第1話 3

「――待って! 待って待って!

 待ってください!」


 わたしは慌ててアンジェラ様の言葉を遮りました。


「え? は?

 ――アンジェラ様って王族……大公家のお姫様なんですよね?

 殴った? 騎士団長の息子さんを?」


「あら、彼だけじゃないわよ。

 いい加減うんざりしてたから、わたくしに逆らったアホ共みんな叩きのめしてやったわ。

 ……ルミアとかいう羽虫も一緒にね」


 わたしの中でのお姫様のイメージがガラガラと崩れていく……


 それでいながらアンジェラ様はそれはもう、お姫様然とした微笑を浮かべ続けてるんだよね。


「貴族のお姫様がどうやったらそんな……」


「ねえ、クレア。

 勇者認定の条件って知ってるかしら?」


 ――勇者。


 それは突出した戦闘能力や技能を持つ冒険者に与えられる称号にして、国家危機に対応する国家公務員の役職名。


「も、森暮らしだからってバカにしないでください。

 わたしこう見えて、近隣諸国や中原同盟の常識はおばあちゃんに叩き込まれてるんですから!」


 常識知らないと魔女のお仕事する時困るからって、それはもうみっちりしっかりと!


 初めてのおつかいで村まで森を越えさせられた時は、魔獣に襲われて死ぬかと思ったよね。


「まずは貴族の推薦、あとは王族の承認」


「――ああ、そこじゃなくて、その推薦を受ける為の条件よ」


 えっと、そうなると~。


「魔境の単身あるいは単独パーティでの踏破。

 あとは侵災調伏を単身か単独パーティで行う事でしょうか?」


 わたしは腕組みしながら記憶をたどって答えた。


「そうよね?

 それでね、わたくしそのどちらも達成してるのよ。

 勇者認定されたら、国に利用されるだけだから申請してないけど」


 アンジェラ様はなんでもない事のように言って。


「――お姫様のイメージっ!

 わたしの中のお姫様のイメージが今、死にましたっ!」


 なんで王位継承権まで持ってるお姫様が、そんな戦闘力持ってるのっ!?


「――爵位がすべてのシルトヴェール王国において、権力という理不尽を跳ね返す一番効果的な方法ってなんだったかしら?」


「……理不尽を上回る理不尽――圧倒的な暴力ですか?」


「ご明答。さすが果ての魔女」


 そう言って微笑むアンジェラ様は、やっぱりお綺麗で。


 わたし、思わずうっとりしちゃう。


『――それで? そんな戦闘力持ったお姫さんが、なんで森の中に行き倒れてたのさ?』


 ――はっ!


 いけない、そうだったね。


「それで、なぜアンジェラ様は最果ての森に?」


「それがねぇ……あいつら、恥ずかしげもなく騎士を呼んだのよ。

 わたくしでもさすがに、三十人を相手にした後で<兵騎>まで出されたらね……」


「……騎士三十人はぶっ飛ばしたんですか……」


 <兵騎>というのは、五メートルほどの低重心フォルムをした大型甲冑の事。


 騎士の憧れにして、戦場の花形なんだよね。


「捕らえられたわたくしは、狂人扱いされて修道院に送られる事になったのよ」


「不敬罪じゃないんですか?」


「不敬罪を適用したら、あのアホどもは自らの悪事を認める事になるもの。

 すべては狂人のデマカセって事にしたかったのでしょうね。

 フフ……クレア、知ってる?

 シルトヴェールでは狂人はすべての罪を免れられるのよ。

 ――無敵よね」


「……法の網を掻い潜る気まんまんの発言」


「あら、そもそもわたくし、裁判すら受けさせてもらえずに、問答無用で修道院送りよ?

 これって常識的に考えて、なんて言うか知ってる?」


 愉しげに告げるアンジェラ様の言いたい事がわかってしまう。


「……公女誘拐、ですか?」


「そ。だからわたくし、逃げ出したの。

 たまたま偶然、最果ての森を通りかかったから、ちょうど良いと思ってね。

 ――果ての魔女に助力を求める、ね……」


 意味ありげに微笑むアンジェラ様。


 だいぶアンジェラ様の事がわかってきた気がするよぅ。


 絶対、たまたまでも偶然でもないよね?


 きっとなにか――わたしが想像できないような手を回して、この森を通るように仕向けたんだ。


「そこまでして果ての魔女に会いたかったんですか?」


 するとアンジェラ様はふわりと微笑みを浮かべて、わたしを見つめました。


「――いいえ。

 正確には、おまえに会いに来たのよ。クレア……」


「……ふぇ?」


 そういえばさっきからアンジェラ様、わたしの名前を呼んでたような……


「わたし、名乗りましたっけ?」


 途端、アンジェラ様は驚いたような顔を浮かべ。


 それからすぐにその表情をいたずらめいたものに変えた。


「覚えてないの?

 あれだけ泣きじゃくって別れを惜しんでくれたじゃない?

 ひどいわね。

 わたくしはおまえの綺麗な赤毛を一日たりとも忘れたことはないというのに……」


 そう告げたアンジェラ様は、わたしの腰まで波打つ赤毛を一房すくい取り。


「あの頃と変わらない、森とお日様の香りね」


 アンジェラ様はわたしの髪に顔を寄せて、優しげな声でそう言った。


 その言葉で蘇る、ある夜の出来事。


 おばあちゃんに連れて行ってもらった貴族のパーティーで。


 わたしはこの赤毛を男の子にバカにされて――あの頃はおばあちゃんに人に魔法を使っちゃいけないって言われてたから、反撃もできずに思わず泣いてしまって。


 逃げ出すように中庭に出て……そこで出会った、月夜を映したような女の子。


 金の瞳にいっぱいの涙を溜めながら、それでも溢れないように歯を食いしばりながら夜空を見上げて立ち尽くすその姿に、わたしは思わず見とれてしまったっけ。


 ――ああ、これがお姫様だって。


 わたしは自分が泣いていた事も忘れて、女の子に話しかけたんだよね。


「――理不尽に立ち向かうにはどうしたら良いか。

 おまえが教えてくれたのよね」


 理不尽な出来事を前に立ち尽くすあの子に。


 わたしは確かに答えた。


「――理不尽には、さらなる理不尽でねじ伏せればいい」


 それがこの世の理の外を司る魔女のあり方だと、そうおばあちゃんに教わっていたから。


 そのままあの子に教えてあげたんだっけ。


 そうしたら、あの子はお礼にと、わたしの髪をバカにした男の子をぶっ飛ばしてくれて。


 ――おまえの綺麗な赤毛は森とお日様の香りがするわ。きっとお日様色なのね。


 そう言って慰めてくれたんだっけ。


「――アン……なの?」


「他人行儀に敬語なんて使われるから、人違いかとドキドキしてたのよ?」


 片目をつむって答えるアンジェラ――アン。


「初めから言ってたでしょう?

 わたくしは、果ての魔女への古き盟約とをよすがにやってきたって。

 おまえが教えてくれたように、理不尽に立ち向かえる理不尽を鍛えてきたつもりだったけれどね。

 もはやわたくし個人ではどうにもならないみたい……」


 握りしめた拳を見つめ、アンは寂しげに告げる。


 ――それは。


 かつて、というにはあまりにも鮮明な記憶で。


 けれど最近、というには十分すぎるほどに遠い日の約束。


 あの白の月ディオラ赤の月モニアが重なった夜空の下で。


 アンに慰められたわたしは、確かに彼女に約束した。


 ――それでも理不尽に打ちのめされそうになった時は……


「――わたくしを……助けてちょうだい。

 果ての魔女……」


 そう告げるアンの姿は。


 自信満々な表情で、王太子達をぶっ飛ばした武勇伝を語っていたものではなってなくなっていて。


「……このままでは公国が……いいえ、王国も含めて、多くの民が……爵位を笠に着た者達に食いつぶされてしまうの……」


 それは理不尽に嘆くお姫様そのもので。


「もうシルトヴェールはダメよ。

 わたくしが王太子妃になることで、なんとか修正できないかとも考えたけど……

 陛下はもはや保身しか頭になくて。

 立太子されたオズワルドの暴走で、もう貴族達は歯止めの効かないところまで来てるわ」


 諦めきった顔のアンの言葉に、わたしは首を振って応える。


「わたしには政治の事とかよくわからないけど……」


 彼女の話を聞きながら、同調の魔法で彼女の記憶を映像として観たから理解はできる。


 王太子達の下衆な笑み。


 彼らを手玉にとって上機嫌な、ルミアとかいう子爵令嬢の勝ち誇った顔。


 公国を――そして王国すらをも想うがゆえに、好きでもない王太子に嫁ごうと決意していたのに。


 それを容易く裏切られたアンの絶望。


 いずれはアイツらが王国の政治を担う事になるのだろう。


 アンの語っていた権威主義な王子達の悪事。


 あのまま彼らが国政を担ったなら、ロクな事にならないのはわたしにもわかる。


 いや。


 そもそもの話として、今の国王から腐っていて、すでにシルトヴェールはダメなのかもしれない。


「――約束したもんね。

 アンが理不尽に打ちのめされそうになった時は。

 それを超える理不尽で、わたしがアンの敵をぶっ飛ばすって!」


 わたしが拳を突き出して見せると。


『――初仕事が国崩しかぁ。

 エイダがクレアは自分を超えるって言ってたけど、ホントにそうみたい』


 猫らしいなで肩を器用に竦めて見せながら、イフューが苦笑交じりに呟く。


「……助けるよ。アン」


 古の盟約と新しい約束という魔女の作法に則って、ね。


「クレア……」


 わたしの手を取って見上げてくるアンに、わたしは微笑みを返す。


「――王国を滅ぼしちゃおう!」


 その方法だって、おばあちゃんから教わってるんだから。


「できるの?

 この行き詰まった国をどうにかできる?」


 不安げに尋ねるにアンに。


「その為に果て魔女を……わたしを頼ってくれたんでしょう?」 


 わたしはうなずきで応える。

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