第1話 2
「――アンジェラ・ブラドフォード!
貴様との婚約は破棄させてもらう!」
新入生歓迎を兼ねた、学園のダンスパーティーで。
わたくしは集った生徒達に注目される中、婚約者のオズワルドにそう告げられた。
昨年立太子されて正式に王太子になったオズワルドは、有り体に言えば調子に乗っていたわ。
立太子された事で、多くの貴族達がすり寄っておだてるものだから、わからなくもないのだけれど。
「……あなた、自分がなにを言ってるのかわかってるの?」
わたくしはいつもと変わらず、手にした扇で口元を隠しながら、見下ろすようにしてオズワルドを見据える。
彼の隣には、いつもやたらとオズワルドの周りを飛び回っていた羽虫――ルミア・ソルディスの姿があって。
オズワルドは彼女の腰を抱いて、ルミアもまたオズワルドに身を預けている。
そんな彼らを守るように、学園では有名な貴公子が四名。
騎士団長令息。
宰相令息。
外務大臣令息に、財務副大臣令息。
……この一年余りで見飽きた面子ね。
オズワルドを筆頭に、一人の女に名だたる名家の子息が入れあげている。
そしてルミアはそれが当然かのように受け入れていた。
年配のご婦人がサロンで崇拝者を集うのは、このシルトヴェールでは珍しい事ではないけれど。
これはそういうものとは違うわよね。
サロンのそれは配偶者に配慮された、明確なルールが存在するもの。
――あの娘、いったいどういうつもりなのかしら?
視線を向けると、彼女はオズワルドの胸に顔を埋めるようにしながら。
まるで勝ち誇るかのように、薄気味悪い笑みをわたくしに向けてきたわ。
わたくしはもう一度、オズワルドに尋ねる。
「――早く答えなさいな。
あなた、本当に自分がなにをしようとしているのかわかってらして?」
わたくしに睨まれて、一瞬怯んだ表情を浮かべたオズワルドだったのだけれど。
「……オズワルド様、負けないで下さい!」
抱きついたルミアに激励されて勇気づけられたのか、その手を握りしめてわたくしを睨み返してきたわ。
「貴様はいつもそうだ。
私は王太子になったのだぞ?
いつまでも貴様の言いなりになると思うな!」
まくしたてるように上ずった声で告げるオズワルドに、わたくしは一歩踏み出す。
まるでふたりを守るように取り巻きの四人が前に進み出たわ。
思わずため息が出てしまうわね。
「そんな事は聞いていないの。
わたくしと婚約破棄するという事は、ブラドフォード公国はわたくしが継ぐ事になるのだけれど、本当に良いのね?」
元々、わたくしとオズワルドの婚約は、陛下の独断に近い形で決定されたものだったわ。
……わたくしのお父様は今上陛下の兄だ。
詳しくは知らないのだけれど、玉座に興味の薄かったお父様が、陛下に譲る形で臣籍に下ったのだとか。
けれど、先代陛下――お祖父様はお父様に大公の位を授けて、所領への自治権を与えたわ。
そして公国として運営するようご指示なさった為に、シルトヴェールはややこしくなってしまったのだわ。
のんびり屋なお父様も、お祖父様の指示には従わないわけには行かず。
――これは想像なのだけれど、お祖父様はお父様に王位を継いで欲しかったんじゃないかしら?
実際、ブラドフォード領は公国となってから、目覚ましい発展を遂げているもの。
「――それがなんだと言うのだ!」
オズワルドは――国情を理解していないのね。
アホ面を下げてイキってるもの。
「――陛下に聞かされていないのね。
ヘリックは理解していたようだけれど。
王位を望まない方が優秀なのは、シルトヴェールの血なのかしら」
お父様もそうだものね。
兄弟が逆転しているけれど、今年十五歳を迎えるオズワルドの弟――第二王子のヘリックは機知に富んだ優秀な子だわ。
「良い? 今、シルトヴェールは陛下の外交政策の失態で火の車なの。
ぶっちゃけて言うとね、ブラドフォードが国債を買い取る事でなんとか保ってる状態なのよ」
十年ほど前になるだろうか。
隣国と戦になって、ほぼ敗戦というところで、お父様がなんとか停戦交渉を成功させたのよね。
その時の賠償金支払いは今も続いていて、国庫は常に火の車ってわけ。
「その国債をチャラにしたくて、陛下は一計を企てたのよ?
それがわたくしとあなたの婚約であり、跡継ぎの居なくなったブラドフォードへのヘリックの養子入りってわけ」
言ってしまえば、公国の自治権を事実上取り上げようって案ね。
なんだかんだで弟思いのお父様は、その話に苦慮なさったようだけれど。
ヘリックの才能があれば、そうそう傀儡にはならないだろうと、結局はお話を受けられたのよね。
「つまりわたくしとの婚約を破棄するという事は、陛下の意向を無視するって事になるのだけれど……
もう一度聞くわ。
――本当に良いのね?」
わたくしとしては、大好きな公国を継げるのだから願ったり叶ったりね。
なによりあのアホ王子の面倒を見なくて済むもの。
言葉に詰まるオズワルドに、わたくしは勝ち誇った笑みを浮かべてみせたわ。
「……そもそもの話、どういった理由で婚約破棄しようと言うの?
それは陛下を納得させられるもの?」
きっとあのアホの事だ。
勢いだけで言っているに違いない。
「――き、貴様はルミアに数々の嫌がらせをしてきただろう!?」
「嫌がらせ?」
まるで記憶にないのだけれど。
取り巻き連中も、アホに同意して頷いている。
「まったく記憶にないのだけど」
「しらばっくれる気か!?」
騎士団長の息子のクレイブが声を張り上げる。
大きな声を出せば、わたくしが竦むとでも思っているのかしら?
浅はかな事。
「しらばっくれるもなにも、本当に身に覚えがないのですもの。
まあ良いわ。
万が一仮にそうだったとして――」
「――認めたな!」
今度は宰相の息子のジュードが勝ち誇って叫ぶ。
わたくしは無視して続けたわ。
「――万が一仮にそうだったとして、それがなんだというの?
あなた方も爵位が下の者に好き勝手やっているでしょうに」
わたくしはアホの取り巻きの名前を順に呼び、実例を上げていく。
「例えばジンは、実家の商会の商品とする為に、某男爵家の発明品を奪ったそうね」
この段階で。
わたくしはもうオズワルドに見切りを付けていた。
扇を仕舞い、パニエと一緒にそこに吊り下げていたものを足元に落とす。
身軽になりたかったのよね。
「例えばミゲルは子爵家の子に、カンニングの手伝いをさせてたのだったかしら?
外務大臣の令息が外国語が苦手なんて、笑えちゃうわね」
言いながら、腰を屈めて取り上げたのは、無骨な鉄色を見せる手甲と脚甲。
ジュードとクレイブの悪事も暴露してやりながら、わたくしはそれを手足に装着していく。
「ジュードは宰相のお父様の権威を使って口利きの見返りに金品を要求してたんだったかしら?
――クレイブは平民の女子に強姦ね。汚らわしい」
周りの生徒は突然始まった、わたくしの暴露話に聞き入っていたわね。
「そしてオズワルド。
あなたは今、わたしにしたように、ルミアが嫌がらせされたと言って、何人ものご令嬢達を退学や停学にさせてるわね。
無理矢理従わされた先生方も王族には逆らえないものね
ああ、これはルミアに言われるがままにやった事になるのかしら?
だとしたら、とんでもない操り人形ね」
「ど、どこでそれを――」
準備を終えたわたくしは、うろたえるオズワルド達を見据えて首を振る。
「……何処でも良いでしょう?
わたくしが言いたいのはね。
爵位が物を言う貴族社会では、階級という理不尽がまかり通って暴露話なんて、なんの役にも立たないと、あなた達自身が証明したってことと……」
一歩を踏み出し、両手の手甲を打ち合わせる。
「――爵位以上に物を言うものがあるってこと!」
そうしてさらに一歩を踏み込んで。
わたくしはとりあえず、一番近くにいたグレイブの顔面に鋼鉄の拳を叩き込んだわ。
続く一歩で、隣にいたミゲルの腹に鋼鉄の蹴りを繰り出して――
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