第2話

 骨の折れる感触は部位によって違うし、一般的なオノマトペでは形容し難い音がするときもある。でも大抵はぐぐもった音だ。筋肉に覆われて水分を含んでいるから、バキッという乾いた音はなかなか出ない。

 例外があるとすれば、例えばそう、妙齢の女性にチョークスリーパーを決めようとしている男──175cm程度で肩が張った男──の肘を後ろから砕くときだ。


 肘の一番外側はどうやったって筋肉がつかず、大部分を覆っているのは皮膚だからうまく当たれば乾いた音がする。

 そして、肩から爪の先まで通る尺骨神経は人体で最も太い神経であり、いわゆるファニーボーン…尺骨突起はここにある。もっと精密に、例えば鍼なんかを使って“刺激”を加える方法はモサドが尋問で好んで使っているが、大雑把に狙っても使える部位だ。肘を砕くと“アクセス”がより容易になる。

 女性を離してくれたら、男の頭を上から、鼻ごと後ろに掴んで天井を仰がせる。間髪入れずに、顔を掴んだまま警棒の柄で2度3度と鎖骨を砕く。女性の頭を離してくれなければ狙えなかった部位だ。ここの近くには腕神経叢(わんしんけいそう)という、神経の集まる場所がある。例えばここを刃物で絶ってやれば、少なくとも二度と野球なんかは出来なくなる……そうしてやりたいところだが、とはいえ、刃傷沙汰は目に毒だ。

 鎖骨はぐぐもった形容し難い音がする。

 骨の折れる音には、皮膚や筋肉・脂肪によってグラデーションを成す。

 後ろに引き倒した男の顔を、膝で上から全体重を叩きつけて一旦の仕上げだ。ここが一番鈍い音がした。


 1人目を片付けた後、リビングを一足飛びで縦断し、ソファーから弾みをつけて飛び上がった。

 次に狙うところは明快で、今度は女の子を組み伏せている男──身長170cm弱の中肉中背の肘と顎を700gの高炭素鋼の警棒で打ち砕く2挙動。興奮している人間を痛みで押し留めようなんて無理だ。骨を的確に壊して行動不能に持ち込むしか確実な方法はない。肘関節を折る感触。弾け飛ぶ歯と砕ける顎。もう一発顔に警棒を振り抜き、頬骨を砕けば眼球の運動障害でまともに瞼が開かなくなる。運が良ければ失明までには至らないだろう。運が良ければ。

 重要なのは、この家の中で、この人たちの前で人を殺さないこと。

 本当だったら、遠慮することなくそのまま側頭部目掛けて振り抜けば世の為人の為になるが、それは彼女たちとは関係のない場所でやるべきだ。

 何にせよ、あまりにも野暮な方法だ。

 合計で20秒も経っていない。ただ1分もすれば彼らは反撃してくるかもしれない。

「大丈夫、大丈夫。ぼくは味方だから」

 力を失い、彼女に寄りかかろうとする男を足で蹴ってどかしてやる。

 引き伸ばした警棒はメカニカル・ロック式だから、グリップ底部のボタンを押しながら先端を押し込めば簡単に縮んでくれる。縮めた警棒をベルトに挟む。代わりに、同じくベルトに挟んでいた自前の折りたたみナイフを抜き、組み伏せられている女の子の手首を縛っている結束バンドを切り離した。

「手は動くか。怪我はあるか」

 ぐったりした彼女の手首を優しく掴む。もう少し元気なら、この状況に男に手首を掴まれたら振り払われてもおかしくないのだが、そんな気力さえ彼女には残されていないようだった。

「泣くのは後だ。よく耐えた。お姉さんを連れて一緒に逃げて──」


「っ、うしろっ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る