Case.1 探偵なのに盗むんだゆ ⑦

 それは、事務所での訓練の最後辺りで見たものだ。

 低くかがんだり、空中で回転したり、壁を上手く利用して体勢を上手く変更させたりして、少し進んだ先の壁にある赤い丸ボタンへ刺突剣フルーレをしならせ、確実に押しこんでいく。

 すると、それまでの通路にあった赤いセンサー線の光が消失する。

 あの丸ボタンはどうやら解除装置のようだ。


「良成様。コーヒー、いかがですか」

「あ、ああ、頂きます」


 ヨーグルから紙コップを渡され、そこに温かいコーヒーが注がれていく。

 今は夏、しかもここは南国の島だというのに、この空間はやけに寒い。

 少しかじかんでいた指先に程よい温かさが広がり、かすかに波打つ黒いそれを口の中に運ぶと、全身に力がみなぎってくる。

 そうこうするうちにやま田は三つ目のボタンも処理し、残すところあと一つ、というところまで来ていた。


「ひゅ! むあ! ほょ! ゆ! ふにゃ! むあ!」

「やま田はこのために頑張って練習していたんですね」

「ええ、やま田様はお考えがあって行動されているのです。全てではないにしても、ただの無鉄砲むてっぽうというわけでもないのですよ」

「ふひゅ! みゃあ! ゆ! ゆ! にゃま! むあ!」

「俺、やま田のこと、少し勘違いしていたかもしれません。あいつ「にゅほ!」は、考え「ふみゃ!」なしに「ゆ!」行「ゆ!」動「ゆ!」す「ゆ!」あああああうっさ!!!」


 良いことを言おうとしていた俺だが、やま田の間の抜けた掛け声に意識を大いに乱され、思わずさけんでしまっていた。

 ちょうどその時、最後のボタンが剣先で押し込められ、奥にある扉が音を立てて左右に開いていく。


「もー、邪魔しないでほしいゆ」

「いや、お前があまりにもうるさいもんだから」

「声出さないと、気合が入らんのゆ」

「まあまあ、良いではありませんか。やま田様もお疲れ様でした。コーヒーをお飲みになりますか」

「ボクはいいゆ。その代わり、――アレの準備ゆ」

「……はっ」


 ヨーグルは右手を胸に置き、深々とお辞儀じぎをする。

 アレの準備。

 俺はごくり、と苦いコーヒーの味が残るつばを飲み込む。


 ついに、来てしまった。


 一見、平凡な高校生であるこの俺を、やま田達が帯同させている最大の理由。


「もう、……我慢できないゆ。ヨシナリのアレが……、欲しいゆ」


 栄養補給の時間、だ。

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