第64話 何言ってるか 分かんねーよ


「あれは【酔八仙拳すいはっせんけん】……【酔拳】です!!」


 伊織のその確証を裏付ける言葉は、絶望的な状況から一転。この対戦を見守るドールガールズらに活気と高揚感を生み出してゆく。


「ヤバっ!キャロル!!あんたと同様にあいつに惚れそうだよ!!」

「私もアデラと同意見よ!けど、ワルキューレもいるしでライバルは多そうよ!!」


「何をくだらないこと言ってんのよ!ティーンエイジャーじゃあるまいし!あいつはただの憧れと言うか……ほら、ハリウッドスターに抱くアレ的な感情よ!分かるこれ?」


 何やら和気あいあいと、ガールズトークを繰り広げているドールガールズ。

だが、ここは異世界。しかも、危機的状況をすっかりぽっかり忘れ去られてしまっている。


「クソみなさーん!いい加減にしてくださいねぇ。時と場所をがっつり把握してくださいねぇ。まだ状況は厳しい状態のままですから、浮かれ気分でいたら私がぶっ殺しますよー!」


「「「その言い回し!!」」」


 伊織に諫められ、改めて状況を見守り始めるドールチーム。



【酔八仙拳】は、中国の南北に多数存在する『酔拳』と称される拳。流派は無く、まるで酒に酔ったような独特な動きが特徴である。


 この武術は、地を背に戦う『地功拳』系や内家三拳の一つ『形意拳』に分類されており、足場の悪い場所での戦闘に適した武術だ。

『酔八仙拳』の八仙とは、中国の有名な八人の仙人であり、この『酔八仙拳』は八仙の酒に酔う姿を模した象形拳(形意拳)でもあるのだ。


 伝承では各地に伝わる『酔拳』を二人の武術家が研究し、それに『少林拳』『八仙拳』『地功拳』などの技術を組み合わせて創始されたのが、この『酔八仙拳』である。



 ──こいつは何なのだ!? こんな小さき物がこんな奇妙なふらついた動きで、何故、俺ぴんがこんな目にあっている!?


 一人称呼びが若干おかしい赤虎ラプトルだが、嘗て無い傷を負い、今まで味わった事の無い痛みの数々に、理解のできぬ混迷の渦の淵に立たされていた。


 そんな赤虎ラプトルの困惑の心の叫びなどつゆ知らずに、何食わぬと、ふらふらゆらゆらとこの大自然の中で漂い、その身を任せるトール。



『ブルグルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』


 その姿に激しい怒りを覚えた赤虎ラプトルは、自らを奮い立たせ戦意を高めるかのように、耳をつんざくような大気を震わす大音響の咆哮を放つ。


「くっ、なんて音量の叫び声なんだよ!!鼓膜が破けるかと思ったよ!!」

「なっ!?何なのよ、身体が勝手に震える…これは恐怖か畏怖なの……?」


 ドールガールズらも、余りの激しい爆音の如き咆哮に耳を塞ぎ、言いようの無い戦慄がその身を貪り喰らいついてくる。


「あの圧力……魔力が込められてますね。おそらく相手に恐れを抱かせる『スキル』【強者の威圧ガニアン プレシオン】ですかね……」


 ここはもう異世界だ。伊織のこんなセリフも有り有りな状況だが、他のメンバーは聞こえていない。


 

 地球人類の最新鋭。特異個体が使う武術に対するのは、太古から生き抜いた現時代の最新鋭。特異恐竜個体が使う武術。言わば【真恐竜拳】。


 時空次元を越えた異界異種格闘戦。勝敗の決着はお互いの『生死』。 最もシンプルで最も原始的なルール。


 人類種の【酔八仙拳】VS 肉食獣脚種ヴェロキラプトルの【真恐竜拳】。


 フィクションですら見る事が無い異種格闘対戦カード。地球から遥か離れた次元の彼方で行われていたのは、ここにいる者以外知る由も無い。

 

 ダン!!!


 赤虎ラプトルは、傷だらけの身体で血を飛び散らせながら大地を強く蹴りだし、飛ぶような高速移動でトールの許に降り立つ。


 ──竜頭牙りゅうとうが!!


 そこから、頭部を横に傾けて顎を大きく開き、トールの頭部を噛みもぎ取るべく噛みつき攻撃を振るう。


月牙叉手げつがさいしゅ虎爪こそう


 赤虎ラプトルの噛みつきを、トールはゆらりと身体を捻り躱しながら『月牙叉手』杯手の形。手首のスナップを利かせた裏拳の要領、第二関節部分でその首の肉を抉リ剃ぐ。


 更にその返しで、腕を戻しながら手首のスナップを利かせ、今度は人指し、中指先で反対側から手前側に、深く首の肉を抉り削ぐ『虎爪』。

 この二つの技は、酔八仙の一人『曹國舅チョウ・クオッカウ』の技法。


 この技を会得するには、クルミの硬い殻をその指で割れるほどの強い握力と指の力が必要になるが、今の状態のトールの握力は軽く1tを超えている。


『ブルアアアアアアアアアッ!!!』

 ──竜爪散斬りゅうそうさんざん!!


 その焼けつくような首の痛みに耐えながら、赤虎ラプトルは右鉤爪をトールを縦に両断すべく振り下ろす。


 それをトールは、トンと折り曲げた手首の外側で弾いて受け流す。赤虎ラプトルは、そこから燕返しのような下方から折り返してVの字、裏鉤爪を斜めに振り上げる。


 ──竜爪 飛燕りゅうそう ひえん


鈎手こうしゅ


 その折り曲げた手首を外側で打つ技。今度は破壊を目的とした威力。振り上げ掛かった赤虎ラプトルの右腕を、カウンターぎみに叩き落とすように、その腕の骨を砕き折る。


『グルガアアアア!!!』


 ──なぜだ!?なぜだ!?なぜだ!?強化しているはずこの俺ぴんの身体が、次々と破壊されゆく!!


 魔力にて身体を強化しているはずが、それが意味をなさずに効果が見られない状況に、赤虎ラプトルは激痛の叫びと共に混迷の渦にズブズブと浸ってゆく。


 この状況を説明すると、トールは全身に気剄を巡らせた【剛体術ごうたいじゅつ】で強化しており、攻撃の際は指先に気剄を集中させている。

 かつ、1トンを超える握力。イリエワニの咬合力級の圧力が、従来の武術からではあり得ない破壊力を生み出しているのだ。


 何の事はない。トールのそれらの『霊素』を練り上げた【気剄力きけいりょく】と武の力が、赤虎ラプトルの体内の『魔素』を集束して昇華させた『魔力』による【身体強化フィジカルフォース】を陵駕してただけの事だ。

 これは地球人類最新鋭と、恐竜最新鋭の赤虎ラプトルとの【原始の力】のアップグレード対決は、トールに軍配が挙がったようだ。


 因みに運動エネルギー(ジュール)の計算式は1/2×質量×速度の2乗。

 5.56mmNATO弾の場合、質量約4g 速度は約990m/s そのエネルギー量は 1960J。


 対してトールの握力エネルギー量は、質量はその握力に置き換え約1000kgとする。速度は仮に5.56mm弾の1/3として、導き出されるその運動エネルギー量は、54,450,000J以上。


 まぁ銃弾の場合は、他に材質形状にジャイロ回転やら速度衝撃やらで、貫通力の話で言えばまた変わってくるが、それを差し引いてもかなりの差だ。


 ドオオオオオオオオオオオオオオン!!!


 そうこう考える間もなく、トールはふらりとよろけるように、その内門内側へと入り込む。そこから急激にりながらの強烈な上方向への蹴りで、赤虎ラプトルは上空に打ち上げられる。


 これは、腰の力が抜群に強い、蹴りの力が随一と言われた酔仙『藍采和ラン・チョイウォ』の蹴りの一撃。


 ドゴオオオオオオン!!──ドン!!ドン!!ドオオン!!

 

 そして、赤虎ラプトルが真っ逆さまに落下。地面に届く前にトールは、一足跳びながら右脚上方蹴りを頭部に放つ。落下衝撃が加わり、その頭部の岩のような角モヒカンが砕け散り、頭骨と首の骨に亀裂が入る。

 その僅かに空中に停止した刹那、透かさず、膝蹴ひざげり、ひね脚蹴あしげりから、回転肘打かいてんひじうち。追い打ちかけるように強烈なダメージを蓄積させてゆく。


 これは、強力無比な鉄の右足を持つ酔仙、蹴り技に長けた『拐鐵季ティクァイ・レイ』の足技。回転しながらの肘打ちなども、その特徴に含まれている。


龍尾脚りゅうびきゃく


ドオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!


 そして、一旦着地からその連撃の締めに、身体を捻り跳びながらの強烈な威力の、回転旋風蹴り。


 これは、吞めば呑むほど強くなる老酔仙、両足の蹴り技が得意な『張果老チャン・コォロウ』の蹴り技が織り交ぜられている。この酔仙は、連続回転旋風蹴りや、宙返りなどのアクロバティック技を得意としている。


 この『龍尾脚』は、蹴り技が得意な酔仙たちの特徴を活かし、集約した合わせの蹴り技。本家の恐竜である赤虎ラプトルの尻尾攻撃のお株を奪い、更なるダメージが与られて、大きく吹き飛ばされる。


「「「…………………………」」」


 あの圧倒的と思われた赤虎ラプトルが、あちらこちらに弾き飛ばされる姿に、大きく口と目を見開き、唖然愕然とするドールガールズ。


「何これ……? 酔拳ってこんな威力だっけ……? てか、攻撃しているところは速すぎて見えないけど……」


「ゆるりとしたところから一気に高速で攻撃をしかけているので、その緩急の差が大きすぎて余計に速く見えるんですよ……。それも雷神さんのスペックがあってこそのこの状況ですが。雷神に酔拳……この組み合わせは、実にクソエグイですね……」


 昔の漫画等の格闘シーンでは、こういう解説キャラが必ずいたものだ。


「…なぁ、キャロル。昨日のあの闘いといい、新兵時代と比べて今のあいつってどうなんだ?」


「……いや、あの頃はサっといなくなったと思ったら、ぱぱーっと終わらせて帰ってきてたからね……。実際よく見てないんだわ。敵の散々な死体は幾つも見て来たけどね……」


 トールが戦場でその力を行使していたのは、味方の攻撃が行き届かなく、手を焼くほどの激戦状態時が多い。尚且つ単独で敵陣に乗り込むなど、味方の兵らが目にできない状況がほとんどだ。

 しかも、武装しているとは言え相手は人間。これほどの力を使うまでもなく処理できていたので、トールが真の戦闘を行うのは、この世界でが初であるのは自明な事である。


 ──クソクソクソクソクソ!!いったい何なのだ!? 俺ぴんが、俺ぴんが、俺ぴん、オレオレピンピン、オレピンピン!! オーレ~~ オ~レ~~!! チャチャチャ!! マツなんちゃらサン~バああぁぁああああああ~!!


 余りにも強烈な衝撃を頭部に受けたため、何やら思考が散らかり始めた赤虎ラプトル。


 ──……いいだろう『貴様ぽん』のその強さ。戦士として認めてやろう。その名を聞いておこうか? 名乗ってみせよ。貴様ぽんは何と言う名だ!?


 二人称呼びもややおかしいが、これほどの強敵との戦いは初めての経験。すでに満身創痍の赤虎ラプトルだが、戦士としての誇りが彼を奮い立たせ、己の存在意義を掛けた更なる闘争に向け、お互いの名乗り上げを申し出る。


「…………」


 赤虎ラプトルの名乗りの申し出を拒否しているのか、酔拳の足取りの象りによって、ふらつきながら押し黙っているトール。


 ──む?……そうか。相手の名を聞く前に、まずは自分から名乗るのが礼儀であろう。そう! 俺ぴんの名は『チョロ助』だ!どうだ!? 実にいい名であろう!!それで貴様ぽんの名は何と言うのだ!? 言ってみそ!?


「………………」


 ──貴様ぽん!! 何故に押し黙る!? この戦士の矜持を愚弄するつもりか!?


 更に沈黙を続けるトールに、戦士の気概きがいを大いに踏みにじられ、怒りを露わにする赤虎ラプトル。その御名は『チョロ助』。



 だが、実際に聞こえるトールの耳には……。



『クワブルフォクワクブベェブフォホブフォクエェ』


「何言ってるか分かんねーよ」

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