235.闇〜ミハイルside

『母上、止めて!』


 ああ、これは俺が昔叫び続けた声だ。


 暗闇の中目を開ければ、そこはどこまでも続く闇。


 突然闇に包まれ、咄嗟に実妹を抱き寄せたレジルスごと実妹に覆い被さったまでは覚えているが……。


 もしかしなくても、魔法呪に取りこまれたんだろう。


『次期当主ともあろう者がそんな出来損ないを庇うなんて、恥を知りなさい。

ミハイル、お前しか当主になる者はいないのですよ。

その出来損ないはスペアですらない、ただの害虫だと何度言ったらわかるの』


 不意に目の前に幼い頃の光景が現れた。


 そうだった。

物心ついた頃には既に実妹は虐げられていて、庇うとなじられていた。


 それまで素手で叩いていた母は、俺の当主教育が始まり実妹との時間が減った頃から鞭を打つようになった。


 いつも身を守るように丸くうずくまる実妹の背中は、今日も傷だらけだ。


 この頃の俺は勉学を早めに切り上げたり、時間を母の知るものよりわざとずらしたりしてできるだけ実妹の顔を見に行くようにしていた。


 背に庇った実妹はいつものように気を失っている。

どれほどの時間鞭打たれたのか……。


 眠っているかのように深く気を失うのは、幼子の防衛反応だったのかもしれない。


 母の後ろに控えていた治癒師を睨みつければ、金で雇われて見て見ぬふりをする男もそそくさと近寄って母の顔色を窺いながら背中の傷を癒やす。


 人を治癒する能力に長けていながら、幼子の暴力を看過する大人に反吐が出る。


 いや、それは兄である自分にも……。


『ふん、あなたの行動が妹を生かすか殺すか決めるのよ』


 要は黙っていろという事だ。

そうしなければ妹を……くそっ。


 幻覚だとわかっていても感情移入してしまう。

これは魔法呪の影響か?


 涙1つ見せない実妹が不憫でならなかった。

だが泣けば娘の全てが気に入らない母をつけ上がらせ、そして更なる暴力へと発展しかねない。


 せめて俺に向けばと徴発しても、母は娘への暴力を加速させるだけ。

早々に反抗は止めた。


 ごめん、ラビアンジェ。

兄なのに、力が足りないから……誰かに助けを求めたらお前がどうなるのかわからない。


 せめてなるべく早く魔法を学んで、母上よりも力をつけるから!


 そんな思いで日々を過ごし、やっと治癒魔法を学べるようになった。

必死だった。


 実妹にも教育を施そうと父に直談判して講師をつけた。

少しでも母の言いがかりを減らし、俺のいない間は母から引き離したかった。


 結局実妹は逃走を選び、今では逃走猛者だ……。


 そしてあの日。


『母上!

妹が死んでしまう!』


 朝から機嫌よく娘と出かけたはずの母が鬼気迫る形相で帰ってきたと報告を受け、嫌な予感がして自分の居所になっていた棟を飛び出した。


 そして目にしたのは、母が娘を殺そうと魔法で風刃を繰り出そうとした瞬間だった。


 咄嗟に庇おうと前に出て障壁を張ったが、治癒魔法から習っていた俺の障壁は全てを防ぎきれず、古びたワンピースに着替え、年齢よりも細く華奢な腹に深手を負わせた。


『ラビアンジェ!

母上!

治癒師は?!』

『チッ、この役立たず!

少しは避けなさいよ!

治癒師はいないから、あなたが治しなさい!

死んだらあなたのせいですからね!』


 言うだけ言ってそそくさと部屋を出て行く母を呆然と見送った。


 無茶苦茶だ。


 腹から流れる血は止まらない。

誰かを呼ぼうにも、女主人の命令か使用人は完全に人払いされていた。


 必死で習った治癒魔法をかけ続けた。

頭がガンガンと痛みを訴え、吐き気も目眩もしてきた。

魔力が枯渇しそうになってもかけ続けた。


『どうしてこんな事になった?!』

『ふざけるな!

俺のせい?!

ふざけるな!!』


 そんな事を叫びながら。


『妹なんていらない、欲しくなかった、足ばかり引っ張る、邪魔だ……』


 …………何だ?

俺はそんな事は言っていない。

なのに……今、俺の声で……。


 いや、言った、のか?

感情が……憎しみに支配されそうになる違和感を感じる。


 母はもちろん、この妹も……憎らし……。


「お兄様」


 いつの間にか俺は昔の細腕に実妹を抱いている。


 腕の中の藍色と目が合う。


助けてくれてありがとう。

もう大丈夫よ、お兄様」


 違う、こんな場面は現実には無かった。


 こんな風に心を温かくしてくれる笑みもあの時は……。


 けれど心は救われた気がして、目の前の闇が消えた。

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