第5話 鏡占い

 茶菓子のチョコレートを口にする。

 口の中にほろ苦くも甘い、絶妙な味が広がる。

 【鏡占い】を語る前のちょっとした休憩である。


 「しかし、よく暗記してらっしゃいますね」


 関心したようにナターシャへ言ったのは、アザリーナの侍女だった。

 本来なら、黙々と仕事をこなす彼女だが、茶会の主催であるアザリーナからも、ナターシャが気負わないようフォローしてくれとの指示があったので話しかけた。


 「そうですか?」


 「そうですよ」


 侍女の返しに女官も、うんうん頷いている。

 女官の方は元々寡黙な人なので、必要以上に言葉を口にしなかった。

 その代わり、今のように態度で意思表示をしてくる。


 「普通、あのような話をする際は、読み聞かせになるので本を手にして語るものです。

 ですが、ナターシャ様はスラスラと、まるで詩でも諳んじるように語っているではないですか」


 「あー、それは多分、姉、友人のお陰かな、と」


 というか、ナターシャは特に気に入った物語もそうだが、伝説の宮廷詩人タリエシンの詩なら全て暗記している。

 記憶力だけはよかったりするのだ。

 そこで食いついて来たのは、アザリーナだった。

 

 「お姉様、あぁ、男爵夫人のミズキね。

 彼女のことは、よく覚えているわ。

 えぇ、それはもう」


 やたらニコニコして言われてしまう。


 「こう言ってはなんだけど、貴方を後宮に迎えるきっかけを作った人物ですしねぇ」


 アザリーナの言葉に侍女もだが、何故か女官も頬を赤らめた。

 どうやら彼女達も、ミズキが王都にいた頃にもやっていた紙芝居の夜公演、その元客のようだった。


 「後宮内の図書室も本が充実しましたしね」


 侍女が興奮気味に言った。

 どうやら、あのピンク区画(便宜上、ナターシャが勝手にそう呼んでいる)もとい、棚は後宮に住む他の妃達だけでなく女性従業員にも好評のようだ。


 (……充実していいんでしょうか?)


 若い人を中心に好評のようだが、女官長など年老いて頭の硬い者達にはひどく目の敵にされてるコーナーだ。

 何しろ、その棚の手入れはナターシャとナターシャ付きの侍女がやっているくらいだ。

 アザリーナと対立している、第二妃のカタリーナとその取り巻き令嬢達からも嫌われているナターシャだが、年老いた女官長達からも、余計な物を持ち込んだ令嬢として嫌われていた。

 それこそ、おとぎ話に出てくる、人を堕落させる悪魔とでも思われているかもしれない。

 まぁ、思われたところでナターシャは痛くも痒くもないのだが。

 それこそ、穢れなき最初の女に知恵の実を食べさせた蛇と思われていそうだ。

 それならそれで、なかなかカッコいいと思ってしまうのがナターシャだった。


 「皆様が楽しんでいるのならいいんですが」


 ふと、ナターシャがそんなことを口にした。

 すると、


 「それはもう!!」


 侍女が力強く頷いて肯定しいてくる。

 どうやら、数少ない娯楽としてかなりあのピンクのコーナーは重宝されているらしい。


 「それなら良かったです」


 そんな雑談を交えつつ、ナターシャは【鏡占い】を語り始めた。

 そして、語り終える。

 聞き手であるアザリーナが、ナターシャの語りを聞き終える。

 するとしばらく、何かを考えるように黙ってしまった。

 感想としては、先に話した【通う娘】より好みだったようで、短く「面白かったわ」と言ってくれた。

 そのことに、ナターシャも胸をなでおろす。

 侍女がお菓子と、お茶のお代わりを用意してくれたので、それに舌鼓をうつ。

 一仕事を終えて、お菓子とお茶を楽しんでいたナターシャへアザリーナがこんな事を言ってきた。


 「ねぇ、ナターシャ。

 少しお願いがあるんだけど」


 「……むぐっ、はい?

 お願い、ですか?」


 正室が改まって側室になんのお願いがあるというのか。

 ナターシャは不思議に思いながら聞き返した。

 

 「えぇ、この話、陛下にもしてもらえないかしら?」


 「陛下に、ですか??

 いいですけど」


 「けど?」


 「あの、こんなことをアザリーナ様に面と向かって言うのは、すごく憚られるんですけど。

 私、その、まだ一度も陛下に、その」


 さすがに言葉を選びつつ、ナターシャは自分には一度も、所謂【渡り】が無いことを伝える。

 もちろん望まれれば褥を共にする。それが仕事だからだ。

 しかし、である。

 相手が来てくれないことにはさすがにどうしようもない。

 それと、先日呼び出しをくらった時にやらかして以降、ナターシャは国王に避けられていた。

 おそらく嫌われてしまったものと考えられる。

 しかし、男爵領になにかする、ということはなかったので、必要最低限の扱いだけは保証されているのだろう。

 

 「あらぁ、そうだったの。

 仕方ない人ね、まったく」


 聞けば、後宮の主人である国王は、手を出さなくてもいいから一度は新しく入った妻の元へ渡らなければいけない、という古い古い、古すぎて化石化している決まりがあるのだとか。


 「なるほど、面談みたいなものですね」 


 それとなく職場の上司が、


 「配属されてそれなりに経つけど、どう? 慣れた??」


 と、新入りに近況を聞くのに近いのだろう。


 「いいわ、私から言っておいてあげるから。

 ナターシャ、あの人が来たら、今の話を必ずすること、いいわね?

 それと、お話の最後に貴方の義姉が口にしたという私見も必ず伝えてちょうだいな」


 「は、はぁ、わかりました」


 アザリーナの意図がさっぱり理解できずに、それでも嫌とは言えないのでナターシャはそう返したのだった。

 さて、それから数日後の夜のこと。


 「ほんとに来た」


 嫌そうな顔で、ナターシャの部屋で茶を飲む国王の姿があった。

 別にお茶が不味いわけではない。

 不覚にも情けない叫び声を上げさせられてしまった、という事実が彼にこんな顔をさせているのである。

 

 「なんだ」


 テーブルを挟んで座り、ナターシャも国王と同じように侍女が入れてくれたお茶を口にする。

 そして、その銀色の人形のような瞳を国王に向けていたのだが、不機嫌そうにそう言われる。


 「いえ、陛下って、アザリーナ様の尻に敷かれてるなぁって、思っただけです」


 ガチャン、と国王が苛立たしげにカップを置く。


 「先日といい、今日といい随分が口が達者じゃないか」


 「そうですか?

 お褒めに預かり光栄です、陛下」


 欠片も光栄に思ってない口調で、ナターシャが返す。


 「褒めてない!!」


 「そうですか、残念です」


 全然残念そうでない、やはり人形みたいな感情のこもらない声でナターシャは返す。


 「まぁ、ご多忙の陛下です。お時間を取らせても忍びないのでさっさと済ませましょうか。

 陛下もアザリーナ様からお聞きと思いますが、今宵、私が語る物語は【鏡占い】というものでございます」


 淡々と、ナターシャは物語を紡ぎ始めた。


 「これは、とある国の領主、いえ、次期領主となる予定だった男の話でございます。

 その男は女遊びが、それはそれは酷かったのでございます」


 そんな語り出しから、始まった。

 そして、じぃっと、以前とは違い、まるで汚物でも見るかのような目を、ナターシャは国王へ向ける。


 「おい、なんだその目は」


 堪らず、国王が聞く。


 「はて、目? なんのことでしょう?

 続けますね」


 とぼけるようにナターシャは返す。

 そして、宣言した通り話を続ける。


 「その男は領主の子供であったため、権力もさることながら、王都でも噂になるほどの美しい顔立ちをしておりました。

 祖父や父親はとても素晴らしい人柄であり、領民にもとても好かれていたのですが、三代目となるこの男は、なにせ女遊びが酷かったため、結婚出来ずにいました。

 しかし、次期領主という立場上、両親からも見合いを進められることもしばしば。

 けれど、女遊びの悪癖があり、さらにその悪評ばかりが立つのでなかなか縁談もまとまらなかったのでございます。

 早く身を固めて世継ぎを作って欲しい。


 良家のそれも器量良しの娘さえ娶れば、きっと息子も変わってくれるに違いない。


 男の両親は盲目的にそう信じていたのでございます」


 ここまでのナターシャの語りに、少し違和感を覚えて国王は訊ねる。


 「この前と語り方が違わないか?」


 「そうですか?」


 どうやら意識していなかったようだ。

 

 「……まだ導入ですけど、語りを止めるということは、陛下、もしかしなくても怖いんですか?」


 「怖くない!!」


 「そうですか。続けますね」


 淡々と前回と同じように、ナターシャは物語を紡いでいく。

 息子の女遊びに困った領主夫妻。

 彼らは本当に困り果て、親戚に恥を忍んで相談した。

 すると、その親戚の嫁の遠縁に、神官がいるらしく、この神官が養子として迎えた娘がまさに領主夫妻が探している嫁の条件にピッタリだというのだ。

 

 「聞けば、この娘。

 遠い先祖に、かつて魔神を倒した勇者、それに付き従ったとされる聖女がいるのだとか。

 なぜ、そのような娘が神官の元にいるのかというと、実に様々な事情が絡んでのことだったのでございます。

 この娘が生まれたばかりの頃は、両親もあり、当然実家もあり、王都でも名の知れた名家でありました。

 しかし、娘を遺して両親が事故で天国へと召されると、家も何もかもを他人にうばわれてしまったのでした。

 それを不憫に思った神官が、娘を養子として迎えたとのことです。

 一つ言えるのは、この娘、血筋も由緒あるし、なによりも義理とはいえ父親である神官によく仕え、参拝にくる客にもあたりがよく、さらによく気が利いて働き者だったのです。

 裁縫や料理もそうですが、母親代わりであるエルフの教え方が上手かったのか、算術に魔法、弓に乗馬、と教養も高かったのでございます。

 その娘の話なら信心深い領主夫妻も風の噂で耳にした事がありました。

 そのため、領主夫妻はこの話にとても喜びました。

 しかし、先方にもお伺いを立てなければなりません。

 なにしろ、それだけの器量良しです。

 もしかしたら、心に決めた人がいるかもしれません。


 さて、その話を受けたのは、娘の保護者である神官でした。

 その場には、神官の知人であり、娘の母親代わりをしてくれた森人エルフも同席しました。

 神官としても、そして母親代わりだったエルフとしても、既に十七歳となった年頃の娘が恋も知らず巫女の真似事をして人生を送ってほしくない。

 出来ることなら、可愛がってくれる家に嫁がせてやりたいと考えておりました。

 万が一にも自分たちがいなくなったらと考えて、娘が一人で食べていけるだけの教育を施してきました。

 それも事実です。

 ですが、やはり親としては娘には結婚してもらい元気な子を産んで幸せになってもらいたいと考えてしまうのが、親というものなのでしょう。

 そこへ、まさに降って湧いた縁談の話だったのです。

 神官はとても喜びました。

 しかし、母親代わりのエルフは曇り空のように浮かない顔をしております。

 縁談相手の悪い噂を、このエルフは耳にしていたのです。


 本当に大丈夫だろうか?

 たしかに、とてもいい縁談だ。

 だけど、この相手に嫁いで本当にあの子は幸せになれるのだろうか?


 それは種族としてではなく、女の勘でした。

 娘が不幸になるかもしれない、と血のつながりこそありませんでしたが、母親代わりのエルフは嫁いだ後の娘の身を案じたのです。

 そのため、神官へ提案しました。

 

 あの、失礼ですが神官様。

 一度この縁談の吉凶について占ってみてはいかがでしょうか?

 たしかにお話としては、いい話ではあります。

 ですが、万が一、ということも考えられます。


 しかし、神官はその提案を笑って却下しました。

 なおも食い下がるエルフに、神官は少しムッとして、


 せっかくの縁談だというのに、お前は嬉しくないのか?

 あの子が幸せになれるんだぞ?

 

 そう言い返してくる始末でした。

 

 ……あの、陛下、大丈夫ですか?

 まだお化けは出てきてないですよ?」


 国王がいつ驚かされてもいいように警戒しまくっていたので、ついナターシャはネタバレをしてしまう。


 「そうなのか?!」


 先日の話が話だったので、登場人物の誰かが死者かもしれないと疑っていた国王は目を丸くする。


 「そうなんですよ。

 まだ先です。

 出てきたらすぐわかるんで、そんな情けないくらいにビクビクしないでくださいよ」 


 言って、ナターシャは喉が渇いてきたのでお茶を一口、コクンと飲んだ。

 そして、


 「アザリーナ様には最後まで陛下に話すように仰せつかってますが、嫌ならやめますよ」

 

 「怖くない!!」


 「怖いか、なんて聞いてません。

 嫌かどうかを聞いてるんですけど」


 さらりと言い返されて、国王はぐぬぬと悔しそうな顔をする。

 と、そこで気づいた。

 ナターシャが着ているネグリジェに見覚えがある。

 つい先日、アザリーナが珍しく、新調したものだったはず。

 たしか、わざわざ作らせた一点ものでもあった。

 そうして、部屋のあちこちをそれとなく見る。

 他の妃たちの部屋と比べると、簡素、いや質素なのである。

 そういえば、先日他の妃たちからの訴えで彼女を呼び出した時も、ドレスではなく学生時代に着ていたらしき学園の制服で現れていた。

 あの時は気にしてはいなかったが、他の妃たちのように宝石で身を飾るとかもない。

 十分な予算は出ているはずだ。

 その予算の管理は、女官長が行っているはずだった。

 出された菓子やお茶、それらを並べている茶器も、よくよく見ればアザリーナが嫁入り道具としてもってきたものばかりだ。

 子供っぽいから、デザインが好みでなくなったから。

 たしかそんな理由で片付けられた茶器だったはずだ。


 「どうします、つづけますか?」


 この部屋の妙な違和感に、国王は何かを言おうとするがそれより先にナターシャが訊ねた。

 思わず、


 「あ、あぁ、続けてくれ」


 そう答えた。

 ナターシャは淡々と続きを語り始めた。


 「さて、どこまで話しましたっけ?

 あぁ、はい、思い出しました。


 神官は娘の幸せを願うからこそ、母親の代わりをしてくれたエルフの言葉も聞かずに快諾の返事を文に認めて、伝言役の人に渡してしまいました。

 領主夫妻としてもこの返答には大喜びでした。

 そして、あれよあれよ言う間に婚約がきまったのでございます。

 神官は元々娘の結婚に賛成していましたので、婚約が正式に決まり、あとは身辺整理をして嫁ぐだけとなりました。

 ですが娘の母親代わりであるエルフが、それでもまだ吉凶を占おうといって聞きません。

 とうとう神官は折れました。

 というよりもすでに婚約はしているのだから、どんな結果になろうと反故にはできないのです。

 なので、これはエルフを黙らせるための占いともとれました」


 部屋の違和感はともかく、語る話のところどころに男に対するトゲがある気がするが、きっと気の所為ではないだろう。

 

 「この占いですが、鏡を用いるのです。

 沢山の供物とともに描かれた魔法陣の中心に神聖な鏡を置き、吉凶を問いかけると、良き報せなら鏡が答えてくれるのですが、悪い報せ、つまり凶だとなにも答えてくれないのです。

 神官はエルフとともに、この鏡占いを行いました。

 娘には薬草を摘みにいかせたので、この場にはおりません。


 鏡よ、鏡、答えておくれ。


 神官が鏡に向かって娘の婚姻、その吉兆について問いかけました。

 草が風に揺れるか弱い音すら聞こえませんでした。


 これは不吉の証です。

 今すぐ婚約を解消すべきです。


 エルフはそう訴えました。

 しかし、聞き入れられる訳がありませんでした。

 相手は領主です。

 そしてこちらは養い親でしかないのです。

 いいえ、それだけではありません。

 娘の方もこの婚姻に乗り気なのです。

 良き縁談だ、と受け取っていたのです。

 エルフの説得も虚しく、式の日取りも決まりました。

 そして、娘は男の元に嫁いだのでした。

 娘は、嫁いでからもとてもよく働きました。

 朝は義父母より早く起きて、夜は誰よりも遅く眠りにつくのです。

 義父である領主は、実子としてこの子が生まれていたなら、と苦笑したほどでした。

 なにせ読み書きは元より、噂以上によく働き、義父母にもそうですがどうしようも無い夫にも心を尽くして仕えたのです。

 その働きぶりと優しさに、男も惹かれるものがあったのでしょう。

 しはらくは仲睦まじく、二人は過ごしておりました」


 ナターシャの語りを聞きつつ、国王はチラチラと部屋のあちこちを見る。

 まるで、子供の頃に忍び込んで遊んだ、使用人の休憩室のように生活感が無いのである。

 必要最低限の家具はある。

 身の回りの世話をする侍女だっているというのに。

 さすがに正室とは立場も身分も違う。

 予算にだって限りがある。

 しかし、これは――。


 「しかし、いつごろからか、もとより女遊びの悪い癖があった男です。

 とある高級娼婦と知り合った男は、その女のもとに通うようになり。

 事もあろうか、身受けして別宅を建ててそこに女を住まわせてしまったのです。

 それからというもの、何日も、下手をすれば一カ月近くも家に帰らないという日々が続いておりました。

 これには領主夫妻も怒り心頭でした。

 嫁にもらった娘は男の分もよく働き、そして義父母にもよく仕えてくれていました。

 だというのに、肝心の息子がこれなのです。

 そしてとうとう、領主は男を幽閉、いえ、軟禁してしまったのです。

 その世話を甲斐甲斐しく焼いていたのも、娘でございました。

 本当によく働き、嫁に入った家へ仕えてくれている娘に、義父母もそうですが領主の部下たちも同情しました。

 真心こめて尽くす娘は、憎々しいと思いながらも夫の愛人へも世話を焼きました。焼いてしまいました。

 そして、その娘の真心がようやっと届いたのでしょう。

 ある日男が、食事を運んできた娘へこんなことを言ったのです。


 今になって俺のしてきたことがたいそう馬鹿げていたことが、ようくわかった。

 それでどうだろう。

 見受けしたあの娘、マリオーネだが故郷に送ってやろうと思うんだ。


 あ、そうそう、言い忘れてましたが主人公の妻の娘の名前はアヅミって言います。

 主人公の、痛い目、痛い目なのかなぁ、あれ。

 まぁ、痛い目を見る男にも名前ありますよ」

 

 言い忘れてたんかい。

 しかも主人公にもちゃんと固有名詞があるらしい。

 というか、今後の展開をネタバレしてきた。


 「陛下は怖がりですから、ある程度ネタバレしておかないとこの手の話嫌いになるでしょう」

 

 ナターシャがそんな事を言ったものだから、国王はついムキになって返した。


 「安心しろ、元から好きじゃない!!」


 と、そこで一瞬だけナターシャの瞳が悲しそうに揺れた。

 それを見てしまった国王は、何故か罪悪感に襲われる。


 「そうですか」


 しかし、ナターシャはそう返しただけだった。


 「では、巻きで行きますね。

 この後、主人公の男は妻のアヅミの優しさにつけ込んで金を作らせ、その金を持って愛人のマリオーネとともに駆け落ちします」


 「……なんだ、そのクズは。

 一応、次期領主だったんだろう?」


 「まぁ、お話ですから。

 それで、夫の度重なる裏切りと仕打ちにガチギレして、怒りと憎しみに支配され、結果的に体を壊してしまいました」


 よく耐えたな。

 いや、女の務めと言えばそうなのかもしれない。

 

 「日に日にやせ細っていく嫁の姿に、義父母は今まで彼女がしてくれたように甲斐甲斐しく世話をやきました。

 夫に対する怒りは確かにあったアヅミでしたが、義父母の優しさには、ただただ感謝していました。

 だからこそ、余計に、自分を捨てた夫への憎しみと、その夫を奪った女への憎しみに、心と身を焼いていくのでした。



 さて、駆け落ちした二人ですが、娼婦マリオーネの故郷である隣国にまでやってきました。

 そして、そこに住むマリオ―ネの従弟を頼って、しばらく逗留することになったのでした。

 そうして気が抜けたのでしょう、マリオ―ネがはやり病に倒れてしまったのです。

 男は甲斐甲斐しく世話を焼きました。

 熱にうなされるマリオ―ネは、寝ている分にはいいのですが、時折起きては訳の分からないことを喚いて暴れるのです。

 

 そこにいる。

 おんなが、いる。

 ああああ、私を見ている。

 睨みつけている!!

 あれは、あれは??!!

 あああああああああ???????!!!!


 そんな風に喚き、暴れたかと思えば、こんどはさめざめと泣いて、徐々に弱っていき、男や従弟の介抱もむなしく七日後に亡くなってしまいました」


 ナターシャが、それはそれは恐ろしそうにあらぬ方向を指差して娼婦の役になりきる。

 あまりにリアルで、つい国王もそちらをみるが、当然何もない。


 「男は深く嘆き悲しんで、マリオ―ネを、その従弟とともに弔いました。

 そして、それから、男はまるでやる気なく過ごすようになったのです。

 それでもマリオ―ネの墓参りは欠かしませんでした。

 数日後のことです。その日も男はマリオ―ネの墓参りに来ていました。

 すると、すぐ隣に同じような不幸があったのでしょう。

 喪章をつけたエルフの女が、男と同じように墓参りをしておりました。

 手を組み、何かを報告しているのでしょう、それはとても真剣な祈りでございました。

 エルフの祈りが終わるのを見計らって、男は声をかけました。


 よほど、大切な方がお眠りになっているのしょう。


 エルフが答えます。


 えぇ、ここには私の娘が眠っております。

 知人の娘です。母親を早くに亡くしたため、私がその代わりとなり、玉のように大切に大切に育てた娘が眠っているのです。

 いい子でした。本当に、いい子だったのです。


 そういってさめざめとエルフは泣きました。

 慰めようと、男がエルフの背中に手を伸ばします。

 すると、視線を感じました。

 どこからともなく、じぃっと見つめられているような、ねっとりとした嫌な視線でした。

 その時でした。エルフが育てたという娘。

 その娘が眠っている墓石に絡みつくように抱き着き、こちらを恨めしく睨んでいる、故郷に捨ててきた妻のアヅミの姿があったのです。

 男は驚いて、情けない悲鳴をあげ尻もちをついてしまいました。

 その間にも墓石からアヅミは離れ、狂おしいほどの憎しみを滲ませた声で、語りかけてきます。


 ぁぁぁあああ、憎らしや。恨めしや。

 まさかこのようなところでお会いできるとは!!

 積み重なりし仕打ち、必ずや晴らさでおくべきか!!」


 まるで老婆のようなしゃがれた声で、憎悪をぶつけるアヅミ。

 その役になりきるナターシャは、やはり何かに取りつかれているようだ。


 (前回の話と違って、今回は動機がわかりやすいな)


 ナターシャの演技に足が笑っていたが、それを誤魔化すように国王はそんなことを考える。


 「男は恐怖のあまり目を閉じました。

 そして、どれくらいそうしていたのでしょう。

 恐る恐る目を開くと、そこには墓石がありませんでした。

 雑草がぼうぼうに生い茂っているだけです。

 愛人のマリオ―ネの墓は元の位置にちゃんとありました。

 男は薄気味悪くなって足早にその墓地をさりました。

 そして、マリオ―ネの従弟にこのことを話したのです。

 

 こういう不幸があったなら、気落ちして魔性に付け込まれるものだよ。

 そうだ、どこそこに高名な魔法使いがいるから、護符でも貰ってこないか?


 従弟はそう提案しました。

 なんでもその魔法使いは占いもしてくれるらしいので、マリオ―ネが病床の折に口走っていたことでも相談しよう。

 男はそう考えて、さっそく従弟とともにその魔法使いの元へ向かうのでした。

 男は魔法使いの家で、事情をすべて話しました。

 すると、魔法使いは合点がいったようで、


 なるほどなぁ。

 道理で。

 いやね、お前さんの顔に酷い死相が出ていたものだから、驚いたんだよ。

 占うまでもない。

 お前さん、その霊に祟られているよ。

 お前さんの思い人を取り殺してなお、その恨みは晴れなかった。

 だから、お前さんは今夜か、明日の命だろう


 魔法使いの言葉に男はギョっとして、泣きすがりました。

 そんな男を哀れと思ったのか、魔法使いは男へ石を加工して作った護符アミュレットを渡して、


 いいかい。よく聞くんだ。

 お前さんを祟っている霊から逃れるには今日から一カ月、渡した護符を家の内側に吊り下げて、戸を閉め切って一歩も家から出ないことだ。

 何があっても家からでないこと、この忠告を守ったならきっと助かるだろう。

 でも、守らなかったなら、すまないが出来ることはもうない。


 そう言い含めました。

 男と従弟は魔法使いに礼を言って、護符を手に帰宅しました。

 そしてその日から家に籠ったのです。

 その日の夜。

 深夜のことです。

 しゃがれた女の声が外から響いてきます。


 あぁあぁあぁああああ、憎らしや。

 ここにも、ここにも、ここにも、護符がはってあるぅぅぅうう。

 おのれ、おのれ、おのれおのれおのれぇぇぇぇええええ??!!


 どうやらアヅミの怨霊は中に入れないようでした。

 そして、毎日、毎晩、怨霊のアヅミは家に訪れました。

 男はすっかり寝不足となってしまいました。

 しかし、どうにかこうにか期限の一カ月目を迎えることが出来ました。

 今日さえ乗り切れば生き延びられる、そんな希望が男の胸にやどりました。


 そして、最後の夜のことです。

 連日の寝不足もあったのでしょう。

 強烈な睡魔に男は襲われました。

 そして、気を失って目覚めると窓の外は明るくなっておりました。


 やった!!

 生き延びた!!

 俺は生きてる!!


 はしゃいでいるところへダメ押しとばかりに、マリオ―ネの従弟の声が届きました。

 一カ月後、男は従弟に、朝が来たら声をかけるよう頼んでいたのです。

 どうやら本当に危機は去ったようでした。

 そして、男は喜び勇んで家の扉を開けました。

 なんの疑いも持たず、開けてしまったのです。

 そして、断末魔の悲鳴が響き渡りました。

 その声に驚いて飛び起きたのは、自宅で寝ていたマリオ―ネの従弟でした。

  

 えぇ、そう、そうなのです。

 男が聞いた声も、そして窓から差し込んでいた明かりもすべてが幻だったのです。

 しかし、従弟はそんなこと知りません。

 なのですぐさま断末魔の声の主が男だとわかると、


 なにか、あったんだ!! 


 農具を手にすぐさま家を飛び出し、隣の家へ向かったのでした。

 そこで従弟が見たものは、開け放たれた家の扉と、その周囲にべっとりと付着し、滴り落ちる生血。

 そして、まるで敷物のように剥がされ広げられた、男の全身の生皮でした。

 しかし、その中身はどこにもありませんでした。どんなに探しても見つからなかったのです。

 

 さてそんな凄惨なことが起きたため、さすがに領主夫妻にも連絡がありました。

 事の詳細はアヅミの育ての親にも伝えられました。

 嘆き悲しむ神官の横で、母親代わりだったエルフだけが心穏やかに笑みを浮かべておりました。

 しかし、そのことに神官も、そして知らせを伝えにきた者も、男どもは誰も気づくことはありませんでした。

 そのため、その笑みの真意は誰にもわからないのでした。


 おしまい」

 

 そうして、話は終わった。

 

 「はい、これで終わりとなります。

 ご清聴ありがとうございました。

 そうそうこれを話してくれた友人曰く、なんですけど。

 男ってなにも見てないから、期待しちゃダメっていってましたねぇ。

 さて、それじゃ、もうこんな話を陛下にすることはないと思いますし。安心してください」


 ナターシャの言葉に侍女が動き出す。

 茶器を片付け、部屋を出ていくだろう国王の身支度を整えようとする。


 「は?」

 

 「はい?」


 ナターシャも見送ろうとしているので、思わず国王が声を出す。

 するとナターシャも疑問符を浮かべて返した。


 「何をしている?」


 「いや、アザリーナ様の言いつけも無事済んだので、寝ようと思って。

 陛下も、もう戻られますよね?

 引き留める理由はないですし、他の妃様たちを待たせては私が恨みをかってしまいます。

 毒を飲みたくないですし、後ろから刺されたくもないですし、お話ではないですが生皮を剥がされる趣味もありません」


 淡々と、いつもと変わらない人形のような顔でナターシャはそう言った。


 「陛下、陛下は、今しがた私が語った物語だけではなく、私のこともお嫌いでしょう?」


 「……おい、何を言って」


 「義理としての訪問は終わったのですから、これ以上ここに居ても時間の無駄ですよ。

 求められれば従いますが、私が他の妃様たちのように陛下をご満足させることはたぶん無理でしょう。

 それとも、帰り道が怖いのですか?」

 

 「そんなわけないだろう!!」


 「でしたら大丈夫ですね。

 それでは陛下、おやすみなさいませ」


 侍女すら戸惑うことなく、国王の帰り支度を普通に手伝う。

 唯一戸惑うばかりだった国王は、自分の庭の中だというのにナターシャの部屋からされるがまま、追い出されてしまった。


 「なんなんだ、一体」


 本当なら不敬罪だなんだと怒り狂うところだが、そんな気にもなれなかった。

 仕方なく、国王は正室の元へ向かうのだった。

 色々話を聞くにはこの後宮の女主人である、アザリーナが最適だと思われたからだ。


 そしてその後。

 いったいどんな話が国王とアザリーナの間でなされたのかはわからないが、ナターシャの後宮での待遇がまた少し改善されたのだった。

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