第一話 師弟稽古
石造りの四角く切り抜かれたような空間。明かりもなく、広がる暗闇の中で動き回る二つの人影。
重なり合う度に聞こえてくる打撃音はこの空間唯一の音だった。動き回る人影からは音はしない。
「随分と強くなったじゃない」
「エトに鍛えられたからな。もう俺のほうが強いんじゃないか?」
「言ってくれるね。なら――」
そう言うと、人影の一つが体の輪郭を覆うように淡い光を帯びる。微かな光ではあるが、暗闇の中では一際存在感を放っていた。
先程までは姿形すら見えなかった妙齢の姿をした女性が浮かび上がる。銀の長髪が空を切るように流れ、オルトへと迫った。
「オルト、ここからは別の稽古だ」
「ああ」
オルトも彼女に応えるように魔力を全身へと行き渡らせ身体強化を行う。淡い魔力光を纏わせた二人は先程までの動きとはまるで異なっていた。
常人の目では追えない速度でエトが突き出した手は人差し指と中指が迷いなくオルトの目を抉るように狙う。
「――ッ!?」
辛うじて躱したオルトは、勢いを利用してエトの首を狙って貫手で反撃する。対するエトは危なげにも薄皮を掠めながら、両者共に後方へと後退した。
「アタシを殺す気?」
「俺だって目を失えば困るからお互い様だろ」
「目は治せても命は治せないじゃない。何がお互い様よ」
注意するような口調ながらもエトからは怒りも何も感じられない。むしろ、嬉々として受け入れているようであった。
「今日の稽古じゃそこまでやるつもりは無かったけど、気が変わった」
「俺は初めからそのつもりだ」
エトから明確な殺意が放たれる。目に見えるものではないが、目の前にすると圧迫するような威圧感を感じオルトは思わず笑った。
「この威圧感だけは敵わないな」
「威圧感だけって何? え?」
「あれ? もしかしなくても怒ってる?」
オルトの言葉が癇に障ったのかエトは初めて怒りを顕にする。彼も流石に怒るとは思っていなかったのか少し焦っていた。
「――殺す気で行くよッ!」
眼前のエトの姿が掻き消える。土煙を僅かに残し暗闇へと溶け込んだ。魔力光も見えなくなっている事から、移動と同時に身体強化を切ったのだとオルトは悟る。
稽古には十分なものの、そこまで広くないはずの空間。しかし、暗闇と同化したエトの姿は気配すらも伺えない。
「厄介だな」
身体強化は淡い魔力光を帯びる性質上、暗闇ではどうしても悪目立ちする。月明かりの元ならいざしらず、完全な暗闇の中では身体強化を使うとどうしても姿を隠すことが出来ない。
エトはそれを理解しているから、移動と同時に身体強化を切っていた。本気となった彼女の隠形はオルトとて容易に見つけられない。
「おいおい、隠れてばかりかよ。逃げ回ってても勝てないぞ」
挑発とばかりに誰もいない虚空へと声をかける。しかし、返事が帰ってくるわけもなく、オルトは軽く肩をすくめた。
「ま、わかってたけどな」
オルトとて挑発に乗るとは端から思っていない。ただの軽口であり戯れだ。本気で殺し合うのに語らいは不要。だからこそ、彼女が本気なのだとオルトは意識を切り替える。
『クリエイト:ナイフ』
オルトの手元に何もない空間から透明なナイフが創り出された。輪郭すらない見えざる得物を握り込み腰を落とす。
オルトの準備を待っていたとばかりに四方から何かが飛んできた。見えない、しかしそこにある何かをオルトは避ける。
(魔法行使の気配……あっちか)
手にしていたナイフを投げつけ、新たに創り出したナイフを二度三度と投擲した。壁にあたって落ちる音が投げた数と同数分反響する。
オルトが真後ろから感じた魔力行使の気配に振り向くと、魔力光を帯びたエトが手にしたナイフで迫っていた。
(これがエトの本気か。歴代最巧と謳われる姿見えなき暗殺者……この異名は伊達ではないな)
間近に迫るまでその存在に気づくことすら出来なかった。
オルトは僅かに浮かんだ冷や汗をそのままに身体強化を行い迎撃する。相手の得物を避けるように僅か後方へと下がりつつ、隙きを見てナイフを創り出した。
幾度と切り結び両者共に少なくない量の血が辺りへ飛ぶ。剣戟音が響き、膠着状態に陥っていた。
(技量はほぼ互角。このまま続けていれば、僅かなミスや疲労を互いに待つだけの泥試合だ)
如何に訓練を積んでいようと人間である以上緊迫した状況下の中で僅かなミスもしないなど不可能だ。致命的とまでいかなくとも、達人同士では僅かなミスが勝敗を左右する事もある。
しかし、オルト、そしてエトも互いのミスを待つまで膠着状態を続けるつもりはなかった。
先に動いたのはエトだった。彼女の後方空中に二つの魔法陣が出現し、水で作られた細長い針が創り出される。
(それは悪手だ――エト)
剣戟の最中、極限の集中状態の中で魔法を行使するというだけでも並外れた技能を有している。そしてエトは二つもの魔法を創り出していた。それだけで彼女がひとえに常人離れしている事がわかる。
(……少しズルい気もするが、あるものは使わないとな)
オルトは僅かに躊躇をしつつも、遅滞なく己の中にある魔法を呼び起こす。先天的に持って生まれたある種の才能とも呼べる魔法を行使した。
彼の瞳が身体強化とは別に強い光を帯びる。それを見たエトはここに来て初めて明確な焦りを見せた。
彼女は知っている。オルトが何を行うのか、そしてこれから何が起こるのか。だからこそ愚策にも肉薄する。彼の刃で身を斬られようと、それ以上に対処しなければならない事象が今彼女の目の前で起きようとしているからだ。
(今日も俺の勝ちだ。悪いな)
瞬間、オルトの視界が停止する。目前まで迫っていたエトは瞬き一つせず硬直を晒していた。まるで時が止まったかのような世界が広がっている。
だが、彼も例外ではなく動けないでいた。静止するには不自然な体勢で、しかし倒れる様子はない。
(焦ってる焦ってる。いい表情してるね、エト)
オルトはじっくりと目の前のエトを見やる。普段から大人びた雰囲気の彼女は、戦闘中でも機械のように感情を感じさせない。それが今、目を見開き凄まじい形相をしているのだ。復讐に駆られたかのような彼女の顔を見るのがオルト密かな楽しみとなっていた。
(しかし、こうしてみると結構美人だな)
腰まである艶やかな銀髪に燃えるようなルビーの瞳。訓練用の質素な黒い装束ではあるが、シンプル故にエトのくっきりとした顔立ちが一層引き立っている。
オルトは彼女の正確な年齢を知らない。しかし、容姿だけ見ると20代半ばのように見える。
(俺の子供の時からまるで変わってないな。そう考えると今は……よんじ――)
そこまで考えてオルトは静止空間にも関わらず悪寒を感じた。錯覚なのだろうが、これ以上考えてはいけないと意識を切り替える。
(ま、まぁ、稽古中に余計な事を考えるのはやめておくか)
オルトは彼女の後方に出現し、まもなく射出される状態で止まっている二つの針に意識を向けた。
(角度が悪いな。視界中央でエトの顔を捉えるのに固執しすぎて、肝心の対処すべき魔法が視界隅にしか見えないな)
対象の魔法に意識を向けてみるが、視線が映るわけでもない。
(ま、どうとでもなるか)
視線すら動かせないのが不便ではあるが、この疑似静止世界は安全が保証されている。なにせ、ただオルトの思考速度、体感速度の問題というだけだからだ。現実の時間は1秒たりとて動いてはない。
(とりあえず、同種の魔法を二つ)
魔力は時間に縛られない。正確には思考さえ出来れば行使が可能だ。肉体が微塵も動かないとしても、この刹那の時間の中で魔法を構築することは出来る。
(人を殺すのに強力な魔法は必要ない、か)
エトがよく口にする言葉だった。
オルトは彼女が創り出した針を射出する魔法と同じ魔法を構築した。構築に時間を要するような高度な魔法ではない。針を創り出し、飛ばすだけの二工程魔術は日常生活にも用いられるようなありふれた魔法と変わらない労力だ。
だが、人を死に至らしめるには十分すぎるほどの殺傷能力を有している。
(これでエトの魔法は対処出来る。後は……)
発動させるも現実に変化はない。それでも確かに魔法発動の兆候はあるため、オルトは次の魔法を構築する。
(同種の魔法でいいか)
何の魔法を使うか考える手間を惜しんで、オルトは針の魔法を追加で10個創り出した。計12の魔法を構築する。
殺す気と言っても実際に殺すわけではない。殺してしまっては稽古の意味がないからだ。だからこそ、オルトは彼女が瞬間的に対処しきれない数だけ針を用意する。
(この瞬間だけは未だに慣れないな)
瞬間、世界が動き出した。
急停止した状態からの急加速。肉体的には動きを継続しているだけに過ぎないが、オルトの体感では時間が経ちすぎており、先程までの動きを再現できないとバランスを崩してしまい、大きな隙きを晒してしまう。
自らの動きに引きづられるような奇妙な感覚を乗り越え、動き出したエトを見やった。彼女は苦虫を噛み潰したような不快感を隠そうともせず、今しがた出現した魔法を視認すべく視線を動かしている。
「チッ」
エトが創り出した針は射出後、ほぼ同タイミングで射出された針にて相殺され、互いに砕け散った。針の切っ先同士を合わせる通常戦闘ではほぼ起こり得ない事象が二度続けて起こる。
続けざまに同時ではなく時間差で四方より連続射出された10個の針がエトを襲う。彼女は体捌きとナイフを巧みに使い8つの針を処理して見せた。
しかし、9つ目の針が肩を穿ち、10つ目の針が腿を貫く。
痛みから生じる肉体的な反射により僅かな隙きを晒したエトを地面へと押し倒し、首元にナイフを添えたオルトは勝利を口にした。
「俺の勝ちだ」
「……そうね。アタシの負けでいいわ」
負けを認めないほどエトは子供ではない。しかし、どのような方法であれ弟子に負かされたのだから彼女としても思うところはある。
それでも負けは負け。それを受け入れないほどの狭量ではない。
「え? 負けで……いい? いやいや、明確な負けだろ。何を上から目線で言ってるんだ」
「……そう、わかったわ」
彼女は狭量ではない。それでも限度というものはある。青筋を浮かべるエトを見てオルトはしまったと自らの失態に気づいた。
彼は思わず立ち上がると自然と後退りする。
「いや、悪かった。少し調子に乗ったかも知れない。だが、俺をこんな風に育てたエトにも少し責任はあると思うんだ」
「……そうだねぇ。躾が足りなかったかもしれないね」
とても肩と腿に重症と負っているとは思えない動きでエトが起き上がると、不気味な笑顔を浮かべてオルトへにじり寄る。
「冗談だよな? 俺はもちろん冗談だ。エトを馬鹿にするつもりはない。ああ、こんな優秀な師匠を持って幸せだ……なぁ?」
「……」
「何か言おうよ、ね? 少し怖いからさ」
エトは有無を言わさぬ早業で詰め寄りオルトの片手で首を掴むと、瞳を覗き込むように顔を近づけた。
「ついてきな」
「あ、はい」
思わず二つ返事で了承する。それ以外の返答を認めない凄みが彼女にはあった。今日一の笑顔を浮かべる彼女は先程の稽古よりを恐ろしく映る。
エトに首掴まれ半ば引きづられるようにしてオルトは稽古場を後にするのであった。
ココロノアリカ @kuRo-L
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ココロノアリカの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます