第14話 狂愛の神官
その日、ナターシャはすでに恒例となったリリアとのお茶会を楽しんでいた。
いつも通りに、リリアが所望した紙芝居を演じる。
演じたあとは、リリアが用意してくれた茶菓子とお茶に舌鼓を打つ。
「そういえば、【二人のお姫様】のお話を考えた方の、別の作品があったと思うのですが」
リリアがふと思い出したことを口にした。
ミズキの演じる紙芝居は、ほとんどミズキが作ったものだが、何作かは彼女の友人が作ったものがある。
その一つが、以前リクエストされて演じた紙芝居【二人のお姫様】だった。
「いくつかありますね。
どんな内容でした?」
ナターシャに問われ、リリア少し赤面する。
そして、徐に立ち上がるとテーブルを挟んで向かい側に座っていたナターシャに近寄り、小さく耳打ちした。
「……愛に狂った男性の話でした」
短い説明だったが、すぐにナターシャはピンときた。
リリアは座っていた椅子に戻る。
取りようによっては、【二人のお姫様】より過激な話だからか、リリアは耳打ちすることを選んだのだろうと思われる。
(きっとあの話ですね)
【二人のお姫様】を書いた作者の作品には一つだけ共通点があった。
それは、どんな凄惨な話であれ、恋愛モノであれ、カニバリズム要素が入るのだ。
さらに、登場人物の愛がメタくそに重かったりする。
作者なりのこだわりなのだろう。
そんなわけで、リリアが今口にした【愛に狂った男性の話】ときたら1つしか思い浮かばなかった。
「【狂愛の神官】、でしょうか?」
「えぇ、それです。そのお話です。
妙に記憶に残ってるんです」
特別好きだったと言う訳では無いようだ。
それでも、記憶に残る作品というのはたしかにある。
タイトルを忘れても、登場人物の名前を忘れても、場面やセリフなら覚えている、ということはよくあることだ。
そして、タイトルを言うと一気に記憶が蘇る、というのもあるあるだったりする。
「では、次のお茶会の時はそれをやりましょう」
そんなわけで、次の茶会で演る話が決まった。
ただ、リリアの茶会ではなくナターシャ主催の茶会で話すことになった。
いつものように安請け合いをしたナターシャだったが、彼女は一つ大事なことを忘れていた。
次に読み聞かせる紙芝居、【狂愛の神官】はいわく付きの紙芝居だったりするのだ。
数日後、茶会当日。
流石に招待客がリリアだけ、というわけにはいかないので、ほかの側室、とりわけ図書室をよく利用している側室を中心に茶会の招待状を送った。
その結果、同性異性問わず、恋愛話が好きな側室がナターシャの部屋に集まった。
人数は、ナターシャ含めて10人程度。
派閥もあるので、その牽制というか潜入しての情報収集を目的にやってきた側室もいるようだった。
アザリーナ派はともかく、カタリーナ派の側室達は読書好きはそうなのだが、その好きを理由に、これ幸いと送り込まれた感じが否めない。
というか、以前アレだけ怖がらせたはずなのにここにそれでもやってくるということは、もしかしたら彼女達もナターシャと同じように、怖い話や胸糞話の沼に落ちてしまったのかもしれない。
「さて、今回お話するのは、【狂愛の神官】というお話です」
各席に、お茶と茶菓子が配膳されたのを確認し、ナターシャは語り始めた。
「その昔、厳しい修行を終え、見聞を広め、さらに迷える人達の助けになろうと旅に出た、それはそれは徳の高い神官様がおりました。
神官様は、国中を回り見聞を広め、時には人を助け、時には自分よりさらに徳の高い神官、大神官に師事し勉強とさらに厳しい修行を積み重ねていきました。
ある年のことです。
大神官の下から旅立ち、とある村にやってきた神官様は、もう日も暮れかかっていたので、村の中でもいっとう裕福そうな家へ赴いて、一晩の宿を借りようとしたのでございます」
紙芝居の場面が切り替わる。
語りでは明言されていないが、その描かれた絵を見る限り、どうやら神官は女性のようだ。
神官服に身を包み、まるで聖女か聖母を思わせるような穏やかな笑みを浮かべた人物が描かれている。
「神官が、裕福そうな家の前で家人を呼ぼうとした時。
ちょうどその家に仕える下男達が、ほかの村人とともに野良仕事から戻ってまいりました。
そして、神官の姿をみるや、みるみるうちに顔を青ざめさせ騒ぎ出したのです。
化け物だ!!化け物が山からおりてきた!!
そうして蜘蛛の子を散らすようにして、下男と村人達は逃げ惑ったのでございます。
さて、これに驚いたのは神官でした。
まさか化け物に見間違えられるとは、これまでになかったからでございます。
どうしたものかと戸惑っていると、家の主人らしき割腹のいい男性が凶悪そうな鉈を手に出てきました。
そして、戸惑いはそのままに敵意も害意もなく、どこかおだやかな雰囲気で佇んでいる神官をみるや毒気を抜かれ手にしていた鉈を下ろしたのでした。
神官はすかさず、自分のことを説明しました。
旅の愚僧が、一夜の宿を借りようとしただけでございます。
強盗でも妖の類でもございません。
どうぞ安心召されよ。
すると、主人は平身低頭謝って、すぐに神官を家に招いたのでした。
そして、食事と寝床の用意をしました。
食事の席で、家の主人は先程の無礼な騒ぎについてもう一度謝罪し、いまこの村に何が起きているのか、話したのでございます」
初っ端からの急展開に、側室たちは物語に呑まれていた。
あろうことか、徳の高い神官を化け物呼ばわりするなど、只事ではないのは確かだ。
この村に、なにか良くないことが起きている。
それを説明するのには、十分過ぎた。
「主人の話によると、この村の裏山には神官が師事したような尊い存在、とても徳の高い神官に匹敵する、信心深く敬虔な、さる貴族の御屋敷、別荘があるとの事でした。
その御屋敷には貴族の子息が住んでいるとの事でした。
子息と言っても末弟で、跡継ぎ候補からは外されている存在でした。
そんな存在でしたので、神殿に入れられて神官となるべく修行と勉学に励むほか無かったのでございます。
かつては、神官と同じく修行に明け暮れ徳を積んだ、その貴族の子弟は神官の資格を得ると、この村にやって来て屋敷と教会を建て慎ましやかに暮らし始めたとのことでした。
村人たちとの仲も良好で、なんだったら村娘たちがこぞってその子弟の世話をやいたとのことでした。
それが、去年の春先のことでした。
大きなため息を吐いて、家の主人が言います。
大きな町で、神官様同士の勉強会に参加したのですが、その時小間使いとして一人の少年を連れて帰ってきたのです。
その少年、たいそう見目がよく、いえ、それだけではなくよく働き、性格は明るく我々村人との仲も良好でした。
穏やかに、楽しく一年が過ぎ去りました。
山の神官様(貴族の末弟のこと)も、ますます修行に明け暮れ、この村の発展を神に祈ってくださいました。
そして、そう一年後、つまりは今年の春先のことでした。
その小間使いの少年が体調を崩し、亡くなってしまったのでございます。
まぁ。
それは、お悔やみ申し上げます。
思わず、神官が悲痛な表情を浮かべました。
小間使いの少年のことを話す、家の主人の優しい口調に本当に誰からも愛されていたのだな、とわかってしまったからです。
たとえ一年とはいえ、そのような存在と過ごしたのだから、亡くなったらどれほどの衝撃があり、悲しみに襲われたことだろうと察してしまったのでございます。
ええ、本当に、可愛そうなことをしました。
私共も、もっとよく気をつけていれば良かったのです。
と言うと??
いえ、その小間使いの少年は、お恥ずかしい話なのですが村娘の一人に毒殺されたのでございます」
家の主人から飛び出た【毒殺】という言葉に、話に集中していた側室たちが息を飲む。
というのも、多かれ少なかれそういうものが存在し、あるいはその犠牲になるような場所に彼女たちは身を置いているからだ。
決して他人事とは思えなかったのである。
「家の主人の話を聞いて、神官は胸を痛めました。
家の主人の話は続きます。
小間使いの少年は、お世話をしていた村娘達の誰よりも山の神官様に寵愛されていたのです。
そのため、山の神官様をことさらに深く慕っていた村娘が嫉妬に狂い、そのような暴挙に出たのでございます。
その娘の外道な所業はしかし、小間使いの少年と仲の良かった別の村娘の告発により発覚しました。
毒殺犯となった娘は村人達に捕らえられ、
そこで、家の主人は言葉をきりさめざめと泣いたのです。
そして、続けました。
翌日には役人に引き渡す予定でした。
しかし、牢屋代わりに閉じ込めておいた蔵の中で、その娘は見るも無惨な姿で発見されたのです。
まるで獣に食い散らかされでもしたかのようでした。
いえ、実際には食われてはいませんでした。
それくらい、ひどい有様だったのです。
下手人は、わかりませんでした。
この日からでしょうか、山の神官様の心は乱れ、迷い始めたのです。
小間使いの少年を火葬にも土葬にもせず、ずっとそばに置き、まるで生きていた頃のように話しかけるようになったのです。
我々も、それでは少年が神のみもとに行けない、早く弔うよう言葉と心を尽くしました。
ですが、冷たくなった小間使いの少年を抱きしめ、笑い、なにを言っているのだ、と聞き入れて貰えませんでした。
ですが、人の体というものは朽ちるものです。
小間使いの少年の体も、その例にもれませんでした。
冷たくなった体は、やがて腐ってグズグズに崩れ始めたのでございます。
それをあろうことか、いえ、食事の席でする話ではございませんでした。
すでに神官は食事を終えて、家の主人の話に真剣に耳を傾けていたところでございました。
しかし、家の主人もさすがにはばかられる話題だと気づいて、言葉を切ったのです。
神官は安心させる声音で言いました。
構いません、続けてください。
ですが。
話すことで、心が軽くなることもございましょう。
そうして貴方様の心労が幾分か和らげられるのなら、それに越したことはありません。
家の主人は、神官の言葉に甘えることにしました」
そこで、ナターシャも紅茶を一口。
喉を潤して、続けた。
側室たちは、話の続きに意識を集中させる。
不穏なことを山の神官はしたのだ。
それを悟ってしまう程度には、彼女たちも物語に親しんでいた。
集中し、緊張し、彼女たちは物語の続きをまつ。
「山の神官様は、あろうことか小間使いの少年の、グズグズに腐った肉を啜り、骨を舐め、しゃぶり、ついには食い尽くしてしまったのでございます」
さすがに図書室のラインナップを読んできていたからだろう。
いつぞやのカタリーナの茶会の時のように、取り乱す者はいなかった。
顔を青ざめさせ、嫌悪感を顕にする者は居たものの、とくに語りをやめろという野次も飛んでこなかった。
そのことに安堵して、ナターシャは続けた。
「村娘たちも、さすがにその光景に恐れをなして屋敷に近づかなくなりました。
そうして、山の神官様は化け物へと堕ちてしまったのでございます。
それからというもの、時折、化け物となった山の神官様は村に降りてきては人を襲い、あるいは墓を暴き、暴いた墓の死肉を食らうようになったのでございます。
それだけではございません。
暴れながら、死肉を喰らいながら山の神官様はそれはそれは悲痛な声で小間使いの少年の名を呼ぶのです。
まるで、呼んだらまた彼がひょっこり現れてくれるのを信じているかのように。
そうして、こう続けるのです。
愛している、愛している、だから意地悪をせずに出てきておくれ、と。
そんな事情がありまして、うちの下男や村人たちは旅の神官様を、化け物と成り果てた山の神官様と見間違えてしまった次第なのでございます。
どうかお許しください。
そういって、家の主人はまたさめざめと泣いたのでした。
あまりにも変わり果ててしまった、山の神官の姿を思い出して泣くのでした。
村の者は皆、怯えて暮らしております。
かつては楽園というものがあるなら、こんな穏やかな日々が続き皆が皆仲睦まじく暮らす、私たちの村こそがそうなのだと信じておりました。
ですが、今や悪魔が住まい、鬼がうろつくといわれる地獄に変じてしまったかのようです。
家の主人の言葉に、神官は酷く胸を痛めました。
そして、こう語りかけたのです。
古来より、憎しみや嫉妬、あるいは執着で心のみならずその身すら化け物に転じさせてしまう逸話はとても多いのです。
私が各地を旅して聞き及んだところによれば、とある国では美に執着したやんごとなき身分の女性が、生娘を拷問しその生き血をすする存在となった話があります。
また別の国では、夫に手酷い裏切りにあい、その心労がもとで亡くなった後、夫とその愛人に害をなした怨霊の話がございます。
はたまた別の国の話では、やはり嫉妬に狂って蛇や邪龍に転じた女性の話があるのです。
私が言うのもなんですが、しかしながらこれらは、感情に振り回されるとされる女性の話ばかり。
男性の話は、海の向こう、東の果てにある島国で作られた物語でそう言ったものがあると伝え聞いたことがございます。
この男性の話も、そもそもは嫉妬が原因で虎へと姿を変えたとか。
いずれにしても、こうして魔性へと姿を変えるのはほとんどが、憎しみや嫉妬といった感情からです。
この村を長く悩ませている、その山の神官様は愛しい者の死が引き金となり、その嘆きと悲しみ故に化け物へと転じてしまったように思います。
ましてや、下手人はすでに死んでいる。
となると、一体何が彼を魔物にまで落としたのか。
不思議でなりません。
しかし、村の者に慕われおり修行にも勉強にも励んでいたところをきくに、とても純粋な方だろうと思われます。
そしてなによりも一途だった。
一途だからこそ、その小間使いの少年の死を受け入れられず
だからこそ谷よりも深く嘆き悲しみ、少年への愛を叫びながらいつまでも彼を探しさ迷っているのでしょう。
もしかしたら、その少年への愛ゆえに化け物へと姿を変えてしまったのでしょう。
己がすでにその少年を求め、跡形もなく喰らったことにも気づかずに」
長い長い旅の神官のセリフを言い終えると、ナターシャはまた一口紅茶を口にした。
話を聞いている側室たちは、みんな押し黙っていた。
愛する者が亡くなる。
それも、理不尽な理由で。
そして、それ故に、その愛が深すぎる故に狂ってしまった男の物語。
ナターシャは思う。
そもそもこの物語の主人公は誰なのだろう?
旅の神官だろうか?
それとも愛する者を亡くした山の神官だろうか?
もしくは、愛ゆえに狂い化け物になった山の神官に苦しめられる村人だろうか?
それとも……。
ナターシャはいつもこの話に触れる度、山の神官が少年の愛を叫ぶ場面で妙な声が聞こえていた。
山の神官は【愛している】と叫んでいるのに、何故かどこからともなく聞こえてくる声は【愛して】、もしくは【愛が欲しい】と叫ぶのだ。
狂おしい程、愛を求めている声の主はわからない。
男か女かもわからない。
とにかく、中性的な声なのだ。
ただ、いつもその声は泣き叫んでいた。
【愛が欲しい】
【愛されたい】
【愛して】
【愛して】
【愛して】
そう叫んでいた。
そもそも、こんな話を誰かにしたことは1度もない。
話したところで、ナターシャの頭がどうにかなったと思われるのが関の山だ。
これが、この紙芝居が曰く付きとされる理由だった。
とはいえ、幸か不幸かこの泣き叫ぶ声が聞こえるのはナターシャだけだ。
それに、話し終えさえすれば声は聞こえなくなるのだ。
側室たちは、はたして誰に感情移入をしているのだろう。
「家の主人も、神官もただ無言でした。
しばらくして、神官がこう提案しました。
しかしながら、この村の現状を見て見ぬふりもできません。
ご主人、差し出がましい申し出ではありますが、私でよければ力になりましょう。
家の主人は気色ばんで、それに返します。
本当ですか?!
もちろん。
出来ることなら、山の神官を正気に戻し、心をお導きし、この一宿一飯の恩に報いたいと存じます。
家の主人は泣いて喜びました。
そして、テーブルに頭を擦り付け、何度も何度も早すぎる礼を口にしたのでした。
神官の中に退治という選択肢もありましたが、それは最後の手段でした。
この村の住人たちに慕われていた頃の山の神官は、この村を楽園と呼ぶにふさわしい方向に導いていたのも事実でありました。
そのような人物を退治してしまっては惜しい、と考えたのでございます。
とはいえ、すでに人を襲い、さらに墓を暴いてその死肉を食らっているとなると、関係修復は困難だろうとも旅の神官は承知しておりました。
ただ、旅は道連れ世は情けともいいます。
ですので、山の神官の心を正気に戻すことが出来たなら、ともに修行の旅をするよう提案しようとも考えていたのです」
お人好しが過ぎる旅の神官の考えに、しかし側室たちの中に希望が芽生える。
もしやこれは、山の神官の救済エンドもあるんじゃないか、と。
ある者は紅茶で口と喉を潤し、またある者は茶菓子を上品に口に運び続きを待つ。
「さて、翌日、旅の神官はさっそく山に入りました。
獣道と変わらない屋敷への道を黙々と歩いていきます。
そして、日が沈み始めた頃、ようやくその屋敷に到着したのでした」
ここで廃墟同然の屋敷の絵に変わる。
どうやら、礼拝堂が屋敷と並んで建てられているようだ。
「屋敷とそれに並ぶ形で礼拝堂がありましたが、どこもかしこも壊れ崩れ、蜘蛛の巣があちこちを覆っております。
旅の神官が屋敷へ声を掛けました。
ごめんください!
ごめんくださいまし!!
しばらく待つと、屋敷の奥からフラフラと青年がひとり出てきました。
青年の目は落ちくぼみ、頬はガリガリにこけ、なによりもこの世の全てに疲れたような空気を纏っておりました。
この青年こそが、山の神官その人でした。
旅の神官は山の神官に、挨拶をし、自己紹介をしました。
旅の愚僧でございます。
すみませんが、今宵一晩の宿をお借りしたい。
旅の神官の言葉に、山の神官が答えます。
見ての通り、ここは廃墟同然、野っ原同然の場所です。
もてなすどころか、その準備すら覚束無い。
このような場所に泊まるなどきっと悪いことが起こります。
麓には村があります。
そちらで宿を求められて如何か。
旅の神官が答えます。
すでに日が沈み、夜も近い。
このような闇の中で山の中を歩くのは、困難でしょう。
お願いします。
山の神官にも思うところがあったのか、すぐに返しました。
先程も申したように、ここに人を泊める支度などありません。
引き留めはしませんが、無理に追い出すこともしません。
寝泊まりするなら、礼拝堂がまだマシでしょうから、そちらを利用してください。
旅の神官が礼拝堂へ行くと、たしかに屋敷よりは幾分かマシでした。
外はともかく、中は埃も蜘蛛の巣もありません。
神の像はよく手入れされているのかピカピカしております。
旅の神官は、その礼拝堂でさっそく祈りを捧げました。
聞こえるのは、虫の音と木や草花が風でゆれ擦れる僅かな音ばかりでした。
世が更けてきた頃のことです。
とっくに寝たはずの山の神官が起きてきて、屋敷の中をドタバタと走り始めました。
そして、心をかき乱すような声で、今はもうどこにもいない小間使いの少年を呼び続けております。
どこにいるぅ??
どこにいるのだぁ??
出てきておくれ、出てきておくれぇぇぇええええ!!
声と足音が礼拝堂までやってきました。
そこでもバタバタと、山の神官は嘆き悲しみながら少年を呼び続けました。
この時、山の神官は旅の神官のすぐ近くを行ったり来たりしておりましたが、まるで気づきませんでした。
そして、その姿は村人が言ったように化け物そのものでした。
まるで枯れ木のような何か。
顔も口もないそれが、屋敷の中を走り、暴れ回っているのです。
化け物に変化した山の神官は、バタバタと礼拝堂の中を走りまわります。
やがて疲れ果てたのか、山の神官は倒れ、そのまま泣いて朝を迎えました。
そして、ハッとして体を起こすとすぐ近くに旅の神官がいることに気づきました。
山の神官は驚いたまま、旅の神官を見つめます。
そして、
貴方はずっとそこに居られたのか?
そう訊ねました。
おだやかに、旅の神官は頷きました。
そして、言葉をかけました。
山の神官殿。
あなたの事は村の者から聞いております。
貴方は愛するものを失い、それが原因で乱心し、鬼畜、化け物へと落ちた。
そして、その悲しみと心の穴を埋めるために、愛する者を探し、暴れ回って、墓を暴き、死肉を食らっていると。
えぇ、えぇ、おっしゃる通りです。
夜毎、私は正気を失いあの子を探すのです。
いないとわかっている。
もうどこにもいないと知っているのに。
そうして、山の神官はとつとつと己の犯した罪について語り始めたのです。
それによると、ハジマリは少年を毒殺した下手人である村娘。
その娘を怒りと憎しみから惨殺したところからでした。
そう、村娘を殺したのは山の神官でした。
あの日、村娘が捕らえられた日。
山の神官は内から溢れる憎しみと怒りを抑えられず、その身を化け物へと変化させてしまい、その感情の赴くままに下手人の娘を手にかけてしまったのです。
その後、正気に戻った山の神官でしたが、冷たくなり、動かなくなった少年を目にしたら、もう、駄目だったのです。
人としての理性が飛び、少年を在りし日のように愛でるようになってしまい、もう自分ではどうすることも出来なくなってしまったのでした。
山の神官は告白します。
彼を想う度に、私の心は狂いました。
その姿を見る度に、これからもずっと一緒にいたい。
ともに生きていたいという想いが積み重なり、とうとう人としての一線を越えてしまったのです。
山の神官は、家の主人が言ったように少年を食べ尽くしてしまったのだと告白しました。
その告白を聞いて、旅の神官は嘆きました。
なんということだ。
彼は、ちゃんと理解していたのか。
しかし化け物になる度、記憶が薄れ少年を探して悪行を繰り返しているのもまた事実でした。
山の神官は続けます。
彼は、彼だけが私の救いだったのです。
それまで、家族からも見放されていた私を認めてくれた唯一の存在でした。
そうして語られたのは、山の神官と少年の出会いでした。
なんでも、山の神官と少年は預けられた神殿で兄弟のように育ったらしいのです。
片や未来の神官候補、片や親の顔も知らず道端に倒れていたどこの馬の骨とも知れない孤児。
そんな立ち位置でしたが、二人の仲はとても睦まじかったのでございます。
やがて、人生の岐路が二人を離れ離れにしました。
ですが、神様はときに粋な運命を用意してくれました。
そう、二人は再会を果たしたのです。
それが、家の主人が言っていた神官同士の勉強会でした。
そこで再会した二人が、ともに暮らそうと話が進むのはそこまで不思議なことではありませんでした。
山の神官も、少年も、家族が欲しかったのです。
立場は違えど似た境遇だったというのも、二人の繋がりを強固にしたのでしょう。
あの子がいたから、ここまで来れたのです。
あの子がいたから、辛く厳しい修行と勉学にも身が入りました。
ですが、あの子がいなくなってから私の中にはぽっかりと穴があきました。
苦しいのです。
あの子のいる天国にはもはや行けません。
私は罪を犯したのですから。
ですが、あの子を失った世界は、私にとっては地獄も同然。
この地獄を早く終わらせたい。
しかし、私は自分で命を絶つことすらできない臆病者なのです。
旅の神官は考えました。
そして、こう訊ねました。
改心する気はありますか?
また神に仕え、亡くした愛するものと、貴方が手に掛けた者。
それらの魂の平穏を神に祈る気はありますか?
山の神官は答えます。
もちろんです。
この浅ましくも卑しい心を何とかしたい。
守れなかったあの子と、私が怒りに任せて命を奪ってしまった娘。
許されることは決してないだろう。
だが、その二人の魂の平穏を、心の底から神に祈ることが出来るなら。
その方法があるのなら、是非ともお教えいただきたい。
旅の神官は、やはり穏やかな笑みを湛えました。
そして、神の像の前に山の神官を座らせると、とある言葉を教えました。
いいですか?
この言葉を繰り返し、繰り返し唱え、神に祈るのです。
そして、この言葉の意味を考えなさい。
貴方なりの答えが出たら、また神が導いてくれることでしょう。
旅の共にすることを、神官はすっぱりと諦めていました。
彼には彼の役目があると悟ったからです。
神官は村に戻り、そしてまた旅立ちました。
そして、さらに1年ほどが経過しました。
旅の神官は、また村に寄り、以前泊めてくれた家に向かいます。
家に着くと、家の主人が出てきて旅の神官を歓迎してくれました。
神官様のお陰で、あれから化け物が山を降りてくることもなくなり、平和そのものです。
村の皆も、また楽園に戻ったと大喜びです。
家の主人がニコニコと笑顔でそう説明してくれました。
旅の神官は訊ねました。
山の神官がどうなったか、知るものはおりますか?
家の主人が首を横に振りました。
やはり山に入るのは恐ろしいですから。
死んでいるのか生きているのか、誰にもわかりません。
ですが、恐らくすでに、神のみもとに旅立たれたのではないのでしょうか。
そうですか。
どちらにせよ、様子を見に行くつもりでした。
旅立たれたのなら弔いを。
存命であるのなら、彼を導くのが私の役目となりましょう。
旅の神官の言葉に、家の主人は大変感謝しました。
そして、同行を申し出たのです。
やはり親しくしていた存在です。
そして、家の主人は山の神官にとても同情していたのです。
せめて、墓くらい立ててやりたい。
そう考えていたのでした。
二人は山を登り、あの廃墟同然の建物までやってきました。
それまでの道のりは、この1年で人の行き来が途絶えたからか、草が生い茂り獣道まで消えている始末でした。
屋敷も、今にも崩れそうです。
礼拝堂はそれでもまだ大丈夫そうでした。
中を確認すると、かつて山の神官を座らせた場所に影のようなものがありました。
近づいて確認すると、それはか細い声で何かをブツブツと唱えておりました。
それは、一年前旅の神官が唱えるよう伝えた言葉でした。
静かに、旅の神官は彼の隣に膝をつき祈りを捧げ、印を結んだ後問いかけました。
優しく、問いかけました。
答えはでましたか?
影がハッとして神の像を見上げました。
そして、キラキラと光の粒子になって消えてしまいました。
後には、山の神官の骨が残されていたとのことです。
その後、村人の懇願もあり、その屋敷と礼拝堂は旅の神官に引き継がれ、村人によって清められ修理されました。
そして、尊く末永く村は栄えたとのこことです。
おしまい」
村は救われ、山の神官も救済された一応のハッピーエンドに、疎らに拍手がされる。
そして、念の為に、とナターシャが解説した。
「作中ではあえてカットされているのですが、旅の神官が山の神官に教えた言葉。
これは、【江月照らして松風吹く、永夜清宵、何の為す所ぞ】という言葉でした。
その意味は、いろんな解釈があるとのことです。
でも、図書室にも本があるので調べてみるのも面白いかもしれませんね」
別にわざわざ本をみなくても、もしかしたらわかっている側室の方が多いかもしれない。
なぜなら、彼女たちはそういった教養も叩き込まれてきているはずだからだ。
そして、気づくとあの声は聞こえなくなっていた。
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