第11話 森番の声比べ
「勝負事の怖い話、ですか?」
いつぞやの肝の座った侍女が、聞いてきた。
リリア付きの侍女である。
「なんでまたそんな話を?」
聞かれたナターシャはと言えば、陰惨な殺人事件を題材にしたミステリ小説から視線を上げて聞き返した。
ちなみに、読んでいた場面は第一のバラバラ殺人が起きたところだったりする。
続きが気になりつつも、ナターシャは侍女の答えを待った。
場所は後宮に設置された図書室である。
他の読書好きの妃たちも何人か、優雅に本を楽しんでいる。
「ナターシャ様の話は結構有名なんですよ。
で、同僚と話題にした時、誰かがこう言ったんです。
『あれだけお話のレパートリーがあるのだもの。
騎士の決闘の物語のようなお話もあるんじゃないかしら?』って。
それをたまたまリリア様に聞かれていたらしくて。
リリア様がナターシャ様に確認してきてって言ったんです
それで、ここに来た次第です」
勿論、これはリリアの命令という大義名分が大きい。
仕事として堂々と、ナターシャに訊くことが出来る。
先日、私的な指名とはいえナターシャはルファ―ドリオンのもてなしを命じられ、それを見事果たした。
それもあって彼女の価値、評価は側室達の中でも上がりつつある。
それを快く思っていない者もいるが、今のところ王の渡りが一度だけ、それもほんの小一時間だったこともあり、本格的な排除対象にはなっていない。
むしろ、侍女と仲がいいということで馬鹿にしている姫もいるくらいだ。
「なるほど」
ナターシャは読んでいた本を閉じる。
栞を挟んでおくのも忘れない。
しばし、思考にふける。
やがて、肝の据わった侍女を見つめて、言った。
「いくつかありますね」
「あるんだ」
ナターシャの言葉に、思わず素で侍女は呟いた。
すぐにハッとして口を手でおさえ、ナターシャに頭を下げ、許しを請う。
侍女にとってここは職場である。
彼女にとってメインの主はアザリーナだが、ナターシャだって仕えるべき貴人であるのは変わらない。
そんなナターシャに友人にするかのような言葉を投げてしまったのだ。
妃によっては激しい折檻だってありうる。
もちろん、ナターシャの気性からして折檻等は考えられないが、何かしらお咎めがあったとしても不思議ではないのだ。
例えば、罰としてお給金を少し減らされるとか。
「気にしていないので、大丈夫ですよ。
失敗は誰にでもありますし。
さすがに頻度が高くなったら考えますけどね」
ナターシャもその辺は弁えていた。
しかし、失敗は誰にでもある。
噂に聞く他の令嬢のような激しい叱咤はしたくない。
だが、だからと言ってそれを許していては、示しがつかなくなる。
なので、ナターシャは軽く釘をさすにとどめておくだけにした。
さて、基本黙読がマナーの図書室である。
なるべく声を潜めてはいたが、他の妃たちにもこの会話は聞こえていたようだ。
幸いと言うべきか、そんな二人のやり取りを攻撃するような妃はいなかった。
彼女たちは、ナターシャにはいくらか好意的な妃たちであった。
むしろ、彼女の語るお話のファンでもあった。
リリアと同じである。
だから、視線はそのまま本に向けていたが、耳はナターシャと肝の据わった侍女のやり取りに集中させていた。
「話を戻しますね。
結論から言うとありますよ。
怪異、あるいはお化けと勝負をするお話。
知恵比べ、根競べ、声比べ」
ナターシャが指折り数えて話の種類を説明する。
すると、脇に控えていたナターシャの侍女と肝の据わった侍女が不思議そうに顔を見合わせた。
「どうかしましたか?」
ナターシャが侍女の表情の変化に気づき、訊ねる。
リリア付きの肝の据わった侍女が口を開いた。
「えっと、知恵比べと根競べってのはなんとなく想像つくんですけど。
声比べってなんですか?
お化けと歌を歌って勝負するんですか?」
勝負方法が意外すぎたようだ。
たしかに、これまで巷で流布されていたのは、知恵を使ってピンチを切り抜ける物語だ。
根競べも、物語としてはではなく、我慢比べというゲームがあるし想像しやすいのだろう。
しかし、声比べというとなるほどたしかに想像は出来ても、聞きなじみのない勝負事だ。
ナターシャが声比べについて説明しようとした時、
「ほほぅ、中々どうして、ふむ」
そんな聞き覚えのある声が届いた。
ルファ―ドリオンだった。
大国の姫の登場に、室内がざわめく。
身分的にもルファードリオンが上のため、ナターシャ含めた妃たち、そして妃のお付の侍女たちが畏まって頭を下げる。
しかし、それをルファードリオンはやめさせた。
「よいよい。そんな畏まるな。
皆、好きに過ごせ。
妾は、この珍しい場所を見物に来ただけなのだから」
おそらく、気まぐれにここに寄ることを決めたのだろう。
そうでなければ、朝のうちに連絡が回ってきたはずである。
話題、と聞いてナターシャは首を傾げた。
戸惑いつつも、ほかの妃達はその言葉に甘えることにした。
しかし、ナターシャだけはずっと不思議そうにしていた。
たしかに、後宮という場所で考えれば図書室といういものは珍しいかもしれない。
しかし、図書室あるいは図書館という括りで考えたなら、さほど特別なものではないと思ったのだ。
そんなナターシャとルファードリオンの視線がかち合った。
「おや、ここの主もおったか。
これは好都合だ」
どうやら、ルファードリオンの中ではナターシャが図書室の主人となっているらしかった。
アザリーナが居なくてよかった。
もし居たら、ルファードリオンの他愛ない言葉遊びでしか無かったとしても、とても気まずいことになっていたに違いない。
ナターシャの侍女とリリアの肝の据わった侍女は、脇に控える。
と、そこで気づいた。
この肝の据わった侍女は、何故リリアの下に帰らないのだろうか?
すでに彼女の要件は済んでいる。
ルファ―ドリオンがいる手前、勝手に退出出来ないことに気づくまで少々時間がかかった。
しかし、そんなことに気を回さないのが上流階級である。
ナターシャとしては、早々にリリアの侍女を返してやりたかった。
おそらく侍女からの報告を聞いたら、すぐに彼女はお茶会の準備を始めるだろう。
それを予想出来てしまうからこそ、ナターシャとしても割り当てられた自室に戻り、話題にした紙芝居を探し出して、練習をしたかった。
しかし、目上の者――ルファ―ドリオンがいるとそうはいかない。
「好都合、ですか?」
「うむ。
この前は口頭での語り聞かせであったであろう?
あとで手紙を書こうと思ったのだが、いま伝えた方がその手間が省けるのでな。
丁度いいと思った次第よ」
そう前置きをして、ルファ―ドリオンは今度はぜひ紙芝居を見てみたいと言い出した。
日取りなどはこちらに任せるとのことだった。
それから、ルファ―ドリオンは本を選びにその場を離れる。
彼女が本棚の間に消えるのを見計らってから、肝の据わった侍女がナターシャに囁いた。
「リリア様もお茶会の準備をされると思うので、重ならないようにしてくださいね」
もういっそのこと、一緒にしてしまえばいいかもしれない、とナターシャは思ったが、すぐに考えを改めた。
それはそれですごく気をつかいそうだからだ。
しかし、数日後、この考えは現実となる。
リリアが動いたのだ。
後日、リリアから正式にお茶会の案内が届いた。
暗黙の了解、というわけではないがナターシャは先日リリアの侍女に話した紙芝居を持参して、そのお茶会に赴いた。
すると、なんということだろう。
ルファ―ドリオンも出席していたのである。
リリアが説明するところによると、何でも侍女から話を聞いたリリア自身がルファ―ドリオンをお茶会に誘ったというのだ。
勿論、根回しをした上で。
(つくづく、私には不相応な場所ですよねぇ)
根回しだの、政治的な立ち回りだの、ナターシャにはとてもではないが出来ない。
できるのは、こうしてミズキの語ったお話を、別の誰かへ伝えることくらいだ。
挨拶もそこそこに、ナターシャは紙芝居を設置する。
侍女たちも慣れたもので、てきぱきと準備を手伝ってくれた。
ナターシャのすぐそばに小さなテーブルと、紅茶を置くのも忘れていない。
その間、作品について和気あいあいとリリアとルファ―ドリオンは話していた。
旧知の仲のように親し気である。
「それでは、【森番の声比べ】を始めさせていただきます」
準備が整い、ナターシャが宣言する。
すると、ルファ―ドリオンとリリアがこちらに視線を向けてくる。
キラキラとしたその瞳は、時折慰問で訪れる施設の子供たちと同じ色をしていた。
それもそのはずで、この話、実はミズキが男爵領に来てから作ったものだったのだ。
つまり、この二人は知らない話なのである。
「昔々、男爵領のとある深い深い山奥に、その森番の小屋はありました。
森番、というのは貴族の方々が狩をするための森を管理する管理人のことでございます。
それは、何の変哲もない夜のことでございました。
森番の男がその日の仕事を終え、スヤスヤと眠っていた時のことです」
タイトルの紙が外され、中年くらいの男の絵が現れる。
事前に説明があったとおり、眠りこけている絵だ。
「窓を開けていたため、そこから吹いた風によって小屋の中、壁に立て掛けていた楽器が倒れ、倒れたその音によって男は目を覚ましました」
絵が変わる。
そこには、簡略化された弦楽器が描かれていた。
続いて楽器の説明が入る。
「この弦楽器は、数日前にとある旅の詩人を一泊の宿としてこの小屋に泊めた際、そのお礼として置いていったものでした。
楽器などという洒落たものなど1度も触ったことの無い森番は、それでも楽器というものがとても高価なものであるということは知っておりました。
さすがに、こんな高価なものは受け取れないと渋る森番に、それこそ売って酒代の足しにしてくれと詩人は無理やり置いていったのでした。
詩人はご丁寧にも、簡単に弾き方を教えていってもくれました。
なにしろ、男の他に森番はいなかったのです。
当時の男爵家では森番は一人を雇うのがせいぜいでした。
一人の時間の慰めくらいにはなるか、と森番はすっかり目が覚めてしまったということもあり、詩人に教えてもらった通りに、その弦楽器を弾いてみました。
びろん、ぼろん、ぼろろん、ボヤヤーン、とそれはそれは酷い音が鳴りました。
まるで人の叫び声のようです。
俺には楽器を奏でる才能は、
苦笑しつつ、男は呟くと楽器を脇において、次の休息日にでも街で売ってこよう。いや、旦那様に差し上げるというのもアリかもしれない。
そんなことを考えながら、また眠りにつきました。
どれくらい時が経った頃でしょう。
…………っ!!
なにやら呼び声のようなものが、小屋の外から聞こえてきました。
男は目を擦り、欠伸を一つすると、つい返事をしてしまいました。
夜更けの来客は珍しいといえば珍しいですが、旅の者が宿を求めてやってくるのは度々あったので、そこまでおかしいとは考えなかったのでございます。
そんなものですから、この時もてっきり道に迷うかした旅人がこの小屋を見つけて、やってきたのだろうと男は思ったのでございます。
はいはい。今開けますよって」
また絵が変わる。
今度は男が小屋の戸を開けて、外を見ている絵だ。
外には闇が広がるばかりで誰も描かれていない。
その様子を、リリアや侍女たちが興味深げに見、聞き入っている。
一方、ルファードリオンはさりげなく周囲へ視線を走らせていた。
その間にも、ナターシャの語りは続く。
「男が小屋の戸を開けました。
しかし、不思議なことに誰もいません。
風の音でも聞き間違えたか?
男は不思議に思いながらも戸を閉めました。
すると、
ヤイっ!」
おそらく、それが話の中に出てきた呼び声だったのだろう。
まるで嗄れた、老婆のような声。
しかし、ただの老婆の声ではない。
おぞましく、背筋がゾクゾクするとても嫌な声だった。
そのため、
「ひぃっ?!」
誰かがそんな悲鳴を漏らした。
リリアですら、ビクッと体を震わせてしまった。
だが、ルファードリオンは実に楽しそうにしている。
反応はそんな感じで様々だが、ナターシャは気にした風もなくいつも通り紙芝居を続ける。
「またも、声が聞こえたのです。
今度ははっきりと。
男はまたも、はい、と返事をしてしまいました。
それに答えるかのように、小屋の中から声が聞こえてきます。
男は薄気味悪く感じつつも、まるで操られるかのようにその声に返します。
おかしいぞ?
変だぞ?
そう気づいた時、またも声が響きました。
今度は、小屋の外、開けておいた窓からでした。
ふと、そちらを見た男は、あまりの恐ろしさに腰を抜かしてしまいました。
なんと、そこには、不気味な笑顔を浮かべ小屋の中を覗き込む鬼女の顔があったのです」
また絵が変わった。
今度は、世にもおぞましい鬼女のドアップの絵が現れる。
心做しか、ただの絵だと言うのに目がぎょろぎょろと動き、口元もニタァっと弧を描くように動いた。
これによって、場の空気が凍ってしまった。
しかし、やっぱり気にせずナターシャは物語を続ける。
「わわっ?!
驚く男にお構いなく、鬼女がまた、
ヤイッ!
と声を掛けました。
これは、鬼女との声比べ勝負でした。
知らず知らずのうちに森番の男は、この勝負に引っかかっていたのです。
この鬼女との勝負に負けると、食い殺されてしまうのです。
男もそのことは知っておりましたから、必死に手をあわせ、神に祈りつつ声を返します。
やいっ!
はい!
やーいっ!!
はい!!
やい!!
はい!!
いつ終わるともわからない勝負です。
ましてや相手は化け物。男は人間でした。
なので、鬼女は疲れ知らずで声を上げ続けておりましたが、男はというと既に喉はカラカラで、もうあと一つ二つ声を上げれば負けてしまうのは確実でした。
鬼女もそれをわかっているのでしょう。
余裕綽々で、ヤイッ! と声を上げます。
あぁ、もうダメだ。
男が諦めかけた時でした。
男の目に、それが飛び込んできたのです。
同時に、妙案が浮かびました。
男は、最後の力を振り絞って鬼女に声を返し、すぐにそれを手に取りました。
男の目に飛び込み、手にしたもの、それはあの弦楽器でした。
鬼女がこれで最後とばかりに、嬉しそうに声を上げました。
その鬼女のよびかけに男は、弦楽器を指で鳴らして答えました。
声の代わりです。
ベロロンっ!
?!
鬼女が戸惑いました。
しかし、負けじと鬼女は何度目かになるかわからない声を上げました。
ヤイッ!?
ボロンっ!
ヤイッ!
ボロロンっ!
森番の男は必死になって、弦楽器を鳴らし続けました。
どれくらいそうしていたでしょう。
いつの間にか鬼女は消えており、鬼女が顔をのぞかせていた窓からは暖かな陽の光が差し込んでいたのでした。
そのことにホッとして、男は倒れました。
ふと見ると、夜通し楽器を鳴らしていたせいで爪は剥げ、楽器は血まみれになっておりました。
遅れて、その痛みがやってきて、ようやく男は生き残ったのだ、と実感したのでした。
おしまい」
ふーっと、ナターシャが満足そうに語り終えて、観客達を見た。
すると、まさに死屍累々だった。
鬼女の登場の場面で、その場のほぼ全員が度肝を抜かれ、白目を向いて座ったまま、あるいは立ったまま気絶していた。
それはリリアも、あの肝の据わった侍女も同じであった。
ルファードリオンはというと、笑顔のまま気絶していた。
「ありゃま、仕掛け紙芝居だって言っておけばよかったですね」
ナターシャは全く悪びれず、紙芝居を見つめながらそんなことを呟いた。
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