第70話 呪霊館 後編


「な…何でドアがあるの!?」


 そこは、金属製の壁で塞がれていたはずが、赤く血に塗れたような木製のドアへと変わっていた。


「どうなっているんだこれは!? 俺たちは幻覚でも見せられているのかよ!?

……触った感じも金属製から木製に変わっている……わけが分からない」

「……流石に、これは推測しようがありませんね…完全に私たちが知る物理法則を超えた現象です」


 そして、慄きながらもマイクは、そのドアノブに手を掛け、開くかどうか試みる。


「…ハ…ハハハ、おい…開くぞこれ…」


「なんかヤバくないこれ!? 入るのは止めた方がいいんじゃない…?」

「今更、何を言っているんだアンジー! これはチャンスなんだよ!「ヤバイ」? 好都合だよ!それは視聴者が求めているものじゃないのか!?ありきたりの動画じゃ埋もれていくだけで意味が無い!」


 功名心にはやるマイクは、アンジーの制止を言葉でねじ伏せ振り切り、僅かに躊躇ためらいつつもその部屋へと入る。他のメンバーらは、已む無くその後に続く。


 その部屋は、子供部屋同様18畳ほど。入って真正面の窓の付近に一脚だけアンティークの木製チェアーと、右奥に大きなクローゼットがあるだけで、殺風景な部屋となっていたが……。


「な…なんだこの柱時計は…? 何故こんな部屋の中央に…」


 その部屋の中央には、高さ約2m、幅30cmほどのヴィンテージ系、木製の赤い振り子式の柱時計が、まるで棺のように横倒しになって置かれていた。


「これドイツ製ですね…しかもかなり古いもの…相当高級なものですよこれ…数万ドルはしそうです」

「え!?マジ!?…それ持って帰れないかな…?」


「おい、やめとけアンジー! 動画撮影中だろ…今のカットなサム。動画で知って、これを盗みに来る奴がいるかもしれないからな」

「あ…ああ、オーケイ」


「何よ、冗談に決まってるでしょう!」

「だとしてもだ。今のは発言的に不味いからな…って…?」


 伊織の鑑定から目的を忘れつつあったアンジーを、部屋の周りを見回しながら諫めるマイクであったが、由々しき異変に気付き目を見開く。



 ──ドアが消えている。


「お…お…おい、出入口のドアが無くなっているぞ…」


「ま、マジ!?ってどうなってるのこれ!? 閉じ込められた!?」

「どういう原理が働い……それだけじゃないようです皆さん! 周りをよく見て下さい!」


 ドアのあった付近は、ただの壁と化して一同が混迷する中、更なる異常事態が伊織から告げられ促される。

 見れば部屋の天井、壁、床が荒い造りのコンクリート製へと化している。更に血が飛び散った跡、血塗れでのたうち回ったようなどす黒い沁みが、至る所に湧き出して現れた。


「い、いや、これ…かなり不味い状況じゃない!?」

「やっぱ入るべきじゃなかったんだよ…こんなの悪夢そのものだよ!」

「おいおいおいおい!これシャレにならないぞ!マイク!なんだこれ!? まるっきりホラー映画の展開じゃないか!」


「うるさいビリー! 黙れ!俺だって困惑してんだよ! こんなこと現実に起こり得るなんて誰が予想できるんだよ!?」


「私たちは、まんまとこの世ならざる者の誘いに乗って、こんな悍ましい狂気の空間へとおびき寄せられたみたいですね……」


 ホラー映画さながらの、どうすることもできない異常な状況に、メンバーらは総毛立ち慄く。各々後悔の念を抱きつつ、わめき散らすも後の祭り。

 身体中の汗腺から冷たい汗が吹き出し、背筋に強烈な戦慄が爪を立て、皮膚を抉るように激しく駆けまわる。




 ボオオオオオオン!ボオオオオオオン!ボオオオオオオン!



 事は更に混沌を手繰り寄せ、その空間の中央にある横たわる柱時計が、これから起きる何かを告げるように、不気味な音色を奏で鳴り響いた。



 ──まるで、終末を告げる天使たちのラッパのように……。



「何なんだ…いったい…これから何が起きる…?」


 マイクの呻くようなその呟きの問いに、答えられる者はこの場には存在しない。



「どうだい、この演出は? 楽しんでいただけかな、ボーイズ&ガールズ諸君」


「「「「「!!!???」」」」」


 正気を保つのが精一杯の状況に、突然聞き覚えの無い声に語りかけられる。大きく心臓が脈打ち、握りしめられているかのような思いで、その方向を見る一行。

 その声の主は、一脚だけあった椅子に突然現れ座っている。脚の前で木製のステッキを立て、そのクルンと曲がった持ち手の上に両手を添え置いた、老人らしき男。


「だ…誰? いつに間に…?」


「この老人は……この屋敷に入る前に、窓に見えた者のようですね…あのダービーハットは、あの時に見えたものと同じようです…おそらく事件最初の主人かと…」


 顔は目深に被った黒の山高帽ダービーハットでよく見えないが、老人なのは声質と雰囲気で判断したもの。黒のネクタイに紳士服の上から、古いタイプのベージュ色のトレンチコートを着込んでいる。

 

「その主人は確か一家を殺害した後、自殺していたはずだよな…つまり、この老人は亡霊ってことだよな…」


「ふむ…こちらの素性を探る考察の方は、もうよろしいかね? どうせ当たることは無かろうし」


「ひっ!!」


 そう語りながら老人は顔を上げ、その悍ましい表情が露わになり、身の毛がよだち慄然りつぜんと驚愕する少年少女たち。


 その顔は、まぶたが閉じた状態で糸で縫われている。鼻は削がれ、顔下半分の皮が剥がれて垂れ下がっている。口元周りは、皮膚の無い歯茎がむき出し、黄色く濁った歯が、嫌悪感を更に掻き立てるものであった。


「ん? どうだい?中々のイケメンであろう。その表情らは実にかぐわしい!ウハハハハハハハ!!」


「あ、あんた、いったい何者なんだ!? ただの亡霊じゃないだろう!?悪魔か!?」


 飄々ひょうひょうと語るその悍ましき老人に、必死に消え入りそうな勇気を寄せ集めて、その正体を探るべくマイクは問い詰める。


「ブー!君らの考えている予測はどれも外れだろうな。まず私は生きているからな…いや、半分は死んでいるのかな? この身体の持ち主はな」


「はっ!? 身体の持ち主!? 何を言っているんだ!? 生きた存在がこんな…」


 全く要点が得られない老人の言葉は、更なる疑問と混迷を生み出してゆく。


「おそらく、悪魔とは違う何か別の存在の魂が、死んだ主人の身体に…いや、生前にとり憑き殺し、支配してからのあの犯行なのでは? そして、その自殺は偽装ではないでしょうか……?」

 

「ほほう。頭の回る小娘がいるようだな。ほぼ正解だ。…まぁ、それが分かったところでその運命は変わらないであろう。これは不可逆的で必然なこと。さて、これ以上問答を続ける意味も無かろうし、もう始めるとしよう」


 伊織の推測はズバリだったようで感嘆しつつ、もう話す必要な無いと、おもむろに老人はパチンと指を鳴らし唱える。


貪リ喰ウ昏キ狂騒曲ファゴサイトーシス


 ギギィィイイィィィィィ……。


 すると、奥にあった血に塗れたクローゼットが、ゆるりと開いた。

 その開いたクローゼットの中を、ビリーが照明で照らすも真っ暗な闇。一切何も見えず、光を投影しないペンダブラックの空間。


 理解のできない余りの恐怖に、もはや、語る言葉を失った少年少女らは大きく目を見開き、これから起こり得ることを、ただ見つめる事しかできずにいた。


『『『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』』』 


 シュルシュルシュルシュルシュルガシッ!!


 怖気立つ悍ましいい無数の叫び声と共に、クローゼットの闇の中から何かが伸び、マイクの足首を掴んだ。


「うわわあああ、なんだこれ!?手かぁ!?」


 その長く伸びてきたものは、皮膚の無い赤黒い筋張った触手のような腕。その手で足首を掴まれたマイクは、引っ張られて倒され引きずられていった。


「マ、マイク!!」


 そこから、次々と無数の歪な腕が伸びて来る。少年少女らの足や腕、肩、首に髪など至る所を掴まれ、クローゼットの闇へとマイク同様、圧倒的な力で引きずられてゆく。


「きゃあああああ!やめて!離して!!痛い痛い痛い!!」

「クソ!何なんだコノヤロー離せ!!」

「ノーノーノーノー!!やめっ!痛ぇぇ!!骨が折れた!!」

「不味い不味い不味い!!これ絶対死ぬやつです!!」


 抵抗も虚しく引きずられ、最初にマイクの足がその闇に触れた瞬間、シューズが弾け散り、足の皮膚、肉、骨の順に分解するように粉々になっていく。


「ぎゃあああああああああああああああ!!!!」


 その激痛による絶叫と共に、更に次々と掴まれ、闇へと引き込まれる。そして、マイクは全身が粉々になり、闇に消えて去った。


「「「「うあああああああああああああああ!!!」」」」


 その悍ましい光景は、スローモーションと化し、それを目にした他のメンバーらは足掻きながらも、ただ叫ぶことしかできずに次々と引き込まれ、マイクと同様の凄惨な死を迎えてゆく。


「マイク!アンジー!サム!ビリー!!…… な、何故こんなことに!?」 


残りは伊織だけとなり、その瞳には止めどなく涙が溢れる。すでに消滅した友人らの名を連ね紡ぎ、後悔の念に苛まされながら己の死を覚悟し目を瞑る。




 ──そうして、伊織もその闇へと儚くも消えていった……。


「!?」



 伊織が消失した後、クローゼットの戸は勢いよく閉じる。狂気の笑みでその絵図を堪能していた悪夢の老人は、最後の一人の少女、伊織が闇へと消えた光景に驚きの表情を浮かべた。


 それは、他の者らが分解消滅していく中、最後の少女だけが衣服すらも一切破けることなく、そのままの姿で呑み込まれたからだ。


「どういうことだ? あの小娘はアジア…日本人か!?……そうか、その血があれを守ったのか?……ふむ、 どうやら古い特異なその血を濃く受け継いだ者であったようだな……」



 ──古き縄文戦士の類まれなる血が……。



 それを知るこの老人の身体を支配する魂は、その能力だけではなく、知識においても只ならぬ存在であることが窺える。


「……あの世界に飛ばされたか…運がいいな。だが、二度と地球には戻れまい。まぁいい、一人ぐらい何の問題にもならん」


 そう語ると、老人の顔が見る見る変化。剥がれていた皮膚が再生し始める。削がれていた鼻も元の鼻へと戻り、瞼は縫われた状態だが、人間らしいものの顔を取り戻す。


「ようやく、ここまで回復できたが、若さまでは取り戻せなかったか…まだまだ血肉が必要であるな」


 そう言いながら椅子から立ち上がり、自分の掌を見つめながら呟きは続く。


「ここは、もういいだろう。大分力も取り戻せたようであるし、次のフェイズへと動きだそうか…さぁ、どこへ行こうか? 多くの血が流れ、強い戦士が集まる地がいいな…そうなると地球では中東辺りかな?」


 どうやら、この存在は力を取り戻す為に、人目がつかず、超自然現象として警察関係の捜査の目から外れ、地道ながらもそれを得られる場所に、この屋敷を築いたようだ。

 まず、最初の主人に取り憑き、徐々に支配。その家族を殺害、血肉を喰らい少しずつ生命エネルギーを吸収することから始め、ある程度力を得てから闇を使い、効率よくエネルギーを得ることが可能になり今に至った。



「そこから最終的に煉獄へと辿りつければ、完全に元の力を取り戻せる上に、我が軍勢も築ける。よくも、こんな目に合わせおって……覚悟しておけ!!」


 狂気と憎悪に満ちたその眼でそう語りながら、その存在は天井を仰ぎ見る。




「なぁ!…いや、地球では‶ワイズマン〟と呼ばれていたかな……」



 それから、その存在は手に持っていたステッキをトン、と床を叩くと、漆黒の闇が円形状に渦を巻き現れる。その闇へと躊躇なく足を踏み入れ沈み込み、その姿が見えなくなると、闇の渦は緩やかに閉じていった。


 その後、主人を失ったその屋敷は跡形もなく崩れ去り、塵となって風に吹かれ霧散していく。その後は雑草が生い茂るただの空き地と化し、何事も無かったかのように静寂がその場に訪れた。

  







「はっ!? ここは私!? どこはいつですか!? 今は誰ですか!?」


 悪夢のような災厄から逃れ、意識を取り戻した伊織だが、何やら思考がとっ散らかっているようで、文章がおかしなことになっている。

 身体を起こして頭をブルンブルンと振り、側頭部を掌で叩き、こめかみをほぐせば、徐々に思考が回復してゆく。


「アンジー…皆…。なぜ私だけが助かって…どうしてこんなことに……」


 死を覚悟した事、そして親友や、仲間たちの末路を思い返す。その失った大きな悲しみや恐怖、後悔などの複雑な感情が重なり、その双眸に大粒の涙が溢れだし零れ、しばし、その思いに囚われ泣きじゃくる。


 だが、こんな場所でいつまでも悲観し泣きじゃくってる場合じゃないと、涙を拭い、パンっと一喝、両掌で頬を叩き自らを奮い立たせる。


 まずは、周囲の確認からだと見渡せば、そこは穏やかな風が葉をゆらす、見知らぬ草原であった。

 肌に触れる葉の感触と鼻孔をくすぐる草の香りが、穏やかであるものの否応いやおう無く、今の状況が現実であると明確にそれを告げている。


 遠くには山々が雄々しく連ね並び、その麓には広大な森が広がっている。

 空は青々と晴れ渡り、幸運を告げるとされる鳳凰雲が、山々の向こうから緩やかに漂い流れている。


 更に情報を得ようと、立ち上がって見回す。すぐ傍に舗装されていない街道のような土の道路が見え、馬車が通ったような馬の蹄の跡と車輪のわだちが、その道路沿いに刻まれていた。


「ん~~とりあえず歩いてみましょう…って、街らしきものが見えますね…中世のやつっぽいですけど……」


 どうやら、そこは運良く街のすぐ傍だった。どう言う流れになるか分からないが、危険生物が横行闊歩する場所よりは遥かに良好。


「あーもー、ハイ!ここ異世界ですね! 日本のラノベやアニメで、たらふく喰いまくりましたよ!」


 その人並外れた洞察力が無くても、単純明快な状況を察することができた。


「とりあえず、往ってみましょうか…冒険者ギルド的なところはあるんですかねぇ?」



 こうして、伊織は悍まくも風変わりな異世界転移に至ったようであり、意気も揚々と歩き出し、激しくも波乱に満ちた人生が、その幕を開けた。



 前日譚 災厄の始まり 完

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