第49話 黄昏の坩堝
「手遅れだ……」
その言葉は、絶望そのものを意味していた。
間違いなく地球人類最強種である
そして、険しい表情から一転。力が抜け、虚ろな表情で天井を仰ぎ見るトール。
その様子を、ただ黙って見守ることしかできないチームの面々は、一様に複雑な表情を浮かべている。
「はぁ…お手上げだなこりゃ」
それは、諦めの表情なのであろうか。顔を下ろし、どこか遠くをぼんやりと見つめながら溜息をつき、そう呟く。
──そして、こう告げる。
「皆死ぬ」
デデーン!!
気のせいであろう。何か効果BGMのようなものが聞こえた気がした。
「トール! アウトー! タイキックー!」
バチイィィィィイイイン!!! ゴロゴロゴロゴロゴロ!!
ドオオオオオオオオオオオオオオオオン!!
「いぎぃぃぃ!!だだばらっがががぁぁ!!」
突然の謎のコールと共に、トールの
更に、その勢いで激しく転がりながら壁に激突する。
「だぁっぁ!痛ってぇな!誰だコラ!!」
透かさず立ち上がり、気の抜けた顔からまたもや一転。生気を取り戻したトールは、激痛に襲われた頭と尻を押さえながら、それを齎した輩の正体を怒りを露わに見れば。
「フフ、目が覚めたかしら?このクソボケカスハゲコラ、ウンコトンチンカンは」
「「「「ワルキューレ!!!その言い回し!!!」」」」
その正体の主は、強烈極まる鞭のようなムエタイの蹴りを放ったリディ。
ウルフチームの面々も、驚きによるレスポンスを揃って唱和。
「おい、ワルキューレ!急に爆走しっ…て、雷神がいんじゃねーか!それとリーコン隊も!?いったいどうなってんだ!?」
その後に続く坑道奥から、デブグルのリカオンチームの面々も姿を現す。
「な!? リディかよ! てめぇ、いきなり何すんだ!? クソ痛てぇだろがハゲコラ!!」
シャレにならない蹴りの威力に、トールも激しく苦言砲をぶっ放す。
ケツが四つに割れるどころではない。普通の人間なら、真っ二つになり兼ねない威力。
「全く何て嘆かわしい。ムエタイの蹴り一つでその『タイ人』の二つ名が泣くわよ!本来であれば、涎を垂らし、お代わりの一つでも所望するところよ!」
「タイ人じゃねーよ!どんな二つ名だ!? 蹴られて、んなキマってたら、ただのド
「何、上手いことを言ったような気になって、ドヤ顔しているのかしら? キモいわよ!」
「やかましい!!てめぇのボケの振りだろうが!!ちゃんと拾ってやったんだから、少しは敬えやクソボケ!」
何やら、激しいどつき蹴りから、
「これは、しょうもない顔をしていた罰よ。分かっているわね? しょうもない」
「あ?…ちっ、だからっつって、そのエグイ蹴りはねーだろ! 腰の骨が折れるわ!それと、しょうもないを2回も言うなクソカス!」
「何を言っているのかしら? これはまだ生温い方よ。日本のテレビ番組でやっていたけど、そのルールの罰は、大勢の黒ずくめの組織の者から鉄パイプやら釘バットで、ひたすらお尻をボコられるって寸法よ」
「どんな番組だよ!コンプライアンスどころか、普通に法に触れる大問題になるっつの!!」
「さぁ? 以前日本に訪れた時、年終わりの夕方から、年明けにかけて放送していたものよ。罰を受けた者は、皆すごく喜んでいたわ」
「めでたい時に、んな番組あるか!お前色々と、とっ散らかってるよ!それと、その黒ずくめの組織って何だよ!? 酒類の名前でもついてんのかバーロー!」
先ほどまでの、緊迫感と絶望感はいったい何だったのか?と、疑問に思えるほどの、シリアスキリングの一幕。
そして、何やらうずうずしている者2名が、ウルフチームに控えている。
「フフ、活気が戻ったようね。『バカヤロー、元気があれば何でもできるダー!』って格言があるくらいだし、諦めるのは、事の状況を全て把握してからにしなさい バカヤロー ダー!」
「うっせ!それ格言なのか!? はしょり過ぎだろ!」
アメリカ在住のはずなのだが、やたら日本のカルチャーに、どっぷりハマっているリディ。省略し過ぎるイノキイズムを交え、トールを鼓舞する。
「……俺たちは、何のネタ芸を見せられているんだ?」
「ああ…何なんだろうな……」
「あの二人を見ていたら気持ちが高ぶって、とてもとても鼻がほじりたくなったね」
「さすがダドリー専任曹長! その心意気はまさに男塾っすね!」
「どんな心意気だよ! その塾はいったい何を教えているんだよ!」
「やめろお前ら。それとそれに乗っかって一々反応するなダフィ。クレインに影響され過ぎだ」
仮に日本のネタ番組で、このアフリカ系黒人2名とイングランド系白人の組み合わせは、絵づらだけでも、かなりシュールなインパクトであろう。
危うく、こちらでもトリオネタが始まりかけたが、ラーナーに冷静に諫められる。
「そんな事を言っている場合じゃないわ。少しは緊張感を持ちなさい! 来るわよ!」
「ああん? てめぇからおっ始めたことだろう、このふざけたやり取りは! それで、何が来るんだって!?こっちの感知はアバウト過ぎて、はっきり分からねぇんだよ!!」
「「「「!?」」」」
そして、再びシリアスの神が舞い降り、場に緊張感が取り戻された。少々気の抜けていたウルフ、リカオン両チームにも、その空気が張り詰められてゆく。
ゴオオオオオオオオオオオオオオ!!
すると、周囲一帯から激しい轟音が響き渡る。今度は地震では無い、何かの波動のような奔流が巻き起こりだす。
「「「「「!!!!????」」」」」
「な、何だこの纏わりつくような、大気のうねりは!?」
「か、風じゃないな…空間そのものが歪んで波の流れのような感覚だ!」
「クソ!マジで海の中にいるみてぇだ!身体の自由が利かねぇ!流される!!」
その波動の奔流は、すでに外へと出た精鋭たちを含め、撤退準備を行っていた海兵隊らの許まで届き、更に拡大。
「今度は何だ!?指揮車両の中まで!?クレインが言っていた全部隊って、こっちの司令拠点を含めてと言う事なのか!?」
洞窟開口部から遠く離れた、前線司令拠点の車両の中にまで、津波のように波動のうねりが達し、勢いは止まらず、作戦全部隊全てがその波に呑まれていった。
どういう現象なのか、すでに理解の範疇を超え、状況は次の段階へと移行する。
これまで不可視であった波動の波は、黄色、オレンジ色、赤色とも、それらが入り混じった琥珀色へと色づく。
──言うなれば黄昏色。
その光景は、周囲の薄暗さとのコントラストが相まって、荘厳且つ幻想的。
だが、事はそんな神秘的な美しさとは程遠く、重苦しい逃れられない重力波動。
具現化された、只々の恐怖そのもの。
リディの強烈な一喝により、生気を取り戻したトールだが、この状況にどうする事もできないのは変わらず。
──どう動けばいい? どう皆を守る? 何をすればいい? 何が最適解か?
───何もできない……何も分からない。
人類を遥かに陵駕した力を得ていても、それは、極限られた狭い範囲での膂力のみ。この巨大な自然現象そのものが相手では、どう足掻こうが太刀打ちできるものでは無い。
何一つ、手の施しようの無い状況。嘗てない無力感と絶望感。
一切合切全ての抵抗の完全拒否。
──そこに慈悲は与えられるのか? 恩赦は存在するのか?──不明。
何も見えない……。
最後の審判が下されるのを待つ、哀れな盲目の子羊。
唯一できる事は、
「……おい、リディ。これが何なのか分かってんのか?」
「………」
常に冷静、冷淡、泰然の構えを崩さなかったリディも、険しい表情でその頬に汗が伝い、強い戦慄を覚えていた。
「おそらく、奥にいる化け物の群と、それらを動かしている‶何か〟に関係しているようね……」
「はぁ? 何言ってんだ? ‶ 何か〟って何だよ?」
「さぁ? それは分からないけど、強い存在…そして、今起きていることは……」
すでに理解を超えた状況。何らかの情報を知るこの娘の言葉だけが、例えか細くとも、解決の糸口に繋がるはず。
「カオスゲート」
「は!?」
「ゲートカラーは『トワイライト』 他のゲートも含めてこんな巨大な範囲のものは初めてだわ……」
この娘は何を言っているのか。トールは、その初めて聞く言葉に、強い困惑の表情を造り出す。
しかし、単語自体の意味は理解できる。「ゲート」と言うことは何かの出入り口、カオスは「混沌」。
【
──だが、それが何を意味しているのか?
「……非常に不味いわね。そういうパターンで来る?」
「は?」
「分からない?……この感じ?」
リディのよく分からない問いかけに、改めて『気』を巡らし、周囲に感覚を浸していくトール。
「……持ってかれる…?」
何かが出て来ると言う感じでは無い。強く引き込まれる感覚。
それは、表立って現れ始めた。他のチーム精鋭たちを見れば、立っているのも困難なようだ。波動の流れから必死に地面にすがり耐えている。
「ええ、覚悟しといた方がいいわ……」
「……どういう意味での覚悟だ?」
この強い流れの中でも、揺らぐことなく立って語り合う二人。だが、その表情は慄きを露わに、未知のプレッシャーに耐え忍いでるもの。
「──全てよ」
ゴオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!
そう告げると同時に、黄昏色の波動の奔流は大瀑布が如く、凄まじく強さを増し、山岳地帯周辺一帯に激しい渦を巻き始めた。
そして、その一帯にいた全ての兵士を吞み込むと、一瞬でその波動の
その直後、空一面を覆っていた赤黒い雲は消え去り、朝焼けの空を背後に山々の隙間からは、穏やかな暁の日差しが差し込み、辺りを優しく包み込んでゆく。
その日の早朝未明。アフガニスタンの北東山岳地帯の一角。
約300名を超える、米軍兵士が消息を絶った。
第2章 激動のアフガン編 完
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