もっと早く謝れたんじゃないの?

騎士を目指してた割には性根が悪すぎるわ」


 不愉快そうに顔をしかめる保護者に俺も心から同意する。


 それにしてもヘインズや愚弟達は主に学園でそうした行いをしてきたはずだ。

あまりそうした事を周りに話さない性格のように感じていたが、この者はまるで見聞きしていたかのような口ぶりが引っかかる。

それだけ公女はこの保護者に懐いて何でも話していたという事だろうか?


「ご、ごめんなさい!

俺が悪かった!

だから、だから……」


 保護者の言葉に焦ったように華奢な足に……再びギュッとしがみつくとか、やはり切り刻めという事か?


「ええ、ちゃんとその体で払う物を払って私を満足させてくれれば問題ありませんわ。

もちろんその間の衣食住もご自分で稼いで支払うようになりましてよ。

ただしお仕事についてはちゃんと斡旋しますが、私が思う技術を身につけられなければ……ね」


 ニコリと淑女らしく微笑むが、ヘインズの顔色は青を通り越して白くなっている。


「しし、仕事……ど、んな……」


 ゴクリと生唾を飲みこみ、どもりながら何とかかすれた声を出す。


「ふふふ、まずは練習からしていただかなければなりませんけれど、必要な素材は器具も含めて既に用意してありますの」

「器具?!」

「ええ。

それを使って主に後ろ側の世界観を広げて頂く必要がありますね」

「……後ろ側?」

「安心なさって。

命の危険とは無縁の世界でのお仕事ですから、慣れれば騎士の訓練よりずっと体は楽でしてよ。

精神的には……どうかしら?

そういうのはガルフィさんが得意ですのよ。

それとこれ」


 鞄から一冊のノートを取り出して保護者に手渡す。


「そ、れ……え……それ……」


 何だ?

ヘインズの恐怖に強張っていた顔が驚きに変わる。

そのノートに見覚えがあるのか?


「これは……なるほどねえ。

確かにこれは私に難しいかも」

「ええ、ガルフィさんは本格的ですもの。

けれどそれこそが私の望んでいる世界観。

現実味よりも妄想をかき立てる、主にそうした顔が欲しいの。

そのノートの世界観を確立させつつ、ガルフィさんが得意な奥行きと影の表現力を伝授させてくれれば最強でしょう?」


 うっとりとした目で見つめる先にはノート。

一体何が書いてあるのだ?

俺にもその視線を分けて欲しい。


「そうね。

そこを確立できれば……」

「売れてガッポリ!」


 ガシッと力強く空中で腕相撲でもしているかのように手を組み、頷き合う。


 話の内容と顔つきがいかがわしくも、がめつい商人に見えてきたのは気のせいだろうか……。


 ヘインズは尻をついて壁際までジリジリ後退したかと思えば、背をピッタリと壁につけて震えている。


「お、おおおおお俺は……売られる、のか?」

「売るのはあなたでは無くて、あなたがこれから身につけるだろう手技でしてよ」

「しゅ、手技?!」

「ひとまずこれからアトリエに行って、暫くは色々特訓していただくわ。

何をするにしても、ガルフィさんの指示に従うようになさって。

ああ、それから……」


 怯える男に近づいて、人差し指をそっと右肩に当てる。


「ひ、ひぃ、ひぃぃぃぃ!

や、止めてくれぇ!!」

「元通りにしておきましたわ」


 怯えは完全に恐怖へと変わり、しかし腰が抜けたのか逃げる事もできず、最後は失神してしまう。


 何が起きたのだ?


「……何したのよ?」

「ふふふ、ああ言って触るといいって話を思い出しただけでしてよ」


 にこやかに微笑むその笑みは、保護者からは見えない角度になった時、酷く冷淡なものに変化した。


 そういえば保健室で自分の服を掻き破ったヘインズの右肩には白いリコリスが浮き出ていたのが一瞬垣間見えた。

ミハイルとチーム腹ペコのリーダーが暴れる体を押さえていたから、距離はあったが。


 赤鼠が灰色鼠だった時も、公女の元義妹に擬態していた時も、右肩周辺にそれが浮き出ていたな。


 あの色のリコリスはベルジャンヌ王女の印章に使われた花だ。

この国の大半の者達は赤い花だと勘違いをしている。

もしくは、そうなるように何者かが仕向けたのだろう。

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