果ての善き魔女は悪のお姫様と共に ~この王国はもうダメっぽいから、滅ぼす事に決めちゃった~
前森コウセイ
果ての魔女と大公女
古き盟約と新しい約束
第1話 1
「――おばあちゃん、お姫様って?」
買ってもらったばかりの絵本に描かれた、きらびやかな格好をした少女。
それを指差しながら尋ねるわたしに、おばあちゃんはわたしの頭を撫でながら優しく微笑んだ。
「貴族や王族の娘をそう呼ぶのさ」
答えるおばあちゃんに、さらにわたしは質問を重ねる。
「お姫様になれば、お城に住んでドレスを着てパーティーに出られるの?」
「そういう仕事だからね。
……なんだい、クレア。
おまえ、パーティーに興味があるのかい?」
「うん!
美味しいもの食べられるんでしょ?」
「――レプリケーターで作ったものの方が美味いよ。
まあ、見聞を広めるのは良いことだ。
今度、連れてってやるよ」
そう言っておばあちゃんは、再びわたしの頭を撫でた。
――そんな事を思い出しながら。
わたしは目の前に倒れている少女を見下ろす。
夜空を映したような漆黒の髪は朝露に濡れていて、長くここに倒れていたのが伺える。
着ているものは質素な生成りの貫頭衣で、森の中を彷徨ったのか、ひどく汚れていたけれど。
彼女の美しく整った顔を見て、わたしは幼い頃に絵本で見たお姫様を連想してしまったよ。
真っ赤な髪のわたしは、幼い頃は妙に黒髪に憧れていたのを覚えている。
「――行き倒れかな?」
わたしが呟くと、その少女の元へ黒猫のイフューが歩み寄って、彼女の頭をテシテシと前足で叩く。
少女の反応はない。
「最果ての森に行き倒れ?
自殺志願者の間違いじゃない?」
舌っ足らずな甲高い声で、イフューはわたしに答える。
使い魔のイフューは人語を話す。
むしろ幼い頃――まだ森から出た事がなかった頃は、猫はみんな話すものだと思っていたから、わたしにとっては当たり前で。
おばあちゃんに初めて街に連れて行ってもらった時には、話さない猫に驚いたくらい。
「ともあれ見つけちゃったんだから、このままってわけにはいかないよね」
森には肉食の獣や魔獣が出る。
このまま放置しておいたら、彼女は食べられちゃうかもしれない。
今日は散歩がてら、近所の獣の間引きをするつもりだったんだけど、予定変更だね。
わたしの考えを読み取って、イフューはため息をつきながら首を振った。
昔からイフューは猫のクセに、時々こういう人間臭い仕草をする。
わたしは浮遊の魔法を少女に使い、宙に浮き上がった彼女の手を引いて帰路に着く。
最果ての森と呼ばれる深い森の中、一番近い村からでも徒歩なら一日はかかる奥地に。
わたし――果ての魔女の家はある。
先代の果ての魔女である、おばあちゃんがこの地に住み着いてからというから、もうかれこれ築三百年という年代物だ。
でもしっかり魔法で手入れをしているから、年数ほど古さは感じられない。
森に囲まれた敷地は、絵本に出てくる『魔女の家』とは違って、館くらいの大きさがあって。
幼い頃は、絵本の『魔女の家』を見て不思議に思って、なぜこんな古めかしい家に描かれているのか、おばあちゃんに尋ねたっけ。
――その方が怖そうだろう?
おばあちゃんはそう言ってた。
魔女は畏怖の対象であるべきなんだとか。
よくわからなかったけれど、怖がられるのも魔女のうち仕事らしい。
「イフュー、薬草粥を作るから詰んできて~」
わたしの頼みにイフューは短く鳴いて、裏の畑に駆けて行った。
わたしは少女を連れて、玄関をくぐる。
「とりあえず怪我はないように見えるけど……念の為」
厨房横の医務室に少女を運び込み、寝台に少女を寝かせる。
寝台に備え付けられた操作盤に書かれた古代文字の列から、全自動を指すものに触れれば、硝子状のフードが寝台を覆って、赤い線が少女の頭の先から下方へと動き始める。
原理も理屈もわからない、古代の医療器具だ。
原理はわからないけれど、使い方はわかる。
魔女とはそれで十分なのだと、おばあちゃんは言っていた。
医療ポッドという名のこの寝台で眠れば、たいていの怪我は直してくれる。
わたしは少女が治療されている間に、厨房でお粥を作る。
土鍋を出して、お米を研いでいると、イフューが薬草を浮かべて戻ってきた。
この使い魔の黒猫は、わたしと魔道器官を共有している。
だから、わたしが使える魔法はたいてい使えて、今も念動の魔法で薬草を詰んできてくれた。
蛇口の水で薬草を流し洗い、まな板で刻んでお米と一緒に土鍋に入れる。
塩を軽く振ってコンロの火にかけると、土鍋の蓋を閉じる。
「それで?」
「それでって?」
イフューの問いかけに、わたしは首をひねる。
「あの娘をどうするのかって聞いてんの」
「あの人次第じゃない?
――迷子なら、家まで送ってあげれば良いと思うし。
イフューが言うように自殺志願者さんだったら、お話を聞いてあげれば良いんじゃない?」
「もし、果ての魔女のお客さんだったら?」
「それこそあの人次第でしょ」
わたしはまだ『仕事』をした事はないけれど、おばあちゃんはよくお仕事を頼まれてた。
貴族の遣いの人がやってきて、お仕事を頼まれてたのを見たこともある。
おばあちゃんから『仕事』のやり方は教わってるから、別に問題はないはずよ。
「……お気楽だなぁ」
わたしの考えを読んだイフューは呆れたように呟いて、前足で顔を洗った。
余った薬草を煮出した薬草茶を飲みながら待つことしばし。
薬草粥の完成と、医療ポッドがアラームを鳴らしたのは、ほぼ同時だった。
土鍋をお盆に乗せて医務室に戻ると、医療ポッドの上面を覆っていたフードは外れていて。
「――ここは……どこかしら?」
凛とした涼やかな声で。
やってきたわたし達に、すでに目覚めていた少女は問いかけて来た。
「こ、ここはわたしの――果ての魔女の館、です」
イフューや近くの村の人以外と話すのは久しぶりで、ちょっと緊張しちゃう。
つっかえながらもわたしが応えると、少女は安堵したように脱力して。
「――わたくしはアンジェラ・ブラドフォード。
古き盟約と新たな約束をよすがに、果ての魔女の助力を求めてここまで来たの」
『……ブラドフォード……シルトヴェール王国の大公家だね。
公国領も所有してる御家で、正真正銘のお姫様だ』
彼女の前ではただの猫で通すつもりなのか、イフューは念話でわたしにそう説明する。
わたしは彼女――アンジェラ様に土鍋を差し出し。
「まずは食べませんか?
それからお話をうかがいます」
まさか本当に果ての魔女のお客さんだとは思っていなかったから。
わたしは落ち着く時間が欲しくて、そう告げていた。
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