第2話 9

 クレアの言葉を受けて、わたくしは身を起こしたわ。


 同調器である面の内側に、流れるようにして表示されていた古代文字はもう止んでいて。


 わたくしが立ち上がったのを見届けたクレアは、現れた時を逆映しにしたようにかき消えた。


 転移で門の上に戻ったのでしょうね。


 クレアが残した結界の虹色の障壁の向こうで、無数の<兵騎>が結界を破ろうと殺到しているのが見えた。


「――本当によりどりみどり、ね」


 不思議ね。


 わたくし、すごく落ち着いてるわ。


 初陣での高揚感も。


 先程まで感じていた焦燥感もないの。


 ええ、そうよ。


 クレアにはああ言って見せたけど。


 転んだ時には、本当に焦ったわ。


 諦めるつもりはなかったけれど、<闘姫>の放棄も覚悟したくらい。


 ……だからこそ。


 ――わかってないなぁ。アンは。


 クレアが告げた言葉に、頬が緩んでしまうのを感じるわ。


 ――アンの危機に、わたしがじっとしてられるワケないじゃん。


 そう告げて笑ったあの子の笑顔に応えたいと思う。


 情けない姿はもう見せられない。


 わたくしを友人と言ってくれるあの子だから。


 わたくしは常にあの子の隣にあり続ける、わたくしでなくてはいけないのよ。


 両拳を打ち付けて、半身に構える。


 深く息を吐き出すと、わたくしは結界の向こうの<兵騎>達を見据えた。


「――さあ<闘姫>、踊りましょうか」


 解けるように結界が消えたのは、わたくしの準備が整ったのを見て、クレアが解除したのでしょう。


『――結界が破れたぞ! 今だ! 攻めろ!』


 グレイブが<兵騎>の群れの向こうから叫んでいるわね。


 指示に従って殺到する<兵騎>に、けれどわたくしはもはや焦りはない。


「――目覚めてもたらしなさい。<空想万華エアリアル・エンボディ>」


 喚起詞に従って、<闘姫>の四肢に熱がこもるのを感じる。


 弦を爪弾く音が響いて。


 篭手と脚甲が開いて濃紫の輝きが灯り、鉄色だった装甲服が真紅に染め上げられていく。


「――あら、素敵……」


 まるであの子の髪色のよう。


 押し寄せる敵騎。


 けれど、わたくしは軽いステップでそれをかわしていく。


 思い描いた場所に、想定通りの攻撃が来るの。


 ならもう、それはダンスと一緒ね。


 相手の挙動に合わせて、拳を叩き込むだけ。


『――姫様!』


 アルドワの声にそちらを振り向く余裕だってあるわ。


「――グレイブを取るわ。

 アルドワ、雑魚をお願い」


 そう告げて。


 わたくしは<闘姫>を跳躍させる。


 目覚めたこの子なら、できるのはわかっていたわ。


 詰めかける敵騎の群れを越えて。


 空高く跳び上がったわたくしは、こちらを見上げて立ち尽くすグレイブの<侯騎>に狙いを定める。


「――奏でなさい! <永久結晶エターナル・クリスタル>!」


 弦楽器の音色が響いて。


 突き出した右脚の濃紫が強く輝く。


「――ハアッ!!」


 空を駆けるような飛び蹴り。


 それは正確に<侯騎>の頭を貫いて。


 着地したわたくしは、さらに身体を旋回させる。


 濃紫が輝く拳を突き出せば。


『――オオオォォッ!?』


 グレイブの驚愕の声が周囲に響き渡り。


 わたくしの鉄拳を受けた<侯騎>は吹き飛ぶようにして、その騎体を爆散させる。


 甲冑姿のグレイブが地面に転がり落ちるのが見えた。


 わたくしは地を転がっていく彼を掴み上げて。


「――グレイブを討ち取った!

 投降する者は受け入れる!

 騎士達よ! 無駄な血を流すなっ!」


 グレイブを掲げてそう叫べば、敵騎達が一斉に動きを止める。


 膝を着く<兵騎>は投降の証。


 アルドワが投降しない敵騎を掃討していく。


 こうなれば戦はもう終わったも同然。


 後方の魔道士や弓兵も、こちらの<兵騎>に囲まれて投降の意思を示した。


 頭を潰せば終わるのだから、人相手の戦は楽なものね。


 侵災などによる魔物相手の戦では、こうはいかないもの。


 こうしてわたくしの人相手の初陣は幕を閉じ……たかに見えたのだけれど。


『――さすがアン!

 すっごく上手にEC兵装を使いこなしてたねっ!』


 目の前に遠視板が開いて、クレアが笑顔でそう告げてくる。


 見れば、<闘姫>の肩にいつの間にか鴉姿のイフューが留まっていた。


『――敵の騎士達も投降したしさ。

 はもういらないよね?』


 彼女が指さすのは、シルトヴェールの野営陣地で。


『あいつら、まだわかってないみたいだからね。

 ――もう一度、理不尽の果ての力を見せつけてやらないとねっ!』


 映像板の中のクレアは、胸の前で拳を握り。


『――真白き冥府の最果てにて眠りし者よ……』


「ちょっと、クレア?」


 目を伏せて喚起詞と思われる詞を紡ぐ彼女に、わたくしは声をかける。


 鬼道の喚起詞は長文ほど強大な力を持っているのだと聞くわ。


 そして、今クレアが紡いでいるものは、これまで彼女が紡いできたものとは、明らかに違っていた。


『……冥府の長たる女神に代わり、最果ての魔女がここに命ずる』


「――待ちなさい、クレア!」


 嫌な予感がしてわたくしは声をあげたけれど。


『――永久とこしえの眠りより目覚めて来たれ。

 ……滅ぼせっ!

 ――<巨神機属ギガント・マキナ>!』


 わたくしの言葉は間に合わなかったようで。


 クレアの喚起詞は完成されてしまった。


 瞬間、野営陣地を中心に巨大な魔芒陣が開いて。


「――――ッ!?」


 地震なんて生易しいものじゃない。


 文字通り地を揺り動かして野営陣地を掴み上げ、巨大ななにかが空高くを目指して伸び上がっていく。


「――ウソでしょう……」


 激しい揺れに尻もちを突きながら、わたくしはそれを見上げた。


 ――天を突く右腕。


 王都の城が誇る尖塔よりなお高いように思えるそれは、目算だけれど軽く高さ一〇〇メートルはあるように思えた。


 なんなのコレ?


『どう、どう? すごいでしょ?

 冥府を護る、機属の右腕だよ!

 陣地破壊にはもってこい!』


 遠視板の中で、クレアは興奮したように小鼻をピスピスさせて告げてくる。


 確かにそうなんでしょうけれどね……


 わたくしは息を吸い込む。


「――クレア!

 なにかする時は、わたくしに説明してからって言ったでしょうっ!?」


 ……本当にもう!


 わたくしは思わず叫び、ため息をつく。


 あの抉れた地面、どうするのよ……

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