第4話 3

 ……兄上が立太子されてから、城の雰囲気がおかしい。


 それはまるで床にこぼしたワインが、ゆっくりと絨毯を染めていくように。


 徐々に徐々に、城内の雰囲気を塗り替えていったように思える。


 はじめは法衣貴族達が、次の王である兄上に取り入ろうとして浮足立っているのが、そう感じさせているのかと思っていたんだ。


 違和感をはっきりと感じたのは……アンジェラ姉様が学園のパーティーで捕縛された頃からだろうか。


 僕はあの日、別の用があってパーティーに参加していなかったから、実際になにが起きたのか知らない。


 兄上に聞くと、姉様は気が狂って暴れた為に修道院に送られたのだと答えた。


 ――けれど。


 使用人達の噂では、姉様は護送中に逃れて公国に戻ったのだという。


 そうして信頼できる使用人達に、真偽を探らせている間に。


 騎士団隊舎の崩壊事件が起きた。


 陛下――父上が倒れ、兄上が王太子として采配を振るうようになり。


 内々に隊舎崩壊は、姉様が引き込んだ魔女の仕業だと発表されて。


 姉様は――ブラドフォード公国は謀反を企んでいるとして討伐隊が編成されたそうだ。


 ……そして、返り討ちにあった。


 同じ頃から、城下――王都に出入りする商人の数が目に見えて減り、ついには城の備蓄にまで影響を及ぼし始めている。


 なんでも王都の物流を一手に束ねるポートラン商会で、なにやらトラブルがあったのだと聞いたのだけれど。


 やはり、詳細までは僕の元に届いていなかった。


 気づけば城内の雰囲気は、反ブラドフォード一色に染まりつつあって。


 そんな中で、公国は王国からの独立を宣言したのだという。


 ――正直な気持ちを言えば。


 僕はアンジェラ姉様とは争いたくない。


 そもそも姉様が狂ったという話から、怪しいと思っているんだ。


 理知的で、いつも国と民の事を想っていた姉様が、なんの理由もなく王国に反旗をひるがえすとは思えない。


 いつも兄上に為政者としての在り方を説いていた姉様を僕は知っている。


 エドワード伯父上もまた、公国を栄えさせた尊敬すべき為政者だ。


 そのふたりが王国から離反したというのなら……


「……王国は見限られた?」


 集中して考えをまとめる為に、あえて暗くしていた室内に、僕の呟きが響く。


 ドアがノックされたのは、そんな時だった。


「――ヘリック殿下、失礼します」


 やって来た侍女は、僕が信頼している人物のひとりで。


 伯父上の紹介で城に務めるようになった者だ。


「どうしたんだい? こんな夜更けに」


「……内密に、ご紹介したい方がおりまして」


 その言い回しに、僕はすぐに理解する。


 こんな時間、人目を避けて僕に会わせたい人物。


 十中八九、伯父上か姉様の遣いだろう。


「――会おう。

 君はお茶を用意してくれるかい?」


 僕は手を振って、天井から下げた照明の魔道器を喚起する。


 柔らかい暖色が暗かった室内を照らし出す。


 侍女はうなずくと、ドアに戻って訪問客を招き入れ、入れ替わりにお茶の用意をする為に去っていった。


 小柄な少女だった。


 目が覚めるような美しい赤毛を腰まで伸ばし、黒いローブに三角帽をかぶっている。


 その出で立ちは、おとぎ話の魔女のようだったけれど。


「――えっと、その……はじめまして。

 ヘリック王子様?」


 困ったように微笑むその表情は可憐で、まるで妖精を思わせるほど整っている。


「あ、ああ。

 僕がヘリックだ。

 ――君は?」


 思わず彼女に見惚れてしまっていた自分に気づいて、僕は慌ててそう尋ねる。


「わたしは果ての魔女のクレア、です。

 あ、あと、今はエドワード――ブラドフォード大公の養女にもなったんだっけ……じゃない、なりました」


 彼女の言葉に僕は衝撃を受ける。


 果ての魔女については、アンジェラ姉様から幼い頃に聞かされて知っている。


 最果ての森の深奥に居を構える、この国の守護貴属。


 この国が興る際に助力してくれたというから、僕は老婆を想像していたんだ。


 ……まさか、こんな僕と同じくらいの少女だったなんて。


「……王子様?」


 僕が黙ってしまったので、不安に思ったのか、魔女――クレアは小首を傾げる。


「ああ、すまない。

 とりあえず、かけてくれ。

 それと、僕の事はヘリックで構わない。言葉も選ぶ必要はないから、楽にしてくれ」


 彼女は敬語が苦手なようだと察して、僕はそう告げる。


 そもそも彼女が本当に果ての魔女ならば、敬意を払わなければならないのは僕の方だ。


 それでクレアはようやく緊張がほぐれたのか、僕の対面のソファに腰を下ろして。


「ありがと、ヘリック。

 ヘリックはオズワルドの弟なのに、ちゃんとしてるね」


 まるで花が咲くように、可愛らしく笑ってみせる。


 僕は顔が赤くなるのを感じた。


 ちょうど良く、先程の侍女がお茶の用意を終えて戻ってきて、僕らの前にカップを並べる。


「――他に御用がございましたら、お呼びください」


 最後に焼き菓子を乗せた皿をテーブルの中央に置くと、侍女は一礼して退室した。


 僕はカップを傾けると、クレアが物珍しそうに焼き菓子を見つめているのに気づく。


 その様子が微笑ましくて。


「どうぞ。いま城には備蓄が乏しくてね。

 あまり良いものじゃないから、お気に召すかはわからないけど」


 僕が勧めると、彼女は嬉しそうに皿から焼き菓子をつまみ上げ、その小さな口で端っこにかじりついた。


 小動物を思わせる食べ方だ。


 暗く沈んでいた気持ちが、久しぶりに暖かくなるのを感じる。


 そんな僕の視線に気づいたのか。


 クレアは焼き菓子を口に咥えたまま、不意に手を打ち合わせて。


「――ふぉーふぁったそーだった!」


 と、腰に留めたポーチから一枚の封筒を取り出す。


 焼き菓子を口に納め、お茶で流し込んだ彼女は、その封筒を僕に差し出し。


「アン――アンジェラからのお手紙。

 わたしじゃうまく説明できないからって、書いてもらったんだ。

 これに、これまでの事とこれからの事が書かれてるの」


 受け取って封蝋を見ると、ブラドフォードの押印がしてあって。


 僕は机に歩み寄って、ペーパーナイフで中の便箋を取り出した。


「確認するから、君は食べてて良いよ」


 そう言うと、クレアは目をキラキラさせてうなずく。


 本当に可愛らしい娘だ。


 ずっと見ていたくなる。


 そんな事を考えながらも、僕はなんとかクレアから視線を引き剥がし、姉様からだという便箋の内容に目を通した。


 内容を読み進めるうちに……これまで疑問に思っていた事、感じていた違和感が解消されていく。


 貴族院の腐敗。


 法によって権威を奪われた王室。


 それを改善しようとしていた姉様への、兄上の裏切り。


 そこには混乱をもたらす放浪の魔女まで関わっていて……


 伯父上や姉様が、独立の道を選んだ理由がよくわかった。


 そして、これから彼女達がなにをしようとしているのかも……


 手紙を読み終えた僕は、便箋を封筒に戻して。


「ひとつ聞いても良い?」


「――ふぇ?」


 頬いっぱいに焼き菓子を詰め込んで振り返ったクレアに、僕は笑みが浮かぶのが堪えられなくて。


 僕が笑いながら、空になったカップにポットからお茶のおかわりを注いでやると、彼女は恥ずかしそうに手をもじもじさせながら俯いてしまった。


「笑ってゴメン。

 ――どうぞ」


 カップを勧めると、クレアはそれを手に取ると、慌てたように流し込んだ。


「へへへ。美味しくてつい。

 んと、それで聞きたい事って?」


 照れ笑いするクレアに、僕はひとつうなずいて見せて。


「これから姉様――アンジェラがやろうとしてる事は、民の為になるんだよね?」


 僕の問いに、クレアもまた真剣な顔でうなずく。


「果ての魔女が保証するよ。

 今のままじゃ、この国は……あの外道な魔女の所為で地獄になるよ」


 ……そこまでなのか。


 色々と問題のある国だとは思っていたけれど……守護貴属が滅ぼす事を決めてしまうほどに、この国は腐っていたのか。


 思わず喉の奥から乾いた笑いが込み上げてきて。


 僕は天井を見上げて目元を手で覆った。


「……その、ごめんね」


 ふわりと森の香りがして。


 クレアが僕を抱きしめたのを感じた。


「でも、アンがきっと良くしてくれるから。

 わたし、人の世の理はまだまだ知らないことだらけだけど、アンはすっごく詳しいから」


 頭を撫でられる感触に、涙が出そうになった。


「……知ってる。

 正直に言うなら、次の王には兄上じゃなく姉様がなるべきだって、ずっと思ってたんだ」


 兄上も昔はああじゃなかったのに。


 ……いつからだろう。


 自身に都合の良い者ばかりを身の回りに置き、傲慢な物言いをするようになったのは。


 それまでもが<放浪者>とかいう魔女の所為だとは思わない。


 考えられるのは……きっと、姉様への劣等感。


 それを諌める為に、父上は兄上に責任ある立場を――王太子の立場をお与えになったのだろう。


 けれど、それは逆に兄上の増長を招く結果になってしまった。


 ……もう、流れは止められない。


 無力感にこの身を締め付けられそうになるけれど。


 抱きしめてくれるクレアの腕の温もりに励まされて、それでも僕にできる事をしなければならないという気持ちが湧き上がってくる。


 僕は顔をあげて、クレアの赤い綺麗な瞳を見つめる。


「……クレア。姉様に、すべて了承したと伝えてくれるかい?」


「――わかった。

 ヘリック、大丈夫?」


「ああ、君のおかげでね。なんとか立ち直ってみせるよ」


 そう告げて微笑んで見せれば。


「よ、よかった。

 じゃあ、わたしもう行くね」


 なぜか顔をそらして、クレアはそう応えた。


 クルリと身体を回して、ドアへ向かった彼女は。


「お菓子、ごちそうさま。

 ――また明日ね!」


 そう手を振って、ドアを開ける。


 魔女の格好をした妖精のような彼女の背を。


 僕は回廊の向こうに消えるまで、ずっと見送っていた。

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