第57話 あーごめんくさい!


 ──すぐ後ろにいる。



 生臭さと共に、耳元で荒々しい息づかい。もう見ずとも分かっているが、その正体を確かめるべくキャロルは、恐る恐る大きく見開いた目だけを動かす。


 

 ──それは、確かにそこにあった。



 僅か数十センチの右の顔すぐ脇。灰色の頭胴長の凶悪な顎が、確実にそこにあったのだ。



『クワァァアアア!!!』


 その凶悪な顎が大きく開き、キャロルの頭部を喰らうべく、弓矢を放つが如く大きく首を引いた。



「「「「!!!!」」」」


 キャロルは勿論、部下たちは余りの恐るべき状況に1ミリすら動けなかった。

 先ほどの前哨戦とも言える、彼らのデモンストレーションは、非常に効果を示したようだ。


 それは彼女らに、恐怖と言う名の猛毒の花を植え付け、それが芽生えて急速に開花したのだ。


 これから確実に起こる無残な光景が脳裏をよぎり、目を逸らす事もできずに、その想像の絵図が現実とリンクしようとしていた。



 ──やられる。



 死の直前、変性意識状態の一種。視界の光景が緩やかに動き、過去の記憶が次々と巡り回る。ふと思い出したのはトールの姿。

 

 それは、恋愛感情と言ったものではなく、憧れのようなもの。



 ──あいつなら、こんな状況でも一切揺らぐことなく、余裕で乗り切って見せるんだろうね……。



 イラクでのあの日、彼女は自分だけではどうにもならない、無力さと弱さと言うものを知った。

 

 それは、実力的なものも然る事ながら、精神的なものであったり、何より自分に対しての、自信とその誇りを持ち得なかったのだ。


 明確な目的もなく、漠然と兵士として生きていた中、トールの存在は余りにも眩しかった。


 彼は、それだけの強さを持ち得ながら、更なる向上を目指し、貪欲なまでの飽くなき力への欲求を常に抱いていた。努力も惜しまず、その成長具合は目を見張るものばかりであった。


 何度か死地を乗り越えたものの、それは、トールの獅子奮迅の働きがあってこその成果であり、生還であったのを今でも骨身に沁みて覚えている。


 指揮官としても仲間としても、あれほどの信頼ができ頼れる存在は他にいない。

 それが自分自身の力ならば、どれほどの自信と誇りを持てようか。



 ──自分も、あんな風で在りたい。



 そうした思いからキャロルは、女性ながらもその強さの果てを憧れ、消え入りそうな微かな光を追い求めた。過酷な訓練を乗り越え、数々の戦場を渡り生き抜いてきた。


 だが、その微かな光は掴めたかと言うと、微々たるもの。はっきり言ってしまえば否だ。

 

 未だその一欠けらも得られずに何も成し得てないと、晩秋の切ない思いが脳裏に木霊する。

 


 ──そう言えば、テッドも先に逝ってたわよね……フフ、あいつあの世で何しているのかな?



 そんな、些細な他愛のない事を思い描き、覚悟を決めて身体の力を抜き、儚く寂しげな笑みを零す。



「バイバイ。みんな、先に逝くね」


 

 そして、部下でもあり苦楽を共にした友人たちに、最期の別れの言葉を告げ、瞳をゆっくりと閉じるキャロル。


 口を押さえ、双眸に大粒の涙を浮かべ、その光景を何もできずに、ただ見続けることしかできない仲間たち。



 その刹那に、公開処刑のギロチン台が如き断罪の顎の刃が、ついに無慈悲にも振り落とされる。

 


 ──ダン!!





 ──だが、しかし。



 仲間たちが、その絶望的な状況を諦めて見守る中で、一人だけ凄まじい速度でキャロルの許へと辿り着いた者がいた。


 

 ドン!!バン!!!



「え?」


 

「「「!!!???」」」



 それは、早見伊織だ。



 そのラプトルの一体が、キャロルの頭部を噛みもぎ取ろうと、その凶悪な顎が触れようとした瞬間。

 地面を強く踏みつける【震脚】と同時に、ソフトボール競技のピッチャーの下手投げのように腕を高速で回転。下方から掬い上げるような掌で、伊織は強烈な『鞭打』をその顎下に撃ちこむ。


『グブアァ!!カウフブゥ!?』


 その動きは『劈掛拳』のようにも見えるが、中国武術の掌打による一撃だ。


 突然の下から顎への強烈な衝撃で、大きく仰け反ったそのラプトルは、何が起きたかと苦痛と驚愕らしき反応。それを齎した輩を確認しようと、身体を元の位置に戻したところで目にしたのは、大きく振り上げた脚だった。


 ドオオオオオオン!!


 それは伊織の真上、180度開脚からラプトル頭部へ、戦槌が如き強力無比の踵落とし。


 タタタン!!


 その脚撃で、地面に強く叩き伏せられたラプトルの頭部に、左手に持っていたSCARースカーLの、サプレッサー付きの銃口を押し当て、スリーバースト射撃を脳に撃ちこみ、その一体を射殺。


「「「「!!!!」」」」


 刹那に起こった全くの予測不能の出来事に、ドール1チームの面々は涙目ながら大きく目を見開き、思考停止で押し固まってフリーズ状態。


 それが超至近距離で行われ、間近で見ていたキャロルは軽く白目をむく。


「ああー、なんたる体たらく!ビビり過ぎです!!それでも米陸軍特殊部隊ですか!玉は付いているのですか!? あなたたちは自分の能力をナメすぎじゃ、あ~りませんかぁ!? もっと自信と誇りを持ってくさい!あーくさい!ごめんくさい!!」


「…いや、女だから玉は付いてないよ……」



「……あー!ごめんくさい!!」


「「「………」」」」


 せっかくの士気を取り戻させる為の口上が、今一決まらずに逆にツっこまれる伊織クオリティ。


「あ…あんた…いったい」


「ハイハイ、質問はこの状況を乗り切ってからにしましょう! では、キャロル大尉!指揮をお願いします! フォローは任せてくさい!あーくさい!!」


 今は亡き、新喜劇レジェンド芸人の往年のネタギャグ口調を入れつつ、場の空気をリセットする伊織。

 忘れてもらっていけないのは、これは日本語吹き替え版であって、あくまでも脚色通訳イメージだ。

  

「ハハハ!! サンキュー伊織!あんた最高だよ! よーしみんな!!気合いを入れ直しなよ!それじゃあ戦闘を開始するよ!!」


「「「イエッサー!!」」」


 生気を取り戻したキャロルにより、戦闘開始の合図。それに英気に満ちた表情で明快に呼応するドール1チームの隊員たち。


 それを遠くから見ていたモヒカンラプトルが、一瞬眼を見開くも再び細めてニチャァっと、下卑た笑みのような表情を造りだす。


「……!」


 その表情に何か気づいたキャロルは、透かさず部下たちに指示を出す。


「アデラは左側を! アニータは右側! ドリーとジェナは後方を警戒して!! サークルフォーメーション!! また伏兵を送り込むつもり気よ!! イオリはみんなのフォローをして!!」


「「「イエッサー!!」」」


「う~ん、マンダムですねぇ。実にいい指揮ですよキャロル大尉」


 もう先ほどの儚げな、か弱き女性の姿はそこにいない。今そこにいるのは、屈強米陸軍特殊部隊 CSTの精鋭指揮官だ。


 そして、キャロルの推測通りに左右後方から、今度は3頭のラプトルが姿を現し、顎を大きく開け襲い掛かって来た。



 タタタ!!タタタ!!タタタ!!タタタ!!タタタ!!タタタ!!


 わざわざ、でかい頭部を更に口を広げて差し出してきたので、そのお礼の5.56mm弾をその3頭の頭部、口内にご機嫌麗しゅうとばかりにぶち込む。


 そして、バタバタと転がり倒れて、顔面がえらい絵面になっているジュラッシック生物。


 サプレッサーにより、銃声が減音される為、他からの余計な応援は無いと思えるが、問題はモヒカンラプトルの存在。

 もしもの場合は、このリーダー個体が他の増援を呼ぶ可能性が高い。


「そろそろ、本格的にヒャッハー仕掛けてきそうな雰囲気ですね……あのモヒ官」


 見ればモヒカンラプトルは、まっすぐこちら側に身体を向け、下卑た笑みを止めて鋭い眼でドール隊を見据えていた。

 他のラプトルらも食事を止めて散開、全てが臨戦態勢を整えていた。


 テロリストらの死体があった辺りは、モザイク必須の散々な状態。モラルの無い、たちの悪いDQNらが帰った後の、居酒屋テーブル跡のような惨状だ。


「わざわざ必要以上にテロリストらを残酷に嬲り殺し、こちらの恐怖心を煽り、伏兵まで忍ばせたりと、やり口が姑息すぎますねぇ……。あのモヒ官、私がボコってもいいですか、キャロル大尉?」


 この何年か先に起こる、ニューヨーク怪異騒動事件での慌てふためくポンコツ実況の姿は何だったのか?

 などと思わせる伊織の強者感は、チームらに信頼と戦意を大いに掻き立てるもの。


 この姿にトールと重ね合わせ、自分が求める姿がここに在ったと、複雑な思いでその眩しい光を見つめるキャロル。


「ハハハ! あんたクレインみたいだね! 援護はするから好きなように戦っていいわ! その光を私にもっと見せて! そして必ず私もその領域に立つわ!」


「はぁ!? 雷神さん? あれは異常です!! さすがにあそこまでは私も無理です! ちょっと何言ってるか分からないですけど、ぶち殺したります!!」


 ここにまた強者を目指す者が密かに現れた。その決意の先の光に想いを馳せて、沸き立つキャロル。


「よし! 話は聞いていたわね!? 私はイオリの援護をするから、皆は他のラプトルたちを仕留めて! アデラは状況を見て私のフォローを頼むわ!」


「「「了解!!」」」


「任せろキャロル! それとイオリ!あのナメたモヒカンヤローを、徹底的にフルボッコにしてくれよな!!」


「フフフ、当然・デス!! そうだ! あれを今夜の食料にしましょう! さすがに他のクソラプトルの人を食べた雑魚乙なんか、心情的に無理無理のクソゲロ案件ですからねぇ」


「……イオリ。言い方がかなりヤバいぞ」


「はっ!そうですね! 自分でもそう思いました! あーごめんくさい!!」


 そうして、ドールチームの士気が爆上がる。ここに地球生物史の最古の特殊部隊と、現代の特殊部隊の戦いが人知れず開始するのであった。


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