公国と独立
第2話 1
「――おばあちゃん、騎士ってなぁに?」
幼いわたしは絵本に描かれた、剣と盾を手に甲冑をまとった人物を指差しながら尋ねた。
おばあちゃんはわたしを膝に乗せて、頭を撫でる。
「国と民を守る武人の事さ。
……本来はね」
少し考え込んだ様子で、おばあちゃんはわたしに答えた。
「――じゃあ、魔女も騎士なの?」
おばあちゃんの教えでは、魔女もまた国と民を守る為にあるという。
だからわたしはそう尋ねたのだけど。
おばあちゃんは少し笑って、またわたしの頭を撫でた。
「いいかい、クレア。
騎士ってのは、人による人の為の剣であり盾なのさ。
当然、相手もまた人でなければならない」
おばあちゃんの言葉に、わたしは絵本のページをめくって指差す。
「でも、この騎士は竜と戦ってるよ?」
「よくご覧よ。
騎士の横には魔女がいるだろう?」
「――ホントだ!」
「人の身では抗えない理不尽が現れた時にこそ、魔女が求められるのさ」
おばあちゃんの言う事は、時々むつかしい。
幼いわたしは理解できなくて、首をひねる。
「今度、戦を見せてやるよ。
あれこそ理不尽の極みだからね。
そしてその理不尽を踏みにじる魔女の在り方っていうのを、よく学ぶと良い」
おばあちゃんが楽しそうに笑うものだから。
わたしも可笑しくなって、一緒に笑った。
クレイブ達騎士をぶっ飛ばしてから一週間ほどが過ぎた。
あの後、わたし達は王都郊外にある西の丘から、アンの実家のあるブラドフォード公国へと転移した。
公都アンゲラは、遠目には河に浮かぶ城塞都市って印象。
ルーイン長河の中洲を干拓して造られたんだって。
北のシメオン山脈から流れ出たルーイン長河の東西を結ぶように、公都アンゲラの都市門の前には左右に伸びる、大きな橋が架かってるんだ。
アンの名前――アンジェラもこの都市の名前から取ったんだって。
やや歪な楕円形の都市壁に囲まれた都の中は、綺麗に区画整理されていて。
お城を中心に街路と水路が網目のように走ってる。
東の国境が近いから、有事には戦に耐えられるようにアンのお父さん――エドワード大公が設計したんだって。
二十年ちょっと前から始まった公都の建造は、今もまだ続けられていて、今では東西の河岸にまも街が造られてるんだって。
主な産業は水運と漁業、あとは製鉄と造船。
農業も行っているそうなんだけど、干拓地という土地柄、麦が育ち難いみたいで。
「……お米、おいしいんだけどねぇ」
稲作が中心で、毎食食べてるっていうエドワード大公は、少し寂しそうに言ってたっけ。
シルトヴェール王国ではパン食が主で、お米はあまり人気がないみたい。
だからエドワード大公は小麦を他領から輸入して賄っているんだとか。
大公、わたしはお米、好きだよ。
おにぎりとか大好き。
さて、そんな公都アンゲラのお城に用意された客室で――わたしは今、困惑している。
「――お美しい赤毛のクレア様には、やっぱり赤いドレスが似合いますね!」
仮縫いされた真紅のドレスをまとったわたしに……
メイド長のエレナが、両手に手を当てて興奮気味に告げる。
他のメイド達も目をキラキラさせてうなずくのだけれど。
「わ、わたしが着飾る必要あるかなぁ?
わたし魔女だよ? ローブとかの方が……」
「なにを仰います!
こんなに可愛らしい素材なのに、着飾らせずにおくなんて私達の矜持に関わります!」
興奮気味のエレナは退いてくれない。
他のメイド達も目を伏せて、うんうんとうなずく。
――公都に帰還したアンは。
学園で起きた出来事から始めて、牢での陰惨なまでの拷問に至るまで、すべて包み隠さずエドワード大公に伝えたみたい。
それを聞いた大公は、怒りのあまり黒壇の執務机を叩き割ったって言うんだから、やっぱりアンのお父さんだよね。
――肉体強度がハンパない。
そして後から呼ばれた、果ての魔女であるわたしが――
『――うん、シルトヴェールはもうダメだね。
古き盟約の基準どころか、たいていの事に寛容な貴属の基準でもアウトだよ』
そう判断した事を大公に告げると。
大公は重々しくうなずき、独りになりたいと言って、わたしとアンに退席を促した。
そうして一晩。
眠らずにずに葛藤したんだろうね。
目の下にクマを作ったエドワード大公は、ブラドフォード公国をシルトヴェール王国から独立させる事を決めたと語った。
――それから一週間。
大公とアンは方々に手紙を送り、下準備をしていたっけ。
わたしもトランスポーターを使って、重要な人物に手紙を届けるのを手伝ってたよ。
そのついでに、各地に魔道式の転移陣を敷設して、転移網を構築して回ったんだよね。
今のわたしはアンの友人にして、ブラドフォード家の食客って扱い。
お仕事だから、そういうのを手伝うのは当たり前なんだけど……
使用人のみんなは、わたしをご令嬢かなにかみたいに扱うんだよね。
マナーなんて、おばあちゃんに教わった程度でまるでなってないはずなのに。
「……そんなわたしだから、パーティーなんて出たら、アンや大公に迷惑をかけちゃうと思うよ?」
――そう。
来週には、いよいよ独立を宣言するんだ。
賛同する貴族――アンが言うには、現状を憂えてる貴族は、少ないけれど居ないわけじゃないんだって――や、公国内の陪臣、名士を呼んで、独立を伝えるそう。
そのもてなしとして、パーティーを開こうというワケ。
エレナ達はそんな場に、わたしを出席させようとしてるんだ。
譲る気を一切見せないエレナに根負けしたわたしは。
「――せめてさ、ドレスの色は黒にしてくれない?」
黒ならまあ、ローブの色に近いもん。
途端、エレナは銀縁眼鏡をキラリと光らせた。
「――なるほど!
さすがクレア様!」
「え? なに? なんで?」
戸惑うわたしの手を取って、エレナは興奮したように告げる。
「黒はアンジェお嬢様の御髪色!
それをまとう事で、よりお二人の親密さを際立たせようというのですね?
――ならばお嬢様の衣装は赤でまとめなくては……」
「――ええっ? わたしそんな事……」
興奮しきっていて、鼻血でも噴き出しそうな勢いのエレナに押されて。
わたしは「そこまで考えての発言じゃない」とは言えなかった。
仮縫いの真っ赤なドレスを脱がせてもらい、いつもの黒ローブ姿に戻ったわたしは、椅子に座ってため息をつく。
エレナ達は黒いドレスで用意し直すと言って、意気揚々と退室していった。
「……イフュー」
正直、疲れた。
出窓に寝そべって、珍しそうに外を見ている使い魔の名前を呼ぶ。
「なんだい?」
「――アンがなにしてるか見てきてくれる?
もし忙しくなさそうなら、お茶のお誘いをお願い」
「ずいぶんくたびれてるねぇ?」
「そりゃあね。
ここに来てからロクにアンとは話せてないし。
そりゃ、みんなは良くしてくれるけど、やっぱりさ……」
「寂しいって?」
「おばあちゃんが亡くなってから、ずっとアンタと二人だったんだよ?
いまさら寂しいとかはないけど……なんていうのかな?
気後れ? 気疲れ?
優しくしてもらってばかりで、良いのかなぁって思っちゃうんだよね」
魔女としてもっと働くべきなんじゃないだろうか?
わたしの考えを読んだイフューは。
「それをアンに確かめたいって?
手紙の配達や転移網構築で、十分魔女として働いてるって言うと思うよ?」
「それをアンの口から聞きたいんだよぅ」
途端、イフューは目を細めて、いじわるな笑みを浮かべる。
「やっぱり寂しいんだ?」
「――良いからっ!」
「わかったよ。行ってくるね~」
イフューは器用に前足で窓を開けると、鴉に変化して飛び立った。
わたしはため息をつきつつ、椅子の背もたれに体重を預けて、天井を見上げる。
「……ドレス、ねえ」
そりゃ小さい頃は絵本のお姫様に憧れたけどさ。
本物のお姫様と――アンと出会っちゃったからね。
わたしはさ。
……アンを助ける、魔女でありたいんだよねぇ。
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