第16話 禁じられた部屋

 後宮には中庭が存在している。

 そこにある四阿あずまやで、のんびりとお茶とお菓子、そして読書を楽しんでいる少女がいた。

 この後宮において、一番の新参者であり、また一番身分の低い妃――ナターシャである。

 今日は天気がよく、空気も暖かいので外で本を読むことにしたのだ。

 近くには給仕の侍女が控えており、頃合を見計らってはお茶のお代わりを注いでいる。

 最初の頃こそ、そういった扱いに慣れていなかったナターシャは恐縮しきりであった。

 しかし、いまや堂々としているのは時間のなせる技だろう。

 時折、小鳥の囀りが聞こえ、微かな風が頬をなでる。

 こんなに良い天気だと言うのに、中庭にいるのはナターシャだけである。

 ほかの妃たちの姿は無かった。


「ふぅ」


 最後のページまで読み終えたナターシャが、満足そうに息を吐いた。

 物語の余韻に浸っている。

 彼女が読んでいたのは推理小説ミステリである。

 それも、古典的なものだ。

 用意されたお菓子に手を伸ばす。

 その甘さに、手に汗握って物語の世界に没頭していたナターシャは現実に引き戻される。

 次に紅茶へと口をつけた。

 そして、ふと、後宮を見上げた。

 石造りの建物を見上げた。


「……ふふ」


 ここに来たばかりの頃を思い出して、ナターシャは小さく笑みを浮かべた。

 ナターシャは当時気づいていなかったのだが、第二妃であるカタリーナの嫌がらせを受けていた頃のことを思い出す。

 あの頃は、なんなら食事ですら1日1回だった。

 しかし、そのことにナターシャは気づいていなかった。

 なぜなら、夢中で持ち込んだ本を読んでいたからである。

 亡き祖父が遺した蔵書、それを持ち込んで読み込んでいたのだ。

 実家にいた頃は、食事や家の手伝いの度に読書を中断しなければならず、不満だった。

 しかし、後宮に入ってからは、やることをやったら誰にも邪魔されず読書が出来たので、ナターシャは幸せだった。

 だから食事が1日1回だろうと気にしなかった。

 元々少食な方だったことと、インドア派だったことも理由だろう。

 ナターシャはあまりお腹が減らないタイプだった。

 しかし、ずっと同じ姿勢で読書をしていると肩がこるのもたしかで。

 そのため、当時のナターシャは後宮の建物内を散歩していた。

 それは今も続いている。

 後宮に来て、扱いがまともになってからというもの、少しだけ体型に変化が出てきたのだ。

 そう、少しだけ太ましくなってしまったのだ。

 その辺を気にするのは、仕方の無いことだ。


(開かずの間や、それこそ【禁じられた部屋】を探したこともありましたね)


 あの頃のことを思い出し、ナターシャは懐かしそうに目を閉じた。

 その時、一緒にさらに以前の記憶まで蘇ってきた。

 それは、やはり義姉の演る紙芝居の記憶だった。

 ナターシャが、【物語を考察する】ということに興味を持つきっかけとなった、とある物語に関する記憶だった。



 ***



 その日もナターシャは、子供たちに混じって紙芝居を見に来ていた。

 今日のチケットは飴玉である。

 可愛らしい袋に、飴玉が五個入っている。

 それを口の中にいれ、コロコロと舐めていると、遠くない未来でナターシャの義姉になる少女――ミズキの紙芝居が始まった。


「それでは【禁じられた部屋】、始まり始まり」


 ミズキがタイトルの紙芝居を引き抜く。

 現れたのは、貧しそうな農民の家である。

 しかし、家の脇には頑丈そうな農機具、鍬とか斧とかが描かれていた。


「昔あるところに、二人の兄と一人の妹が暮らす貧しい家がありました。

 貧しいながらも、三人は仲睦まじく支え合って暮らしておりました」


 三人兄妹、と聞いてなんとなく自分たち兄妹みたいだ、とナターシャは思った。

 ただ物語と違って、ナターシャの家は貧しくは無い。


「ある日の事です。

 三兄妹の家に、とても立派な黄金の馬車が止まりました。

 それは、この地を治める伯爵様の馬車でした」


 家との対比なのか、立派な馬車の絵が現れる。

 贅の限りを尽くしてそうなデザインだ。


「馬車から貴族様の使者が降りてきて、三兄妹の住む家の扉を叩きました。


 トントン。

 トントン。


 扉を叩く音に、お客さまかしら、と出てきたのは妹でした。

 使者と馬車を見て、妹は目を丸くします。

 使者は恭しく、妹へ頭を下げるとこういいました。


 我が主人たる伯爵様が、貴女を生涯の伴侶にしたいと仰りました。


 妹は、目が落ちるのでは無いかと言うほどまん丸になりました。


 はい??


 やがて出たのは、そんな不躾な返事でした。

 そこに、野良仕事から戻ってきた兄達がやってきます。

 この兄達にも、使者は恭しく頭を下げると事の次第を伝えたのでした。


 何かの間違いでは?


 うちは代々由緒正しい貧乏農家ですよ?


 兄達が口々に使者へ、そういいました。

 さらに見るからにオンボロの家を、指さして一番上の兄――長男が続けます。


 やはり何かの間違いでしょう?

 この家を見てください。

 お化け屋敷よりも、お化け屋敷らしいと評判なんですよ?

 それとも、高貴な姫君を匿っているとでも??


 さらに、二番目の兄――次男も不思議そうに続けます


 そもそも伯爵様には、もう何人も奥方様がおられたはずですよね?


 そこで使者は、疲れたように首を横に振りました。

 そして、詳しい事情を話し始めました。


 貴方たちは、知らないのですね。

 実は、奥方様たちは皆、伯爵様の事を怖がって出ていってしまうのです。

 というのも、伯爵様はとても優しい方なのですが、自身の定めたルールを破られるのをとても嫌っているのです。


 奥方達に関する不穏な噂は、兄妹達も知っていました。

 しかし、噂は、噂だと話半分にしか信じておりませんでした。

 そういえば、この伯爵は大層聡明な人で魔法の腕も高いと聞いたことがあったことまでついでに思い出しました。

 ルールの部分に、兄達と妹が首を傾げました。

 妹が質問します。


 優しいけれど、厳しい方、ということでしょうか?


 使者が頷きました。


 最初は仲睦まじく、どの奥方とも暮らせるのです。

 ですが、ある程度生活を共にすると、どうしても気が緩むのか、伯爵様の定めたルールを破ってしまうのです。

 それは、とても些細なルールでございます。

 しかし、先程も申し上げたように伯爵様はルールを破られるのをとても嫌っております。

 ですので、それを破られた奥方様達を伯爵様は許すことが出来なかったのでございます。


 そんなことを言う使者に、長男の眉がピクリと動きました。

 もしかしたら、噂には根も葉もあるのかもしれないと考えたのです。

 考えただけで、口にはしませんでした。

 使者は言葉を続けました。


 今まで娶られた奥方様は全部で六人でした。

 その全員が、誓いを、ルールを破ったがために、伯爵様から手酷い折檻を受けることになったのでございます。

 そして、それが原因で皆様は城を出ていかれたのでございます」


 そりゃあ、折檻まで行くような厳しい扱いを受けたら逃げ出すよなぁ、とナターシャは思った。

 口の中で転がしていた飴が無くなったので、二個目を口に入れる。

 柑橘系の味がした。


「しかし、伯爵様にも跡継ぎが必要でございます。

 なんとかして跡継ぎを作ってもらわねばなりません。

 そんな時でした、あなた方の妹君の噂を耳にしたのでございます。


 はて、噂とはどんな噂なんだろう、と妹はもちろん兄達も疑問符が浮かびました。

 使者は兄妹達の反応を見てとって、続けました。


 農民にしておくには勿体無いほどの器量良し、との噂でございます。

 加えて、こうして実際に対面して噂に嘘偽りも、ましてや誇張すら無いことを知ることができました。


 使者は妹をじっ、と見つめました。

 さらに続けます。


 そして、兄君達の言うことをよく聞き、その兄達を支え懸命に働いているとのこと。

 これも、妹君を伯爵様が是非にと所望された理由でございます」


 兄達、つまり、家と男に従順に仕えることができている娘ということだ。

 男に逆らわず、言われた通りに動く、都合のいい娘。

 そう言われているのである。


「妹は使者の言葉を、複雑な気持ちで聞いておりました。

 しかし、相手は伯爵様、妹もその兄達も農民です。

 逆らうことは出来ないのです。

 本当は嫌でした。

 こんな形での結婚など、妹は嫌で嫌で仕方ありませんでした。

 でも、そんなこととても口に出来ないのです。

 下手なことを口にしようものなら、妹だけではなく兄達もどんな扱いを受けるかわかったものではありませんから。


 分かりました。


 妹が凛とした声で、使者に答えました。


 私なんかが伯爵様と一緒になるなど恐れ多いですが。

 しかし、この伯爵領の未来のためとあらばこの胎を提供しましょう」


 新しい場面になる。

 幸せいっぱいの婚礼の場面だ。

 中年の男とうら若い乙女の絵が描かかれている。

 乙女の方は、とても農民には見えないほど美しく描かれている。


(結婚かぁ。

 いいですねぇ。

 私もいつか素敵な出会い、というものをしてみたいものです)


 なんてナターシャは、口の中で飴をコロコロさせながら思った。

 今のところ婚約者もいなければ、気になる殿方もいない。

 まさか、そんな遠くない未来で側室として王家に輿入れするなどとは欠片も考えていないナターシャは、いつか経験するかもしれない【素敵な殿方との出会い】を空想してみた。

 純白のドレスに身を包み、知人友人に囲まれ温かく人生の門出を祝われる。

 そんな光景を想像してみる。

 自然とその表情が緩んだ。

 全く憧れが無いわけでもないのである。


 そうこうしている間にも、物語は進む。


「さて、婚礼から1ヶ月ほどが経過しました。

 この1ヶ月、妹は大変大事にされてきました。

 それは、事前に聞いていた伯爵様の厳しさを忘れてしまうほどでした。

 ある種の政略結婚ではありましたが、しかし伯爵様と妹の間には、たしかに愛と呼ばれるものが芽生えつつあったのです。

 伯爵様は嫁いできた娘を宝物のように扱いました。

 嫁いだ娘は、それまで兄たちを支えてきたように伯爵様によく仕えました。

 そんなある日のことです。

 伯爵様が奥方となった妹へ、こう言ったのです。


 私は、急な用向きで六週間ほど城を留守にする。

 私がいない間、この城を、家をしっかりと守っておくれ。


 奥方は、いきなり任された大仕事に緊張した面持ちで頷きました。


 私にできるだろうか?


 そう奥方が、不安になるのも無理はありませんでした。

 しかし、その不安を見てとった伯爵様は快活に笑うとこう付け足しました。


 なに、そんなに不安がることはない。

 私の部下を置いていく。

 ほら、覚えているだろ?

 お前を娶ろうと決めた時に、使者として向かわせたあの男だ。

 わからないことがあれば、こいつに聞くといい。

 そうだ、なんならお前の兄君達を呼んで実家にいた頃のように楽しく過ごせばいい。


 伯爵様の提案に、奥方は大輪の華を咲かせたかのように笑顔を浮かべました。


 本当ですか?

 ありがとうございます!


 その様子に、伯爵様は大変満足そうにすると」


 そこで、ミズキが言葉を切る。

 場面が変わる。

 次に現れたのは鍵束の絵だった。

 黒と灰色で描かれた鍵束の中に、一つだけ金色の綺麗な鍵が混じっている。

 明らかに特別だとわかる、それ。

 紙芝居を見ていた観客全員の視線が、その金色の鍵へ集中する。

 絶対何かあると察せられたからだ。


「さて」


 続いたミズキの声。

 その声が、とても低く不穏なものに聞こえた。

 観客の心がひとつになる。


『来る。怖いのが、来る』


 ドキドキとワクワクの視線を受けるが、しかしミズキの口調は変わらない。

 しかし、その表情はとても冷たいものになっている。


「ここに、この城の全ての部屋、戸棚の鍵がある。

 これをお前に預ける。

 私が留守の間、先程も言ったが兄君達を呼ぶもよし、この鍵を使って部屋を見て回るのも許可する。

 部屋の中に入ってもいい。

 しかし、この金色の鍵。

 これは、地下にある一番奥の小部屋の鍵だが。

 この部屋は決して、鍵を開けて中を見ることも、ましてや部屋に入ることも禁じる。

 これは固く言っておく。

 誓えるね?

 もし、これを破ったら、私は怒って何をするかわからない。


 伯爵様の迫力に、奥方は緊張のあまり唾をごくりと飲み込んで、こくこくと頷きました。

 この1ヶ月、優しく接してくれていた伯爵様はどこにも居ませんでした。

 奥方が怯えているのが伝わったのでしょう、伯爵様はいつものように快活に笑うと、


 いやぁ、すまないすまない。

 少し脅しが過ぎたようだ。

 では、よろしく頼んだよ。


 そう言ったのでした。

 そして、伯爵様がお仕事で旅立った後のことです。

 奥方は、伯爵様に提案されたこともあり、実家の兄達に手紙を書きました。

 城へ招待するためです。

 手紙を受け取って、城まで来るのに数日はかかる予定です。

 そして、伯爵様と入れ替わるように、伯爵様の部下である男が奥方の前に現れました。

 奥方がこの男を見るのは、使者としてあの立派な馬車で実家に来た時以来でした。

 改めて挨拶をし、男は奥方に様々な部屋を案内して回るのでした。

 一通り部屋をみて回ったあと、鍵束のなかにある金色の鍵が目につきました。

 先頭をいく男へ、奥方は問いかけました。


 あの、この金の鍵で開く部屋のことなのですが。


 いけません。


 まだ問いかけの本題にも入っていないと言うのに、男はピシャリと返しました。


 あの部屋のことは話すな、と伯爵様から、それはそれは厳しく言い含められているのです。

 だから何も話せませんし、案内することもできません。


 男の言葉に、奥方の中に好奇心が芽生えました。

 やるな、と言われたら余計にやってみたくなるのが人情というものです。

 だからでしょう、伯爵様が出かけてからというもの、奥方は地下に続く階段が気になって気になって仕方がありませんでした。

 そんな奥方の脳裏に、伯爵様とのやりとりが蘇ります。


 旦那様は、たしか禁じられた部屋を開けてはいけない。

 中を見ることも、入ることもしてはいけない。

 そう仰った。

 でも、地下に行ってはいけない、とは仰っていないわ。


 自分に言い聞かせ、奥方はその夜行動に移しました。

 一人で地下に行くことにしたのです」


 紙芝居を見ていた観客、ナターシャを含めた全員が、アチャーという顔をしている。

 これは確実に地下に行って、部屋の中に入るし、なんなら中を見る展開だ。

 そもそもなんで夜なんだ、昼間にしろ、と考えている観客もいる事だろう。

 こういった昔ばなしで、やるな、といったことを守るキャラクターはいないのがお約束だからだ。

 この話に出てくる、妹こと奥方もその例に漏れなかった。

 それだけと言えば、それだけのことだ。

 話は進み、観客の予想した行動を奥方は取り始めた。


「ちょっとだけ、地下に行って部屋の前まで行くだけ。

 ちょっとだけ、ちょっとだけよ」


 部屋の中にはいったい何があるのか。

 それは観客も気になっていた。

 金銀財宝ではないことは、予想がつく。

 もっと、こう、嫌ななにかに違いない。

 でも、それが何なのかは、話を見ていかなくてはわかららない。


「奥方は地下の一番奥にある小部屋の前に立ちました。

 ドキンドキンと、心臓の音がうるさく鳴り響きます。

 ドアノブに触れ、回しましたが開きません。

 そこで、奥方はハッとして扉から離れました。


 ダメ、ダメよ。

 ここまでよ。

 ここで、中を見ちゃったら旦那様にどんな罰を受けるかわからない。


 そう奥方は自分に言い聞かせました。

 しかし、その目に手にした鍵の束が、そのなかに混じるあの金色の鍵が写りました。

 そして、その耳元で幻聴が囁きました。


 ――この禁じられた部屋の中には、とっておきの宝物がきっとあるのだわ――


 それは、他ならない自分の声でした。

 鍵穴に、鍵を入れまわす。

 部屋の中は真っ暗でした。

 手に持ったランプを掲げて、部屋の中を照らしました。

 そして、奥方は目に飛び込んできた光景に驚きのあまり尻もちをついてしまいました。

 悲鳴すら出ませんでした。

 手で口を押さえて、ガタガタと震えました」


 絵には、恐れおののく奥方が描かれていた。

 奥方は何を見たんだ?

 観客が物語に集中する。


「奥方が見たもの、それは、吊るされた女たちの屍でした」


 六体の骸骨がドレスを纏い、まるで肉屋の作業場のように吊るされている絵が現れた。

 観客は一瞬だけ、どよめいた。

 けれど、誰も物語を止めようというものはいない。


「その数は、六人でした。

 そう、ちょうど伯爵様の下を去った今までの奥方様達と同じ数でした」


 説明に、語りに、観客がシンとなる。

 つまりは、そういうことなのだろう。


「奥方は、立ち上がり急いで部屋を出ようとしました。

 その時です、鍵の束を床に落としてしまったのです。

 慌てて拾うと、なにやらヌルッとしたものが手に触れました。

 しかし、そんなこと気にしている暇はありませんでした」


 部屋から出ていく奥方の絵と、そして彼女が拾い上げた鍵の絵が現れる。

 観客にだけわかるように描かれたそれには、ドス黒い赤が付着した、金色の鍵が描かれていた。

 そう、まるで、血のような赤なのだ。


「自分の部屋に戻ると、奥方はホゥっと息を吐き出しました。

 しかし、先程目にした恐ろしい光景を思い出し、ガタガタと震え始めたのです。


 忘れよう。


 奥方はそう考えました。

 なにもかも、忘れようとしました。

 しかし、そうは問屋が卸しませんでした。

 なぜなら、ふと鍵束を見るとドス黒い血のようなものがついていたのです」


 あ、やっぱり血だったんだ、と観客達がそれぞれ内心で呟く。

 しかし、ここでナターシャだけが違う感想を抱いた。


(え??)


「奥方は慌てました。

 急いでそれを布で拭き取ろうとしました。

 ほかの鍵に着いたものはなんとか綺麗に拭き取ることが出来ました。

 しかし、金色の鍵だけはどうやっても綺麗になりません。

 不思議なことに、砥石で擦っても、なんども水につけて洗い流そうとしても落ちないのです」


 そこでまた、場面が変わる。

 太陽が描かれていた。


「気づくと、朝になっていました。


 大丈夫、大丈夫よ。

 旦那様は昨日出ていったばかりですもの。

 お戻りになるのは、まだまだ先。

 だから、それまでにこの汚れを落とせばいいのよ。


 奥方は自分に言い聞かせました。

 しかし、あぁ、なんということでしょう。

 馬車の音が聞こえてきたかと思うと、段々近づいてくるではありませんか。

 そして、城の真ん前まで来ると止まりました。

 奥方は、窓からその馬車を見ました。

 それは、伯爵様が乗っている馬車だったのです。


 ああ、なんてこと。

 旦那様がお戻りになられた!!」


 悲痛なミズキの演技に、しかしナターシャは冷静だった。


(早すぎますね。

 まるで、タイミングを見計らったかのようです)


「慌てて奥方は着替えを済ませると、伯爵様を出迎えました。


 途中で用件が片付いた、と報告を受けたんだ。


 出迎えた奥方に、伯爵様はそう説明しました。

 そして、


 お陰で昨日の今日で戻れた。

 さぁ、鍵を返しておくれ。


 伯爵様は鍵を受け取ろうと、手を差し出して来たのでした」


 来た、と観客は息を飲んだ。

 さぁ、奥方はどう出るんだ?

 そう期待に満ちた目を紙芝居に向ける。


「あ、その、えっと。


 奥方はしどろもどろになりながら、言葉を探していました。

 しかし、いい言葉が見つかりません。


 どうしたのだ??


 伯爵様の声が、いっとう低く響きました。

 奥方は、ビクリと体を震わせました。

 そして、鍵束を伯爵様に渡したのです。

 その時の奥方と言ったら、ブルブルと可哀想なほど震えておりました。

 伯爵様は鍵を受け取り、鍵を見て顔を険しくしました。

 さらに奥方の様子から全てを悟ってしまいました。


 この鍵の汚れはなんだ?


 伯爵様から問われ、奥方は泣きそうな声で答えます。


 知りません。


 伯爵様の声が、地獄の底から響くようにさらに低くなります。


 知りません、だと?」


 そこで、ミズキは言葉を切った。

 かと思うと、


「貴様!!誓いをやぶったな!!」


 ビリビリと空気を震わせる怒鳴り声を上げたのだった。

 公園にいた他の露店目的の客たちも、何事かと見てくる。

 しかし、ミズキは構わず物語りを続ける。


「そこに、あの優しい伯爵様はいませんでした。

 今にも奥方に飛びかかり、命を奪おうとする獣が一頭いるだけです。


 良かろう、今日からお前にあの部屋を与えてやろう!

 お前は死なねばならない!!


 そんな!

 お許し下さい!

 もう二度とこのようなことは致しません!!

 どうか、ご慈悲を!!


 ならん!!」


 床に頭を擦り付け、謝る奥方と怒りをぶつける伯爵。

 その場面を見て、ナターシャは思った。


(誓いを破ったこともそうですけど、奥方が嘘をついたことにも怒ってそうですね)


 こうなることは、事前に描かれていた。

 奥方が禁じられた部屋を見ること、そして伯爵がそれに怒ること。

 けれど、もしも奥方が素直に誓いを破ったことを認め、謝っていたらどうなっていたのだろうか?

 おそらく、伯爵の怒りはもう少し、ほんのちょびっとだけマシだったのではないだろうか。

 ナターシャはそう考えてしまった。

 誓いを破ったこと。

 そして、知らないと嘘をつかれたこと。

 この二つに伯爵は怒ったのではないだろうか。


「奥方は目にいっぱい涙を溜めて、伯爵様にこう懇願しました。


 どうしても死ななければならないのなら。

 せめて、最後にお祈りをさせて頂けないでしょうか?


 伯爵様は考えました。

 そして、


 よかろう。


 伯爵様の返答に、奥方はすぐに部屋へ駆け込みました。

 そして、窓を開けると大声で助けを呼んだのです。


 助けて、兄さん!!


 そこに、伯爵様の声が掛かりました。


 まだか、早くしろ。


 もう少し、あと少し、お待ちください!!


 兄さん!!

 兄さん!!

 早く、早く来て!!


 奥方の助けを求める声が虚しく響きます。

 そこに、


 ドンドン!!

 ドンドン!!


 と、奥方のいる部屋の扉を伯爵様が乱暴に叩きました。


 ええい!!

 もう我慢ならん!!


 伯爵様が扉を壊し、部屋に入ってきました。


 あ、ああああ!!??


 奥方が悲鳴を上げました。

 その時です。

 そこに駆けつけてくる者がありました。

 奥方の兄達です」


 物語は終盤も終盤だ。

 しかし、ナターシャはその展開を見てさらにゴロッとした違和感を覚えた。


「え??」


 兄達が駆けつけてくるのが、早すぎる。

 物語なのだから、こういったご都合主義的な展開は別に珍しくない。

 今まで見てきたミズキの紙芝居でも、こういった展開は珍しくなかった。

 でも、ナターシャは感じていた。

 何かが、奇妙だと。

 こんなことは、よくあることだ。

 ミズキの語る物語では、よくあることだ。

 だから、いつもの事、と言ってしまえばそれまでなのだけれど。


(どうにも、気になりますね)


 公演が終わったら、ミズキに聞いてみようとナターシャは決めた。

 紙芝居の中では、伯爵と奥方の兄達が切り結ぶアクションが描かれていた。

 そして、


「伯爵様の隙をついた長男が、背後から斧で彼の頭を叩き割りました。

 同時に、次男が鍬を伯爵様の胸へと振り下ろしました。

 伯爵様は倒れ、もう二度と動くことはありませんでした。

 奥方はこれ以降、この事を思い出す度に、もう二度と好奇心に負けて軽はずみなことはしない、と固く固く自分自身に誓うのでした。


 おしまい」


 紙芝居が終わった。

 観客の子供たちが拍手をし、ミズキが深深と頭を下げる。

 そして、子供たちがその場から去り、ミズキが紙芝居を片付けるのを待って、ナターシャは彼女へ声をかけた。

 そして、今回の紙芝居を見た上で感じた疑問をぶつけた。


「……さすが、ナターシャ様ですね。

 考察しながら観ていただけるとは。

 この話を教えてくれた、そして、一緒に作ってくれた友人も喜びます」


 ナターシャの疑問に、ミズキはそう返した。


「この話は、もともと私も知らなかったんですよ。

 でも友人、【二人のお姫様】と【狂愛の神官】を書いた子なんですけど。

 この子が今回の話の元ネタを知っていて、紙芝居にする時に考察してもらえる要素を入れようって提案してきたんです。

 面白そうだったので、あの子の案を取り入れて作った話ですね」


 そして、苦笑する。


「ナターシャ様。

 私は、この物語のもうひとつの物語を知っています。

 それを伝えるのは容易いですが。

 どうします?

 今すぐ答えが、知りたいですか??」


 知りたい。

 そう思った。

 でも、自分で考えたいとも思った。

 けれど、こんなことは初めてで、どう考えていいのかわからないのも事実だった。

 それを正直に伝えると、ミズキはこう返した。


「手がかりは、物語のなかに全てあります」


「むぅ」


「でも、今回は特別です。

 この話を観て、実際に疑問を抱いてそれをぶつけてきたのはナターシャ様が初めてなので、お教えしましょう」



 場所を四阿に移して、ミズキはナターシャへ解答を提示した。


「まず、兄妹たちは伯爵の悪行を耳にして、知っていました。

 次に伯爵は、新しい嫁を探していました。

 これが合致したことにより、この事件は起きたのです。

 伯爵は新しい獲物を得ることに成功。

 伯爵は、娶った嫁を殺す時ルールを定めていました。

 それが秘密の小部屋、禁じられた部屋を覗くな、入るな、というものです。

 これを破った者を殺していたのです。

 ナターシャ様が指摘したように、奥方となった妹が禁じられた部屋に入った、その翌日に伯爵は城へ戻ってきました。

 彼は知っていたんですよ。

 奥方が約束を破ったことを。

 何故、知ることができたのか?

 見ていたんですよ。

 使者がいたでしょう?

 アレは、伯爵が魔法で姿を変えたんです。

 つまり、こういうことです。

 伯爵は使者として、妹を嫁にするため迎えに行き。

 1ヶ月、彼女の気が緩むのを待った。

 そして、頃合を見計らってあの鍵束を渡して、例の部屋を見るなよ、絶対見るなよ、と煽ったんです。

 その後、一旦馬車で城を出た伯爵は、また使者に化けて奥方の前へ現れた。

 そして、彼女の行動を監視したのです。

 すでに六人をこの方法で殺していますし、1ヶ月もあれば奥方の行動パターンもだいたい把握できたと思われます」


「怖いですね」


 伯爵の行動が怖すぎる。


「ですね。

 しかし、兄妹達も中々強かだと思いますよ?」


 ミズキが楽しそうに続ける。


「ナターシャ様は助けに来た兄達。

 その登場が早いと言いましたよね?

 手紙を出して、少なくとも彼らが城に来るのは数日後だったはずです。

 でも、そうじゃなかった。

 妹が呼んだら、すぐに来たのです。

 この意味がわかりますか?」


 ナターシャはすぐ、その考えに至った。


「兄達は、城のすぐ近くに潜んでいた?」


 口にして、ゾッとする。


「この辺は物語上のご都合主義に甘えた、と話を作ってくれた友人もいってました。

 でも、だからこそ異常が際立ったかなと私はおもっています。

 でも、ナターシャ様だけでしたけど。

 これに気づいたのは」


「待って、待ってください。

 それじゃ、まるで……」


 ミズキは苦笑はそのままで、ナターシャを見ている。

 彼女の口にする答えを待っている。


「まるで、妹の嫁入りを利用して、兄妹達が伯爵を殺したように見えるじゃないですか!!」


「……ナターシャ様。

 正解です。

 少なくとも、この話の元ネタを提供してくれた友人は、その元ネタに関してそのように考察していたんですよ。

 もしも物語としての虚構の中に、真実がまぎれているとしたら?

 そんな考えの元、あの子は考察という名の妄想を提示しました。

 それが面白かったので、こうやって物語に組み込んだんです」


 それに、とミズキは続けた。


「元ネタの方だと、伯爵の財産は兄妹達のものになったらしいですよ」


「……たまに現実でもありそうな話で、怖いですね」


たとえば、保険金殺人だったり。

主に、保険金殺人だったり。

よくニュースになるのが保険金殺人だったりする。

以前ミズキがやった、【天使の髑髏】でも、金が絡んでいた。


「人を狂わせるのは、なにも愛だけじゃないってことですね」


 ミズキの返しに、ナターシャも苦笑した。


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