119.本性を垣間見て〜ヘインズside
『あ……そんな……』
遠ざかる足音と、その場に凍りついたように立ち竦んだだろうシエナの囁きが聞こえた。
ミハイルは魔法師としても次期当主としても、あの大魔法師と名高い父親と接している。
その上俺が騎士団で実践を積む事があるように、あいつは魔法師団でそれをしてきた。
そんな男の殺気を恐らく正面から浴びたようだ。
シエナのようなか弱い令嬢がそうなるのは当然だ。
しかしその後、シエナの口から予想だにしない言葉が放たれた。
『あの女……行方不明になっても目障りなんだから。
でも予想通り、ううん、それ以上に良い状況になったみたいね。
このままあそこで……』
最後の方はシエナ自身が何処かへ去って行ったせいでよく聞こえなかった。
正直、ただただ愕然とするしかなかった。
今の言葉は何だったんだ……。
あの報告書を読んでも、シエナは純粋で心優しい少女だと思っていた。
ただ何か、誤解やボタンのかけ違いのような何かがあったんだろうと信じていた。
シエナは勉強も魔法の扱いもその年の令嬢と比べて優秀だ。
人生の大半を平民として育ったとは思えないほどに。
それだけ努力してきたんだと確信している。
義姉とは違って。
元平民だったからか、貴族令嬢のように気取ったところも裏表もない。
それが貴族令嬢としては時に礼を失すると周りに誤解された事もあったが、誰にでも笑顔で親切に接する性格故か、少しずつ周りは気さくだと好意的に捉えるようになっていった。
今ではマナーも板につき、誰もシエナを養女だと馬鹿にしたりはしない。
それだけ努力してきたんだ。
義姉とは違って。
いつしか恋心に発展しそうな、ほんの僅かな淡い想いを感じるようになった。
だが主であるシュアの手前、その想いは内に秘めていた。
その想いが今、他ならぬシエナによって砕かれてしまった。
俺はずるずると床に座りこむ。
胸を占めるのは自責の念。
「俺はずっと……だからあの公女に……」
シュアの婚約者であるあの公女は、いつもあらゆる責務から逃げていた。
義妹のシエナと違って。
魔力の低さは本人にはどうしようもない事だと理解できる。
公女という高い身分でありながら、本人が全く恥じていないのはどうかと思うが。
しかしロブール公爵家という家柄に相応しい教育環境が整っていたにも関わらず、学力も著しく低ければ、マナーという観点からも公女どころか、高位貴族という括りをしても程度が低い。
当然だろう。
何も学ぼうとせず、逃げ続けていたのだから。
義妹のシエナと違って。
どうでもいいが教育を強要するあのミハイルから完全に逃げ切っていたとの報告書には、正直驚いた。
逃げの才能だけは驚異的だ。
俺はミハイルが本気で追いかけて来たら、まず逃げ切れないと思う。
まあいい。
とにかくあの公女が逃げまくっていたのはシュアに見せられた王家の影の報告書にも記載された、揺らぎようのない事実だ。
しかしそれ以外の事実は俺の認識とかけ離れていた。
あの公女は義妹を虐めていないし、王子の婚約者、ひいては未来の王子妃どころか、公女という身分にすら全く興味がなかった。
家では実母である公爵夫人に虐待どころか殺されかけ、使用人達すら公女らしからぬ扱いをし、むしろシエナの方が義姉を虐げていた。
なのに俺はあの公女の表面しか見ず、主と定めたシュアに相応しくないと決めつけ、いや、報告書を読んでも相応しいとは全く思えないが、今思えばどんな状況でも令嬢に向けるべきではないエスカレートしていく主の罵詈雑言を諌める事もなく、当然のように共に嘲り、罵り、あまつさえ生徒会室では貴様と呼んで怒りをぶつけた。
騎士としても、男としてもあるまじき態度だったと自覚すれば、ただただ己が恥ずかしい。
そして今。
シエナの本性を垣間見た事で公女への罪悪感が更に膨れ上がったのは言うまでもない。
「できる事をしなければ」
奮い立たせるようにそう口に出して立ち上がり、向かった学園の馬車留めでシュアのあの切羽詰まった横顔を見た。
まさかと思いながらも、お忍びで城外に出る時の抜け道を見張っていれば、真っ暗な廃水路から主は駿馬を2頭連れて出てきた。
見張っていて良かったとこんなにも思った事はない。
そして馬を2頭連れていた時点で、俺がいるのを確信し、頼ってくれたのだと内心嬉しく感じたのは秘密だ。
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