第9話 あまりにも軽くて儚くて、尊くもなく散るもの


 木々をかき分けるその音は、明らかに生物が近づくことを僕らに分からせる。


「動物じゃない」

「だろうね。二足歩行……っていうか、誰か走ってる音だ」


 そう僕らが確認した瞬間、きぃん、と閃光が走って、チビ天使が現れた。


「何者かのこちらへの接近を確認しました。私たちの存在はこの世界の住民の宗教観に過剰な影響を与えるため、半自動的に不可視化されます」

「あ、そうなるんだ」

「情報を追加します。これはあくまで、許可次第です」

「許可?」

「ご用命の時はお呼びください」


 きぃん、とまた閃光が走って天使が消える。

 許可ってなんのことだろう。

 木崎さんは木崎さんで天使と何か契約とかしてるのか?

 あんまりそういう雰囲気でもないけどなあ。


「やっぱりこっちに向かってる……?」

 僕の疑問をよそに、誰かが走るような音はどんどん大きくなる。

「みたいだね。隠れとく?」

「隠れたい?」

 聞かれて、ふと考えてみるが、

「……いや、全然。むしろ会ってみたいかな。言葉通じるといいね」

「同感」


 と話がまとまったところで、

 がざっ! と視線の先の茂みをかき分けて、飛び出してきたのは女の子。


「ひっ……あっ……何……なん、なの? 人間がなんでこっちにもいるの!?」


 ただし耳が長かった。

 加えて、言い回しからしても明らかに人間じゃない。


「すごい! 言葉分かる! 大丈夫ですか!?」


 と、木崎さんが激しく反応したその時だった。

 さらに茂みをかき分ける足音が続いて、三人の男が現れた。

「くっ……」

 女の子は僕らの間を走り抜けて、横転したバスに背を預けて、背負っていた弓を構える。けれど、背負っている筒の中には矢が残り一本しか見えない。


「おいおいおいなんだこりゃあ?」


 で、現れた男三人……布の服に使い込まれた両刃の剣とそれを差す革のベルト、とかいう、いかにも中世くらいの山賊ですよって恰好の奴らが、『日本語で』言った。


「おお、こっちも言葉が通じる」

 と僕が感心すると、

「あ? ……何だお前ら。『商会』の連中か?」

「見ねえ顔だがどうします? 兄貴」

「……オンナ、イタ」

「おめーはいつもそればっかだな! 『商会』には手ぇ出すなっていつも言ってんだろうが!」


 ……見るからに薄汚い欲望を宿した三人の、人間の、男。

 そいつらが現れるだけで、不穏な空気がこの場に満ちていく。

 それとついでに、風呂に入ってない人間特有の獣臭。

『商会』? ってのは何なのか分からないが、大体キャラは分かった。


 真ん中の、右目が刀傷で塞がってる男がリーダーで、そいつを兄貴と呼んだ細いのがその手下Aで、相撲取りみたいに大きな、生の兎みたいなのをかじってるデブが手下Bだな。


「つかガキじゃねえかよ、こんなところで何してたんだぁ? 『商会』の連中は気楽なもんだな」

「命張ってんのはこっちだっつーの! ですよね兄貴!」

「オンナ……久シブリ……」


 何やら男三人が勝手に推察して勝手に納得しているらしいが、正面を向いたら木崎さんと目が合った。

 僕から見て右手側に人間三人、左手側に女の子……っていうか、『エルフ』が一人。

 そして木崎さんの目は、かつて見たことがないくらい虚無だった。


「――」


 恨みでも怒りでも恐怖でもなく、言葉を発するゴミを見る目。

 ……まあ、刀むき出しで森の中、エルフの女子を追っかけまわしてる男三人と言えば、答えはそんなにないからなあ。


「どっちにつく?」


 瞳は虚無のまま、たぶん敢えてのことなんだろうけど、木崎さんが僕に言った。

 そして当然、答えなんか決まっているわけで。


「エルフ」


 指さしたのは当然左、その瞬間、ひん、と空を切る音がした。


「おっと」


 金属がぶつかる音。エルフが放ったリーダーを狙った矢が、刀で弾かれたらしい。

「動かないで! こ、これ以上近づいたら……」

 そして最後の矢を僕の方に向けるエルフ。

 いやそりゃ無駄でしょ、と僕が突っ込むより早く、男たちが笑う。

「おいおい人質かぁ? そういうのはもっとお優しい奴にするんだな!」


 ごもっともだ。

 そして、加えて言うなら……


「……あ?」


 隙だらけなんだよ。


「なにやってんだ……? お前……」


 スイッチが、入る感覚。

 がちん、と僕の脳で下りた『何か』が僕の倫理を麻痺させる。

 左手を銃みたいにして、構えて、


「ばあん」


 僕は、『チート』を使った。

 気分的に、手で作った銃を撃ってるつもりになるだけ。

 僕の指先が一瞬ほの暗い蒼色に光って、

「ぐ……あ……」

 それだけで、僕のチートは発動する。

 たったそれだけのことで、リーダーっぽい男は膝から崩れ落ちる。

「あ、兄貴?」

「アニギ……?」

 全身から脂汗をかいて、震えて、負けを認めたような表情で男は『エルフを』見る。

「ご……」


 ずどっ。

 男が何かを言おうとした次の瞬間、エルフの撃った最後の矢は男の頭を貫いていた。

 絶対に助からないと一目でわかる姿で、男は倒れ伏して痙攣する。

 ……まあ、そうなるわな。


「兄貴!」

「アニギッ! おっ、おっお、オマエェェ!」


 リーダーが殺されたのに怒ったのか、手下Bがエルフに襲い掛かる。

 エルフも鉈みたいなのを構えたが、手下Bはそれをこん棒で叩き落とした。


「くっ!」


 それでもエルフは横っ飛びに回避して、そのまま暴れまわる手下Bの攻撃を避け続けた。


「コロス! コロス!」


 でかい図体して動きは早い。それをエルフは紙一重で避けてるけど、あれじゃそのうち体力が尽きる。


「芹沢くん!」

 僕らを警戒しているのか、手下Aは動いてない。けれど弓やボウガンみたいな飛び道具も持ってない。

 だったらこっちは遠慮なくデブに近づいて、狙うは肝臓。

「こっちこっち」

「ア!?」


 遅い。そして、逆だ。

 左回転するようにこっちを向いたデブの背中に合わせるように回り込んで、その背後からわき腹を殴った。


 ぼちゅっ。


 当てた位置は正しく急所で、聞こえたのは、そんな音。

 ぬちゃり、と、僕の腕にあたたかい感覚。


「ゴ……」


 ずん、と手下Bが仰向けに倒れて、


「……イイイダイ、イダイ! アナ! アイタ!」


 じたばたと、暴れる。

 しかしそのわき腹には大穴が開いていて、そこからどろどろと『何か』が流れ出す。


「……え?」


 真っ赤な、僕の腕。

 そして、さっき拳で触った『内臓』の感覚。


「イダイ、イダイイイッ!」


 ――僕の腕が、生身の人間を貫いた?


 それを映像では認識できているのに、頭が理解しない。

 人の体の中に腕を突っ込んだ感触が生々しく残る中、


「デベエエエエエ!!」


 デブが血を流して立ち上がる。脇腹を貫いても立ち上がる……何で?


「ぁ……」


 鉈が迫る。

 殺した。

 いやまだだ。

 だから殺さないと。

 殺さないと……殺される?


 頭が真っ白になって思考がまとまらない。


 目の前にはデブの拳がある。


 避けなきゃ死ぬ? 僕が?


 それの……何が悪い?


「芹沢君!」


 僕の頭に、『声』が響いた。


 ――お疲れさまでした。いやはや、ヒーローですねえ、キミは。


 この世界にいないはずの声は、初めて『あの人』と出会った時のもの。

 戦いの最中だというのにやたら鮮明に、あの人の言葉をはっきりと思い出せる。


 ――ねえ、キミは人がヒーローに何を求めるか知ってますか?

 ――正義?

 ――熱血?

 ――希望や未来?

 ――そんなんじゃないんですよ。

 ――人がヒーローに求めることなんてたった一つ……


「……ああ」


 そうだよな、『先生』。


 ――悪い奴を殺してほしい。それに応えることが出来るなら、いつだって君はヒーローですよ。


 狙ったのは心臓だった。

 拳をかわして、当たったのは首だった。

 それでも、ごぎん、と音がして、折れちゃいけない骨が折れたのを理解する。


「ぐ……え……」


 間違った方向に首が曲がったデブに、狙いを定めてもう一発。


「ばあん」


『右手』の人差し指でありもしない弾丸を撃ったつもりになるだけ。

 それだけで白い光が発射されて、デブの頭が風船みたいに弾けて消えた。

 頭を失った首なし死体から噴水のように噴き出す血を浴びながら、僕はその場に立ち尽くす。


「ひっ……な、何なんだお前ら! くそ、くそおっ!」


 とか言って、手下Aが逃げ出していく。

 だから、戦いは、終わった。


「……」

「……」

「……」


 当たり前だけど、ここはゲームの世界でも何でもない。

 ここは殺して、殺されるのが当たり前の、『異世界』。


 びくびくとまだ魚みたいに痙攣する首なし大男の死体を見ながら、

 僕はそのことを嫌になるほど実感していた。

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