第15話フラグは立てるものじゃねえ。

 アスファルトが黒いヘドロのようなものに塗れ、ゾンビの死骸が目を覆うような状態で其処ら中に転がっている。満足そうな顔で煙草を咥え、煤で汚れた屋上から見下ろす。地平線の暗闇が薄れ朝日が顔を見せ始めようとしている。


 肩に構えたミサイルランチャーを放り棄て、咥えたままの吸殻を人差し指に挟み弾き飛ばす。

 地下へ向かうゾンビ共が先程から停止している、恐らく大量のゾンビを殲滅したことで不都合が起きたのだろうか。

 この周辺のゾンビの圧力も減っただろうしそろそろ移動を開始する。


 塔屋のドアを開き気持ち良さそうにソファーで寝ている阿岸の頬にキスをする。すると目を瞑ったまま俺の首を腕で巻き取り強引の口内へ舌を突っ込んでいく、蹂躙できたことに満足したのか口の端から垂れる唾液を拭い取り、ニヤリと妖艶に微笑む。


「あら、つれないわね。受け止める準備は万全なのに」


「とても魅力的な提案だが状況が変わった。直ちに支度してくれ」


「了解」


 阿岸の惚気た表情が軍人らしい厳しい表情へと変わる、装備一式をテキパキと整えている。もう少しゆっくりしたかったが仕方あるまい。


 簡単に現状を伝え設置した移動用に設置したワイヤーに滑車を括り付ける。


「中央駅周辺のゾンビの圧力も多少は弱まっているだろう」


「そうね、あれだけ残骸が有れば納得よね」


 ゴロゴロ落ちている残骸を頬を引き攣らせながら阿岸が眺める。周囲が薄っすらと明るくなるにつれ全貌が見えたのだろう、直視したくない光景だ。


「受け止める為に俺が先行する。高低差が馬鹿にならなくてな」


「分かったわ、ちゃんと受け止めてよね?」


「もちろんだ」


 阿岸の腰にハーネスと安全帯を装着すると、俺はワイヤーに掛けた滑車の取っ手を掴み素早く滑り落ちて行く。二回目ともなると恐怖心は薄れているが眼下は見ないようにする。

 

 かなりのスピードでビルの屋上に突撃しているが滑車を離すと同時に下半身に力を籠め着地、強引に勢いを止める。ブーツが擦り減るが構わない。


 阿岸も追いかけるようにワイヤーを滑車でこちらに向かってくる。なぜかスピードがかなり出ている気がするのだが。


「いやぁぁぁぁあッ!」


 勢いをつけてしまったのかこのままでは壁に激突する。受け止めると言ってしまったからな。こちらに辿り着く瞬間受け止め、衝撃を後方に受け流す。このまま俺が壁にぶつかるのは問題ない、恐らく耐えれるはずだ。

 

 ゴムタイヤにぶつかるような感触が背面に掛かるも、ダメージは無い。問題が有るとすれば腕の中の阿岸が、ガスマスク越しに心配そうな目で見つめているくらいだろう。

 

「受け止めるって言ったろ? こちらは問題ない」


「ありがとう、本当に大丈夫?」


「ああ。行くぞ」


 安全帯を解除し、ビルを駆け下りて行く。安全確保はしているつもりだが警戒しながら階段を突き進む。もう少しで玄関ロビーに辿り着こうとしたその時。


「■■■■■■ォオォーーーー!!」


 鼓膜を突き破るような奇声と共に窓ガラスがビリビリと震えだす。やはり来たか、触らぬ神に祟りなしとばかりに脱出、振り返らずに高架下へ向かう。手慣れたものでワイヤーフックを放り投げ線路に上がる。


「気にせず行くぞ、関わらなければ問題ない。線路を使っていくぞ」


「図々しいというかなんというか、あなたがいると心強いわ。巣穴に爆竹放り込んで逃走するタイプね、あなた」


「ああ、悪い奴だからな。ついでに爆薬も放り込んである、このスイッチ押していいぞ?」


「――え?」


爆薬10ZP×50


残3834ZP


 ニヤニヤしながら阿岸に遠隔起爆のスイッチを手渡す。変なものが地下から這いずり出てこられてもたまらないからな。女は度胸とばかりにあっさりとスイッチを押す。

 その瞬間先程の叫び声とは比較にならない爆発が起き周囲一帯の窓ガラスが弾け飛ぶ、上空に煙が巻き上がり粉塵が辺り一帯を染め上げる。


 小さな破片がカランコロンと飛んできているが落ち着いてくる頃には胸の中に抱え込む阿岸に頭をペチリと叩かれた。こちらを恨めしそうに睨む。


「間違えたわ。あなたは巣穴に爆薬を放り込む、とっても悪くてとっても頼りになる男よ。ただもう少し加減を覚えなさい」


「了解。地下道は完全に潰したかったからな」


 中央駅構内を突き進む、先程の爆発で国道方面にゾンビが向かっているのか周囲には店内などにゾンビがちらほらといるだけだ。裏通りを小走りで突き進み、消音機サプレッサーを装備したハンドガンで進行上のゾンビを二人で処理していく。


 警邏官の派出所を通り過ぎる際にキーを刺したままの小型のバイクを見つける、災害発生に伴いキー刺したままにしてあるのだろう。あとは都市高速まで一直線だ。


 後部にキャリーしてあるボックスを破壊し二人乗りできるようにする、俺が後部に座り射撃を行う。体重が心配だが排気量が125ccの小型バイクなので何とかなるだろう。


「運転を頼む、俺は進行上のゾンビを蹴散らす」


「分かったわ。事故をしないように安全かつ最速で行くわ」 


 阿岸は嬉しそうにバイクに跨りキーを回す、キック操作でエンジンに火を灯しクラッチを踏み込む。その様は白黒ツートンカラーの警護官ご用達バイクじゃなきゃカッコ良く見えただろう。


「乗って」


「どこの富士子ちゃんさんかよ。了解」


 後部に跨るとタイヤがやや沈み込むが走行に問題は無い。アサルトライフルを構え、阿岸を背後から抱き締めるように銃を構え進行上に向け発砲する。


「音がうるさいが我慢してくれ」


「ええ、耳が死にそうよ」



 遠目に都市高速が見えて来ると肩の力が少し抜ける感覚がした。ゾンビが追いかけてくる様子もない。日は登り風がとても気持ちよく感じる。すでにガスマスクは放り捨てゾンビのいない空気を肺の中に落とし込む。


「とりあえず一段落だな、都市高速で車両でも接収できればいいが」


「そうね、なんだか疲れちゃった。もうゾンビの顔なんて見たくもないわ」


「落ち着けたら酒でもゆっくり――」


 地震でも起きたのだろうか、微かに振動が伝わってくる。段々と大きくなり、振動よりも音が大きくなってくる。


「なあ阿岸、一緒にいるの楽しかったぜ。お前は良い女だな」


「ちょっと待ってどうし――」


 抵抗を許さずに無理やり唇を奪い唾液を交換する。地響きは近づいてきている。


「先に行ってな、場所は把握している。慎重に行動しろ、不可能なら安全場所にいろ、無線と装備は渡しておく」


 バイクを停車させ、阿岸が持てる限りのグレネードや手榴弾、ハンドガンや食料を渡す。阿岸は信じられないような顔をして俺の顔を見つめてきている。右手の人差し指でコンコンと自らのこめかみを叩きながら伝える。


「どうやら俺は奴をぶっ殺さなきゃならないらしい。逃がしちゃくれないようだ」


 ゾンビーポイント関連の制約か何かと気づいたのだろう、可愛い顔を歪め悲壮な顔で涙があふれ始めている。

 ドンドンと地響きは聞こえる範囲になってきている。


「ゲームではなんていうんだっけ? 俺を信じて先に行けか? 英雄でも何でもないんだがな」


 遠目に巨大な生物が視覚に入る。年貢の納め時かもしれない。


「フラグは立てるもんじゃなかったなぁ。シャレになんねえや」


 阿岸は俺の頬を無理やり掴み強引にキスをする。今までで一番激しいようだ。


「二人目の娘はあんたが予約してんだから生きて帰ってこい馬鹿亭主。バカスカ中に出しやがって」


「息子かもしんねえぞ? ほら行け娘ちゃんと親御さんに俺の生き様を語ってこい」


「私は女の子がいいのよ。了解……作戦行動を遂行します」


 最後は涙を流しながらも綺麗な敬礼を送って来た、バイクに跨りこちらを一瞥もせず走り去る。自分を感情を律する軍人の鏡だね。そんなとこも良く見える。


「そう思わねえか? ちっと幸せに浸ろうとしたらこれかよ。ふざけんじゃねえぞコラッ!!」


 先程から脳内にけたたましい警告音が鳴り響いている。網膜デバイスに投影された内容を確認する。


――ミッションを発令しやがります

――指定特殊個体ゾンビを殲滅せよ

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