第2話 2
公都の城に帰って来てからの、わたくしの一週間はあっという間だったわ。
お父様と話し合い、独立に向けての下準備を整える。
公国として自治が認められていて、独自の法体制を敷いていたから、統治自体の混乱は少なくて済むでしょうね。
――問題は経済部分。
これまでブラドフォードはシルトヴェールと共通の貨幣を使ってきたのだけれど。
これから独立国としての道を歩むのだったら、独自通貨の用意が必要となる。
これに関してはわたくしは知識が乏しくて、お父様の知恵を借りるしかないと思っていたのだけれど。
さすがはお父様ね。
以前から、新通貨について用意していたそうなのよ。
――事の起こりは数年前。
中原東部のとある国で、紙幣というまったく新たな通貨概念が生まれた事にあるそうで。
魔道技術を用いて造られるその新概念は、中原交易の基軸通貨を担うミルドニア皇国が採用したのを皮切りに、瞬く間に中原同盟各国に広まったのだという。
年に一度、春に行われる同盟会議で、その国は紙幣制度の説明と、紙幣そのものの作り方を公開したそうで。
その存在を知ったお父様は、その利便性ゆえにいずれ紙幣は金貨に取って代わると踏んで、シルトヴェールでも取り入れられるよう陛下に奏上していたというの。
けれど変化を嫌った陛下や貴族はそれに反対したそうで。
お父様は紙幣の有用性を証明する為に、ブラドフォード公国内で実験的に流通させる為にこれまで準備を進めてきたのだそうよ。
今、城に務める魔道士達は、必死に紙幣の増産体制に入ってるわ。
商業ギルドを通じて、新制度の説明も始めているところ。
実際のところ、商人達にしてみたら手形取引のようなものだから、特に反対もなく受け入れられたみたいね。
むしろ金貨を持ち運ばなくても良くなると、喜んでいたようよ。
――次に防衛の為の準備ね。
オズワルドの口ぶりだと、戦力の多寡はともかく軍は送ってくるでしょうね。
独立を宣言したなら、王や貴族院も派遣に踏み切るだろうと、お父様や城の官僚達も判断したわ。
……正直なところ。
東のランベルク王国とは十年も停戦状態のままだったから。
隣接するブラドフォード公国は常に軍備を整えていたのよね。
だから、腑抜けて政治ごっこに興じているシルトヴェール騎士に負けるとは思えないのよ。
怖かったのは、その隙に背後をランベルク王国に突かれる事。
お父様はランベルクはそんな国ではないと、そう仰ってたのだけれどね。
元々、十年前の戦は、南にあるローデリア神聖帝国からの特使の甘言に乗せられた、陛下や貴族院の枢機卿達の――ほぼ独断のような形で起こされたものなのだという。
当時、ランベルクは新型<兵騎>の開発を行っていて。
それはシルトヴェールを侵略する為だと、ローデリアの特使はそう囁いたのだそうよ。
陛下や枢機卿達が乗ったのは、その言葉を信じたからではなく。
実際のところ、ランベルク西部の金鉱山が欲しくて、侵略する口実にできたから。
完全にローデリアに踊らされて、開戦に踏み切った形ね。
結果としては、シルトヴェールの惨敗。
それはランベルクの新型騎だけが理由ではなく、そもそも戦というものを甘く見ていた結果なのだけれど。
きっと陛下や枢機卿達は今も理解していないはずよ。
あわやというところでお父様が停戦交渉を成功させたものね。
敗戦間際だったという認識が薄いのよ。
その停戦条約は今も生きているから、ランベルクから攻めてくる事はないとお父様は仰るのだけれどね。
わたくしは確証が欲しくて、お父様にはランベルクに特使を飛ばしてもらったわ。
そうして協力してくれる、あるいは敵対的ではない貴族や領主達に手紙を送り――これには転移できるクレアの力に、本当に助けられたわね。
今も忙しく働いているお父様や城の官僚達には悪いのだけれど。
わたくしができる事はここまで。
これ以上は専門的すぎて、足手まといになりかねないもの。
お父様と官僚達を信じて、あとは一週間後の独立宣言を待つだけよ。
そんなわけで、わたくしは一週間ぶりにゆったりとした時間を過ごしていたわ。
もう少ししたら、エレナが独立宣言の宴で着る事になる、ドレスの仮合わせに来るはずだけど。
それまではゆっくりとしたかった。
この一週間は本当に忙しかったのだもの。
とにかく手紙を書いて書いて書きまくったわ。
王位継承権三位という肩書は、大公であるお父様にも比肩するものだから。
協力的ではないにせよ、敵対まではいかない貴族達には、この肩書がかなり有効に働いたみたいね。
そう。
わたくしとお父様は国を割ろうとしている。
シルトヴェールでも比較的まともな貴族を引き込んで、最終的には内戦によってシルトヴェールを滅ぼそうとしているのよ。
民を巻き込んでしまう事になるけれど……
民も貴族もすべてを巻き込んで痛みを伴わなければ、時と共に国はまた腐敗に苛まれるから。
だから、あえて内戦という手段を選んだの。
きっとわたくしは、お父様を誑かして内戦を起こした悪の公女として、歴史書に書かれる事になるでしょうね。
……だとしても。
この行き詰まった国で、民達が苦しみ続けるくらいならば……
――たとえ血が流れたとしても。
少しでも未来のある結末を民達に示したい。
「……疲れてるのね」
柄にもなく自嘲的な事を考えていると自覚して、わたくしは鼻を鳴らして笑う。
「――そんなキミに朗報なんだけどね」
不意に足元からかけられた高い声。
視線を降ろすと、クレアの黒猫が座っていて。
「――イフュー。
あなたっていつも突然現れるのね」
使い魔に性別はないそうなのだけど、ボクと言っているから、わたくしはこの黒猫をオスとして扱う事にしている。
そんな彼を抱き上げると、彼は目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしながら。
「――クレアがさ、一緒にお茶でもどうかって」
そう告げて、わたくしを見上げてきた。
「あら、良いわね。
でも、あの子、今の時間はドレスの仮合わせの時間だったんじゃないかしら?」
「それがさ、クレアの提案にエレナが張り切っちゃって。
時間ができちゃったものだから、クレアもいろいろ考え込んじゃってるみたいでね」
「――提案?」
「それはエレナから聞いて。
キミも喜ぶんじゃないかな?
それよりさ、忙しくしてないなら、クレアの話を聞いてあげてよ」
思えばこの一週間、あの子とは仕事の事以外はほとんど話せていない。
いかに強大な力を持つ魔女とはいっても、見知らぬ者ばかりのこの城で心細くならないわけがないわよね。
「もっと気を遣ってあげるべきだったわ……」
「反省するほどの事でもないよ。
単にあの子が未熟なだけ」
膝の上で、器用に肩を竦めるイフューに、わたくしは思わず吹き出してしまう。
「あなたって、過保護なのか厳しいのか、よくわからない時があるわね」
「ベースが猫だからね。
――気まぐれなんだ」
そう言ってイフューは鼻を鳴らして笑って。
わたくしも久しぶりに笑えた気がするわ。
「いいわ。行きましょう。
――今日は天気が良いから、場所はあそこが良いわね」
落ち着いたら、クレアを招こうと思っていた特別な場所を思い描き。
わたくしはイフューを抱き上げて、部屋を出る。
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