第1話 4
――古の盟約とは。
シルトヴェール興国期から存在する、譜代貴族に伝わる伝承のひとつで。
各家の当主が一度だけ、どうしようもない困難に苛まれた際に、果ての魔女に助力を求められるという言い伝え。
すでに信じている家は少なくなっているけれど、事実として魔女に救われた家は少なくない。
国内の魔境のひとつである最果ての森に分け入って、魔女の家を訪れる事がその条件。
それだけの困難を乗り越えてでも、助けを乞いたいという姿勢を見せる必要があるのでしょうね。
代理人による訪問も認められているそうだけど、基本的には魔女に敬意を表して自身が赴く事が勧められている。
わたくしはまだブラドフォードの当主ではなかったけれど。
幼い日にクレアと交わしたあの約束を盾に、なんとか説得するつもりでいたのよ。
……なのに。
お互い成長したとはいえ……すぐに気づいてもらえなかったのは少しショックね。
それでも一応、思い出してもらえたようだし、協力も取り付けることができたわ。
わたくしはクレアが用意してくれたお粥を、匙ですくいあげて口に運ぶ。
薬草の苦味とほのかな塩味が、空腹のお腹に染み渡る感覚。
苦さが際立っているはずなのに、決してマズくはない。
お腹の中から、身体の芯が温まっていく感覚。
「……魔女ってお料理も上手なのね」
クレアはお茶を淹れてくると席を立っている。
そしてその席には今は彼女が連れていた黒猫が座っていた。
「魔女に黒猫って、絵本そのままね。
あなたはクレアの使い魔なのかしら?」
何気なくその猫に声をかけてみると。
「――そうだね。
ボクはインターフェイスユニットのイフュー。
まあ、あの子の使い魔と思ってもらって良いよ」
舌っ足らずな高い声で、黒猫――イフュー、だったかしら?――は喋った。
「――しゃべった?」
「使い魔だからね。
それよりさ、どうやらキミにお客さんのようだ」
椅子からこちらの寝台に跳び移ってきて。
イフューはわたくしを見上げてそう告げたわ。
途端、わたくしの目の前に半透明の板のようなものが出現して。
そこにこの館の外の景色が映し出される。
――中原東部のとある国で数年前から売り出し始めた、遠視の魔道器みたいなものかしら。
あれも確かこういう透明な幻の板に映像が映し出されたはずよね。
映像板の中では、森からこの館のある敷地内に軽装の騎士達が五人ほど踏み出してきていて。
「この騎士って、キミを追ってきたんだよね?」
「ええ、たぶんね。
――イフュー、武器になるようなものはあるかしら?」
「――いやいやいやっ!?
短慮はよそうよ!
キミってホントにお姫様? すごく好戦的だねっ!?
まだ彼らはここにキミが居る事に気づいてないんだから、まずはクレアに対応させよう?」
「……呼んだ~?」
そこにお盆にティーセットを載せたクレアが戻ってきた。
「うん、彼女を追って、どうやら面倒なお客さんが来たみたい」
「あ、イフュー、アンに喋れるの教えたんだ?
――で、お客さん?」
クレアはわたくし達の前に広げられた映像板を覗き込んで、短く鼻を鳴らす。
「――この最果ての森でここまで来れるって事は、それなりに強いのかな?」
最果ての森は、国内有数の魔境のひとつ。
並の騎士では辺縁部分で魔獣に襲われて逃げ帰っているはずよね。
「わたくしを護送していた騎士達よ
きっとわたくしを警戒して、腕利きを揃えたんでしょうね」
そう説明している間にも、映像の中で騎士のひとりが頭上に向けて閃光の魔法を打ち上げた。
「――合図したね。仲間を呼んだんじゃない?」
イフューが前足で顔を洗いながら告げる。
ほどなくして、森の中からさらに五人の騎士がやってきて。
わずかに遅れて、木々をなぎ倒しながら、甲冑を巨大にしてデフォルメしたような二騎の<兵騎>が姿を現す。
そのうちの一騎の手には、騎士が載せられていて。
「――グレイブ……」
用足しの時以外は馬車から出してもらえなかったから、彼も同行しているとは知らなかったわね……
彼らは最果ての森に突然現れた館に戸惑っているようで。
怪しいとは思っていても、なかなか踏み出してこない。
「――クレア、下手に暴れられる前に……」
「そうだね。ちょっと行ってくるよ」
なんでもない事のようにクレアは告げて。
椅子から立ち上がると、部屋から出ていこうとする。
「どうするつもりなの?」
クレアは綺麗な赤毛をひるがえして、にっこりと可愛らしく笑う。
「どうするって。普通にお話して帰ってもらうだけかな?
――アンはここで待っててね」
と、手をひらひらと振って、今度こそ部屋を出ていった。
「――彼らに会話が通じると思う?」
「魔境の森に、ひっそりと建つ館から出て来る怪しい女。
ボクならまあ、警戒するよね」
「なら、やっぱりわたくしに武器を!」
<兵騎>はともかく、騎士達なら手甲が一揃えあれば黙らせられる自身があるわ。
けれどイフューは首を横に振る。
「まあ、見ていなよ。
キミは令嬢――いや、人間としても規格外のようだけどさ」
この黒猫はひどく表情豊かなようで、にんまりと笑ったのがはっきりわかったわ。
「あの子はこの世の理の外にいる魔女なんだぜ?
キミがどうにかできる程度の連中なら、あの子に危険なんてことはないのさ」
そんな事を話している間にも映像板の中では。
黒いローブを着込み、やはり黒の三角帽子を頭に乗せて、星型の意匠が施された長杖を手に、クレアが玄関から出てきた。
彼女は戸惑う騎士達にゆっくりと歩み寄り、杖の石突きで地を穿つ。
『――ここは果ての魔女の館。
あなた達は何用があってこの地を訪れたのか?』
素の綺麗なソプラノを、あえて押し殺したような低い声でクレアは告げたわ。
わたくしはイフューと共に、映像板を食い入るように見つめる。
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