第2部 SF×恋愛
メイラとぼくの夏
あの夏のことは、ひとりで空想ばかりしていたぼくが何の気なしに見た白昼夢、
と言うには現実的すぎたし、何より、ぼくの人生はあの時から始まった。
ぼくは、「日常」に飽きていた。
永遠に連なる朝と夜のサンドイッチのような毎日に、「登下校」や「中間試験」や「部活」が詰め込まれたお弁当の「箱」のような日常。その永遠の繰り返しの中で、お弁当の味を少しずつ工夫して、おかずを取りかえて、
なんとか自分で日常を面白くしようとしている、それがぼくの毎日だった。
そんなぼくのお気に入りのおかずは、「ぼくの知らない物語」。
その物語が語られる場所、「本」に、ぼくは毎日会いに行った。
本の中で、「ぼくではない」物語の登場人物たちが、自分と全く違う日常を送っていること、そして彼らの日常を追体験することは、ぼくを
今思えば、それがぼくの現実だったらと、その時から思っていたのかもしれない。
「なあ、海斗、今日も本読みながら歩いて、車にぶつかったりするなよ。」
後ろから、低く良く響く声が聞こえる。その特徴的な声だけで分かる。剣道部の部長のリョウ君だ。リョウ君は、本に顔を埋めながら渡り廊下を歩くぼくの姿を見ると、呆れて笑いながら、去っていく。ぼくはちょっと顔を上げて、リョウ君なりの優しさに、ありがとう、と言う。それがリョウ君への、”今日は練習には行かないよ”、という合図だった。
その日、ぼくは吸い込まれるようにして図書室の扉を開けた。
「…こんにちは」
今日も図書室に現れたぼくを見て、静まり返ったその部屋の
暗がりで、ひっそりと本を読んでいた司書さんが手を止めて、にっこりと微笑む。
そんな司書さんお墨付きの、中学生向け「西洋ファンタジ―」コーナーで、
ぼくは今日も一冊の本を手に取る。「迷宮の双翼 ドラ・ドラゴ ⑧」。
上下巻合わせて8巻の大長編シリーズも、これが最終巻だった。
(明日は、次に読む本を探さなきゃ…)
そう思った瞬間だった。はらり、と本の扉から、何かが落ちたのが見えた。
それは、一枚の紙切れだった。
拾い上げてよく見ると、小さな文字が並べられている。
おはなし屋さん やってます
「1かい5分、どんなお話でも聞けます。ふしぎなお話が聞きたいと思ったかたは
この番号にでんわしてください XXX-XXX-XXXX」
(おはなし屋さん…?お花屋さんの書き間違いかな?それにしても、
「どんなお話でも聞けます」って、そんなサービス、聞いたことないな。
でも、電話番号も本物っぽいし、つながりそうだ。)
そう思ったぼくは、司書さんに最終巻を貸し出してもらうと、その日は足早に帰宅した。
家に着くと、受話器を握りしめてソファに座る。ポケットに入れていたさっきの紙を取り出して、もう一度電話番号を確かめた。080から始まる番号。誰かの携帯電話番号だろうか?
少し緊張しながら、その番号を入力する。
プルルルルル…。
つながった。半信半疑だったぼくは、内心驚いた。ちょっとすると、
大人の女性らしきオペレーターの声が聞こえてきた。
「おはなし屋さんへようこそ。あなたは、どんなお話が聞きたいですか。SFの方は1番、現代ファンタジーの方は2番…。」
オペレーターは、6番、の歴史小説まで行きつくとまた1番から繰り返した。「迷宮の双翼」シリーズが終わってしまったら、SFを読もうと思っていた僕は、そっと1番を押した。
プルルルル…。番号は、またどこかへつながり始めた。
どっく、どっく、と大きな心臓の音が聞こえる。
その音に、ぼくの日常が、いつにも増して色を放っている、そんな気がした。
「こんにちは。おはなし屋さん、1番、サイエンス・フィクションの扉へようこそ。
あなた、お名前は?」
いきなり、溌剌とした少女の声が聞こえてきた。
「ぼくは、三島海斗です。あなた…えっと、君は?」
「わたしは、メイラ。今日の海斗の、おはなし屋さん。よろしくね。」
メイラ。そんな名前、絶対にぼくの学校にはいない。
とりあえずこの電話番号は、誰かのいたずらではないようだ。
ぼくが少しの間黙っていると、メイラ、と呼ばれたその少女は、また話し始める。
「それじゃ、準備はいい?一緒に、サイエンス・フィクションの世界へ行こう!」
(待って、世界へ行く、って…!?)
「え、ちょ、ちょっと待って、おはなし屋さんって…。ぼく、何も聞いてな…!」
ぼくが話す
2300年.地球に住む私たちは、ある実験を開始したの。
「2」「3」「0」「0」。その4つの数字を言い終わるか終わらないかのうちに、
ぼくは宇宙船の中にいた。
人類は皆豊かになり、宇宙開発が基幹の産業となった世界では、地球と、火星と、もう一つ、「実験惑星」を作った。資源が枯渇した地球の、居住先を見つけるために。わたしたちは、調査員として、その惑星へ向かっている。
体感したことのないスピードで、宇宙船は進んでいる。状況が把握できずに、あたりを見渡すと、ぼくの隣に、見たことのない少女が座っていた。水色の髪に大きな瞳。口元には、かすかに笑みを浮かべている。呆気に取られて少女を見つめる視線に気づいたのか、その少女はぼくの方を見る。
海斗くん。宇宙船へようこそ。私はメイラ。そろそろ、「
「え、メイラ…、って君が?ねえ、これは夢なの?どうしてぼくが宇宙船に…?」
質問は後にして。時間がないわ。さあ、着くわよ!着陸準備!
メイラの言葉通り、宇宙船は戸惑うぼくを置き去りにして、大きな音と振動を立てて、陸面へ着陸した。
海斗、さあ、降りて!時間がないわ!こっちへ。
不思議と、ぼくの足はその声に引っ張られるようにして動く。違和感を感じて確かめると、右手にはいつの間にか、SF映画でしか見たことがないような、装丁が立派なグローブがはめられていた。
この実験惑星では、宇宙からの訪問者と日々交流をしているの。惑星を作ってから、地球外生命体が、この惑星に訪れるようになった。私たちは、共生の方法を探している。
メイラがそう言うと、いきなり遠くから叫び声が聞こえた。
「有害生命体、発見!調査隊員、すぐに出動せよ。」
声の方を見ると、サイエンス誌で見たマクロファージのような何かが、無数の脚を振り回し、男性に襲い掛かろうとしていた。
「ねえ、あれって…!?」
海斗、私たちの出番よ!右腕の中心部分を私たちの敵へ向けて!
メイラはそう言って、ぼくの手を取る。ぼくは言われた通りに右手を掲げるその生命体へ向けた。すると、ぼくの右手から赤外線センサーのようなものが発射され、生命体の動きはぴたり、と止まった。
やったわ、海斗。成功よ!
ぼくを見つめてにっこりと笑うメイラを、ぼくも見つめ返した。
これは、現実に起きていることなのか、ぼくには区別がつかない。
だけど、この炎のように輝く少女メイラも、
この惑星も、現実だったら、どんなにいいだろうか。
私たちは、次の実験へ向かうわ。でも、今日はここまで。おはなし屋さん、楽しんでもらえたかしら?
いつの間にか5分が経っていた。
「ねえ、メイラ、また君に会えるの?」
ぼくは尋ねる。
私の物語を聞きたいなら、ね。あなたが呼べば、何度でも、行くわ。
次の瞬間、ぼくは、また一人受話器を握り締めて、ソファに座っていた。
翌日、昨日の出来事が、ぼくのお弁当箱をいっぱいにして、お弁当をいっぱい食べた後は、眠くなるみたいに、授業に全く集中できなかった。
「おい、海斗、大丈夫か?今日、全然集中できてないみたいだぞ。」
遠くの席からぼくのいつもと違う様子を見ていたリョウ君が、心配そうに話しかけてくる。
「大丈夫。ありがとう。昨日、ちょっと不思議な本に出会ったんだ。」
その日の授業が終わると、入学して以来初めて、ぼくは図書室に行かなかった。
一目散に家に帰宅したぼくは、また「おはなし屋さん」、の番号に電話を掛けた。
メイラは、きっと今日も1番にいる。
プルルルル…。
オペレーターに接続、そっと1番を押す。
しばらくすると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「こんにちは。おはなし屋さん、1番、サイエンス・フィクションの扉へようこそ。
あなた、お名前は?」
「海斗。三島、海斗です。あの、昨日は…」
「ああ、昨日の。海斗くんだったね。今日も、おはなし屋さんを利用してくれてありがとう。それじゃ、準備はできている?」
「あ、あのえっと…はい!」
次の瞬間、またメイラは語りだした。
ここは、アメリカ大陸の、地下空間。私たちは、科学者なの。
今日も、ぼくはそのぼくを引き込む言葉を、待っていた。
時は現在。現在のアラスカ州の地下空間に居を移した生き残りの先住民に、現代の「科学的発明品」を教える二人の科学者の話。最初はぼくたちの発明品に興味を持っていた先住民たちが、敵意を持ち始めるところで、あっという間に5分が経っていた。
「ねえ、メイラ。また、君の物語を聞きに来るから、明日もぼくを待っていて!」
消えかかる電話の声に、ぼくは叫ぶ。メイラはぼくを見て、くすり、と笑う。
海斗、変わった人ね。私の話を、何度もリピートしたいなんて思った人は、誰もいなかったわ。私のお話は、結末が好きではない人が多いもの。
今日は、メイラが少しぼくをからかうような、そんな目をして、ぼくにさよならを言った。
現実、に引き戻されるその瞬間。
いつまで探しても空いたままだったスペースに、ぴったりと、ピースがはまる音がした。
ぼくは、その日から、本を読むのをやめてしまった。
それから、ぼくは毎日メイラと、様々な世界を、宇宙を、時代を、時に「植物の体」を、「こころ」を、旅した。メイラは、ぼくの名前を覚え、話の旅に、ぼくとの交流を、楽しんでいた。彼女は、ぼくといる間は、ずっと笑顔だった。
メイラと話すたびに、ぼくの表情が、少しずつ変わっていくのを、
リョウ君は気づいていた。
「海斗…。お前、最近本読むのやめたのか?かと思ったら、部活もぱったりと来なくなっちまったし、もしかして、好きな子でもできた?」
ぼくはリョウ君の言葉に、はっとした。
好きな子、という言葉を聞いた瞬間。メイラの顔が、声が思い浮かんだ。
「ぼくは…。」
だけど、ぼくが、この感情が「好き」だとしたら、ぼくの好きな子が、存在しない人物だなんてリョウ君には絶対に言えなかった。
何かあったら相談しろよ、と心配するリョウ君の言葉を背中に受け、ぼくは、家へ帰った。
帰宅すると、ほとんど本能的に受話器を取り、ソファに座る。
「おはなし屋さん」を呼び出す。
ーぼくは、君が好き。
今日は、メイラにぼくの気持ちを伝えるつもりだった。
1番、を押す。
プルルルル…。
電話が繋がる。メイラ、今日はね…。心の中で、メイラに話しかける。
次の瞬間だった。
「こんにちは。おはなし屋さん、1番、サイエンス・フィクションの扉へようこそ。
あなた、お名前は?」
その声は、メイラじゃなかった。
「あれ、メイラは…?」
ぼくは咄嗟に、その女性に、必死になって尋ねる。
「メイラ、ですか…?そんなはなし屋は、在籍しておりません。」
「…在籍していない?そんなはずは…。」
それからぼくは、1番、2番…6番、と、順番に呼び出していった。だけど、どこにも、メイラはいなかった。
(メイラなんて、ずっと嘘だったんだ。)
きっとメイラは、ぼくの、空想上の少女。
ぼくは受話器を置き、その場でがっくりと頭を垂れた。
次の瞬間だった。
「海斗。」
すぐそばで、ぼくの名前を呼ぶ声がした。聞きなじみのある、優しくて明るい声。
そっと声のする方を、振り向く。
そこには、メイラがいた。
「海斗。私よ。今日は、あなたに会いに来たの。」
「メイラ…?君は、受話器の向こうにしか、いないんじゃなかったの?」
「言ったでしょ。あなたが私の物語を聞きたいと思うなら、いつでも行くわ、って。」
「ぼくは、君を探してたんだ。今日君に伝えたいことがあって…。」
ぼくは、ゆっくり深呼吸をして、メイラを見つめて、言った。
「ぼくは、君が好き。ぼくの足りないピースを、埋めてくれた、君が大好き。だからぼくは…。」
メイラは、ぼくの言葉を聞くと、少しの間沈黙して、やがて僕を見て、微笑んだ。
「わたしも、海斗が好き。わたしの物語を、最後まで聞いてもらいたいと思うのは、海斗だけだもの。」
そう言うと、メイラはうつむいて悲しそうな顔をした。
「だけど、私はこっちの世界にはいられないの。」
「…どうして?」
「おはなし屋さん、の私たちは、海斗の現実には、存在しないの。」
その言葉に、ぼくはがっくりと肩を落とす。だけどメイラは、
ぼくをまだ見つめていた。
「ねえ、海斗。私と一緒に、おはなし屋さんを、やらない?
海斗なら、人々に、素晴らしい物語を届けて、希望を与えられるわ。」
「それって、ぼくがここからいなくなるってこと?」
「そう。」
「ぼくは…。」
メイラの提案に、ぼくはリョウ君のこと、「本」のこと、「ぼくの人生」のこと…。
ぼくの日常を埋めるピースのこと…。全部に考えを巡らせて、考えた。
メイラといられたら、どんなにいいだろう。二人で一緒にぼくが大好きな物語を届けるんだ。ぼくが感じたような、日常の彩りを与えるんだ。
だけど…。ぼくは、それを、この現実でしたい、ことに気づいていた。「ぼくの人生」を生きてきたから、ぼくはメイラに出会えた。初めて、人生のピースを、見つけた。それは、全部、全部ぼくがしたこと。
それをぼくは、この現実で、やりたいんだ。
ぼくはそれを、メイラに伝えた。
メイラは黙って聞いていたけど、やがてぼくを見つめて言った。
「海斗ならそういうって、わかっていた。海斗は、きっとこれから素晴らしい作家になるわ。人に夢をいっぱい、与えてね。だけど、一つだけ約束してほしい。わたしと巡り合えたこと、一緒に物語を作ったこと、忘れないでほしい。」
「忘れるもんか。君がいたから、ぼくは初めて、ぼくのやるべきことに気づけたんだ。」
「ありがとう。海斗、好きよ。」
「…。また、君に会えるかな。そしたら、ぼくは君にもう一度気持ちを伝えさせて。」
「あなたが、望めば、きっとよ。さあ、私はもういくわ。」
メイラは、微笑んだかと思うと、もうその場にはいなかった。
あれはもう10年も前のことだ。ぼくは、メイラに会ったあの夏、作家になることを決めた。「メイラの夏」を書いてデビューをしたぼくは、いまとなっては、SFベストセラー作家と呼ばれるまでになった。
君に出会ったあの夏。ぼくの人生は、あの時から始まった。
ぼくは、物語を通して、何度でもメイラに会いにいく。
そのたびに、伝えるんだ。
メイラ、君が、好きだよ。大好きだ、って。
SF短編集 白柳テア @shiroyanagi
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